「最初の1人になる人」2021/06/24

・そこそこ何もしなかった日
今日は何もしないって決めてたんだ。
もう少しで達成できると思ったら親から電話かかってきた。両親ともに1回目のワクチンの接種が済んだらしい。よかったね。
かかってきた電話に出たことを「したこと」にカウントすんなって。

・母の性格
ところで、母親の性格を他人に説明できますか。
気にしたことが無いっていうか、やっぱり母親って最初の他人だからどんなものであってもそれが人格の基準に近いものになってしまう。
その上、1人の他人というより母の役目、親の役目、年長者の役目、「母親あるある(愛情とも言う)」「おばさんあるある」とかが人格に先立ってしまうから、彼女がどういう性格なのかを意識したことが無い。他の誰かのお母さんと比べてどういう母親かは説明できるけど、個人としての母親ってよく知らない。自立して親元を離れ、母親に何か贈ろうとしたときはじめて「そういえば母が何を好むのかわからん」と気づいた人は自分だけでは無いと信じている。
私は、自分の母について、幾つか存在するおばさん・母親の類型の中でも「社交的」「よく喋る」「知人が多い」「声がデカい」タイプだと思っていた。逆に言えばそれくらいにしか受け取れていなかった。
今日母は電話で、ワクチンのために職場に医者が来た日、どこからとも無くわいてくる「誰が最初に行く……?」と牽制し合ってる雰囲気を気にせず、堂々と手を挙げた、みたいな話をしていた。
そのとき一瞬「まあまあ歳のいった女性が集まったときに生じがちな、最初の1人になるのを避けようとする集団心理」と「その雰囲気を意図的に破りに行く人」の風景がありありと等倍に立ち上がり、あっ自分の母は「誰も行かないなら私〜」って言うタイプの人なんだ、と思えた。そういうタイプの人に相対したときの好悪とかも含めて結構リアルに感じられた、ような気がする。

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