だうだうと滝がうがうと腑に響む
「伊月庵通信」2023秋号掲載 季語の座「滝」秀作
季語「滝」の本意は何だろう?と考えながら、白猪の滝のすぐそばまで行ってみた。飛沫が飛んでくる、全身に感じる涼しさ。この涼感だろうか?遥か上方から落下してくる大量の水が生じさせる音、その轟音だろうか?尽きることなく流れ落ちる水を眺めていると、下界の暑さをしばし忘れることができる。この感覚ゆえに、昔から人は滝を目指して山道を登ってきたのだろう。
今、私の体内の水分はおそらく50%くらいだ。それだけの重量の水と、この滝とが、共鳴しているかのような感覚。腹にこたえる感じ。そうか、私にとって「滝」という季語に対する実感とは振動、波動なのだ。滝が轟音と共に流れ落ちてくると、私の中の水が震える。五臓六腑というが、それらの含む水分が細かく絶え間なく振動している。
季語「滝」を体感して詠むと、この句になった。今はただ、実感を詠みたい。自分の言葉で、平明な一句に。
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