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セルフたいやき

 近所にあったタピオカ屋が潰れた。案の定と言うべきだろう、日本中で流行ったのちにオープンした店で、粒々していただけである。その跡が改装をはじめた。ジャングルを模した緑色の壁紙が貼られ、外国のファーストフード店のようだった。次の流行りのスイーツは何だろうか。ジャングルな店構えからは、アフリカ系だろうか。タピオカの素であるキャッサバ芋もアフリカの名産だった。アフリカのスイーツが想像できなかった。私のアフリカのイメージはシマウマから離れられず、白色と黒色の縞々の何かを想像し続けた。そして会社帰りに突然オープンしていたのが、セルフのたいやき屋である。信号待ちをしていて、何気なく眺めていたら、「セルフたいやき」とダンボールに手書きの文字の看板が目に入ってきた。雑なのは看板だけでなかった。店内には、会議室のような長テーブルにカセットガスコンロとたいやき用の挟む機材が並んでいた。従業員は黒いシャツに赤いパンツ、そこだけにチェーン店的な清潔感があった。店内に客はいなかった。

 翌日、私が仕事を終えて帰るとき雨が降っていた。傘を持っていなかったが、小雨だったので何とかなると、駅から家までの徒歩十五分を小走りすることに決めた。その矢先、信号が赤に変わった。立ったまま濡れていく。ちょうど正面にセルフたいやきの店があった。道路越しにも店内に客がいないことがわかった。
 私は背中を押してくれるハプニング的な何かを待っていたのだと思う。信号が青に変わる前に駆け出し、雨宿りをするふりをして店の軒先を借りた。いらっしゃいませという言葉、困惑した顔をして店に入る私。壁だけでなく、天井までジャングルのグリーンの壁紙が貼られていた。大きな葉と真緑色の圧迫感は本物のジャングル並みだった。折り畳める長テーブルの上に、A4の紙が置いてあり、セルフたいやき 四匹千円税込、と書かれていた。特徴のない角ばった手書きの文字だった。黒と赤の上下を着た従業員の女は私の千円を受け取ると説明をはじめた。
「こちらが当店オリジナルのたいやき粉です。この富士山の水を入れて、よく混ぜてください。その間に、焼き機に火をつけます。焼き機が温まりましたら、裏側、表側の順番に混ぜた粉水を入れてください。そして具を入れます。うちには、粒あん、こし餡、チーズ、カスタードの四種類ありますので、特にご要望がない限りは一種類ずつにしてもらっています。具を入れたら、即座にパタンと閉じてください。あとは適当なところで火から下ろして開けば完成です」
 彼女は一息で話しきった。その流暢さに圧倒された私は、わかりましたと頷いたものの、内容はほとんど頭に入っていなかった。女は店の奥に戻っていった。私が彼女に助けを求めるような目を向けると、「レッツ・トライ」と笑顔が返ってきた。この閉塞的な現代には珍しい、屈託のない笑顔だった。
 目の前にあるのは粉と水と具、そして焼く機械、間違えようのない構成だった。これは誰でも楽しめる新しい体験型スイーツなのではなかろうか。本物の予感。気の向くままに手を動かしていると、目の前に茶色の四尾の鯛が完成した。この店には椅子がなかった。置いてあった小さな紙袋に個装し、置いてあった大きな紙袋に入れ、テイクアウトした。帰宅して一人で四尾を平らげたせいで、夕飯をパスすることとなった。

 翌日は私の帰宅が遅く、すでにセルフたいやきは閉まっていた。その翌日はそれほど遅くはなかったが、セルフたいやきは閉まっていた。その日はコンビニでたいやきを一つ買い、夕食の一品にした。売れていると噂のそのたいやきは、期待したほどの美味しさではなかった。その翌々日、セルフたいやきが潰れていることを暗に知った。なぜなら、そこに別の店がオープンしていたからである。そのままの内装で、そのままの従業員で、そのままの制服で、鳥の唐揚げ屋ができていた。長テーブルは片付けられていた。夜十時半を過ぎていたが、唐揚げ屋には客がいた。一息で説明した彼女が私に気づいて出てきた。
「ごめんなさいね、もうセルフたいやきは終わり。こっちが本業なのよ。ブラジルからの鳥の仕入れの関係で、オープンまでに少し時間が空いてしまったの。それでセルフたいやきでちょっと冒険してみたの。チャンスだったんだけど、結局、冒険は冒険のままだった」
 冒険は冒険のままというのが、どういう意味なのかが分からなかった。彼女の笑顔に陰りがあったので、私たちは気まずくなった。また来ます、と店を後にした。夕食ならたいやきよりも唐揚げだというのに。それとあのジャングルはアフリカではなくブラジルだった。本物の予感も返して欲しい。そして冒険は冒険のまま、という言葉が残った。