13 気候変動に具体的な対策を

 避けていた問題に取り組むことにした。13番の気候変動、つまり二酸化炭素を排出しない。拾ったゴミをいろいろ燃やしてしまった分を取り戻さなくてはならない。わたしは気負った。そしてアクシデント発生。ハンモックから飛び降りたときに枝の上に着地し、枝が地面を滑り、わたしは足首を捻った。痛い。身体の無理が利かなくなるとはこういうことだ。情けない。厄年とは上手いこと言ったものだ。
 二週間ほど山を降りなかった。魚の干物をはじめ食材は潤沢にあり、反対に用事は何もなかった。ここで生活するようになって五、六年になるが、買い物に出かけ、アルバイトがあり、二週間も人間に会わないというのは初めてだった。ここには電波もないので世間との隔絶、完全な断絶である。その間、忙しくしていた。秋冬に向け、足を引きづりながらキャンプ生活から小屋生活に居替えをした。

 慌てるほどの人生ではない。小屋の中に移したハンモックに揺られ、気候変動について考えようとした。すると気候変動問題の刺客が襲ってきた。恐らく台風である。”恐らく”なのは、小屋での孤立生活により天気に関する情報が全くないから。それでも台風を知覚できているのは、寝起きに耳が飛行機や山登りのように耳抜きを求めてきたからである。相当に低い気圧、湿気をため込んだ濃い空気、木の上部を擦る強風の音、台風だ。耳を澄ますと風に乗って避難の放送が聞こえた。避難するつもりはなかった。雨や風は周囲の木と分かち合って弱まる。小屋には不意に割れる可能性のあるガラス窓がない。開発の手の入っていない山は崩れない。
 夕日、外が静かになった。台風一過。SDGsを身を以て経験したのは初めてだった。自然の猛威だが、騒ぐほどのことではなかった。わたしは半日ハンモックに揺られていた。
 小屋の周りの異常がないことを確認していると、ハリネズミが歩いていた。小さな足で細々と牧歌的な足取りである。風雨で流されてきたのか、避難してきたのか。子供のころ、移動動物園で触れ合った記憶があったので、近寄ってそっと捕獲した。記憶の通りに丸まった。山を下りて駅員に見せると、あちこちにいるから適当に放せばいいと言われた。ハリネズミがあちこちにいるとは知らなかった。夜行性で、山奥ではなく民家の近くにいるらしい。顔を見ないから心配してましたよ、これお裾分け、と駅員は丸く黄色の果実を渡してくれた。秋らしい黄色でピンポン球サイズ、ややビワに似ていた。イエローストロベリーグアバ、この辺の名産になりかけているらしい。台風で大量に落ちたので近所の農家が配って歩いていて、そのおこぼれにあずかったわけである。ありがたい。ハリネズミもグアバも外来種である。ハリネズミの愛らしさとグアバの甘美味しさ、歓迎すべきグローバル化なのか、それともこれも地球温暖化のせいなのか。

 足も治ったので、冬仕度の薪割りを開始した。一冬分となると、これが重労働なのである。薪による暖、せっかく閉じ込めた二酸化炭素を解放することになる。その罪悪感と気の遠くなるような量で、仕事の進みが悪かった。二酸化炭素を閉じ込めていないエネルギー、風か水か光か。暖まるなら光、温室か。この町でもときどき見かけた。小屋に窓を作っていないのは、ガラスは素人には扱いが難しかったためである。それにここは周囲が木に囲まれていて、日影の時間が長い。水ぐらいなら何とかなるだろうか、太陽光温水器。

 太陽に向ける側から、ガラス、ガラス、黒い金属、断熱材替わりの発泡スチロールと積み重ね、周囲をシールして完成。ガラスとガラスの間は断熱用の空気層で、ガラスと黒い金属の間に暖めたい水を貯める。三十センチ四方の温水器を五個作製した。屋根などには固定はせずに、自由な場所で自由な方を向ける洗濯物方式。朝、水を入れて太陽に向け、日影になったら日向に移動、日が沈む前に水を室内に回収。手間はかかるが大成功、やんわりと暖かい。幸せを感じる温もりである。しかし暖かさは控えめ、薪は必要である。台風の去った後の一週間ちょっと、朝晩の冷え込みも激しくなってきた。わたしは生活のための薪割りを再開した。

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