「ポリアモリー=誠実」への違和感

 私はモノアモラスでノンモノガミーでポリアモリー実践者であると同時にエスエマーである。

 もう20年ほども前のことになるかと思うけれど、当時のBDSM界隈では「信頼」が掲げられていた。

 「SMは信頼関係です」「信頼が大切」「信頼なくしてSMなし」

みたいなことをいう人があっちにもこっちにもいたし、そんなことを語る個人サイトがいくつもあって、それぞれのサイトの主催者に取り巻きがいたりして、眺めていると結構面白かった。

 ポリアモラスな人の中にいろいろな人がいるように、エスエマーの中にもいろいろな人がいる。つまり「誠実」を自己の利益のために利用する人たちがいるように、「信頼」を自己の利益のために利用する人たちがいた。
 その世界の中に身を置いているとそのうちに、「信頼」という言説を素直に信じることによって傷ついたり苦しんでいる人たちも見ることになり、私はとても嫌な気分だった。「信頼」とか綺麗ごとを並べたてながら、なんなんだこの嘘つきばかりの胡散臭いの世界は、カルトですか?という感じだった。

 そんなある日。
 相変わらずブームの「SM=信頼」についてご高説を垂れる人に対して、

「私は、SM=信頼、だと思いません。」

当時の界隈では通説であり絶対的正義ですらあった「SM=信頼」を正面からぶった切る場面を私は目撃したのである。

「信頼なんていうものは、別にSMに限らず、すべての人間関係において大切なものでしょう。」

 あぁ!ですよね!その通り!
 「信頼」はすべての人間関係において大切なものだった!
 そしてそれは特定の関係性に対して最初から用意されているものなんかじゃなくて、そんな魔法のようなものではなくて、誰かと誰かが関係を作っていくうえで、相手がどういう人であるのか、信じるに値する人なのか、よく相手を見極めて、自分で責任を持って決めることなんだということを、ようやく私は理解して、とてもすっきりしたのだった。

 最近はポリアモリーという言葉がだんだんと認知されるようになってきて、「ポリアモリーな人(正確にはポリアモラスな人だと思うけど)と付き合い始めました」というような人たちも見かけるようになったし、誠実な関係であるという言説を信じ踏み出した彼ら彼女らの、実践がうまくいかなかったときの傷つきや苦しみも見るようになった。モノガミーだろうとポリアモリーだろうと、恋愛関係(人間関係)はいつでもうまくいくものじゃない。

 ポリアモリーが複数恋愛に対する同意を前提とした関係である以上、ポリアモリーは私が考える「基本的な誠実」があった上ではじめて成り立つものであり、「ポリアモリー」と「誠実」は、私の中ではイコールで結ばれる。ポリアモリーの実践を行う人々の、愚直ともいえるほどの正直さや誠実さ、考え方や姿勢が、私はとても好きである。その感覚は私にも親しい。

 しかし、「ポリアモリーは誠実な関係である」と掲げることには、私はあまり賛成できない。別にそんなことを殊更に述べなくてもポリアモリーは誠実に実践できるし、理解しあえるし、当事者は自分たちが誠実であることを知っているのだからなにも困らない。
 それなのに、デメリットの方が多い綺麗ごとを掲げずにいられない人々の気持ちは、私にはあまりよくわからない。

 「ポリアモリー=誠実」と掲げられているのを見ると私は、あの時のことを思い出す。

 そして、こう言いたくなる。

 「誠実なんていうものは、ポリアモリーに限らず、すべての人間関係において大切なものでしょう?」



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