国衰論:ルソーの『社会契約論』感想


 ルソーが社会契約論を出した時代は現代国家、ナショナリズムが形成し始めた18世紀である。この本は1789年のフランス革命の理論的根拠(それ以外に、アダムスミスの道徳感情論、国富論などがある)ともいうべき本であった。その時期は、国家が新しい社会状態を迎えた人々を納める型として人気を集めた時期でもある。
 その時代背景を考慮した上で、社会契約論をみると、その社会契約は、国という社会状態を納める型をより説得力があるようなものにするための取扱説明書のようなものである。この本では、人間が自然状態から社会状態に移行していることを前提としているが、それは社会という強大な人格化された魂の構想段階でもある。その魂はアバターの設計図のようなものであり、ある種仮想空間でもある。その仮想空間は想像の共同体に居場所を作ってくれたのである。その想像の共同体の居場所である仮想空間は国という組織である。その国という組織がやがて実際に行動できるアバターを作り上げているが、そのアバターが国という想像した空間の中で動けるようにするには、基本的なルールが必要だけど、それが法である。その法律に従って、アバターが動くためには政府という頭脳が必要であり、その頭脳に従って動ける手足と同じような国家の体制が必要である。
 このように、魂と体を備えたアバターが国という新しい人格を形成して、その中で、大学を含む様々な団体や家庭や個人が細胞のように働いて19-20世紀には最盛期を迎えた。
 最近、核家族や単身家族が増えているのはマクロ的な視点から見れば、極自然な現象であり、そのアバターがそろそろ滅びる段階に邁進していることを表している。
 自然状態の人間が社会性に目覚め始め、共同体を作り始めてから、都市国家を作り、その後帝国が現れ、また国という多様なアバターを作り上げたが、地方から都市への集中が極端化し、核家族や単身家族に変わっていく。このような自然現象の現場を私たちは目の当たりにしているのだ。
 大きな規模の想像したアバターの存在は個人の能力が弱い時代の産物であり、長年の教育を通じて、個人の能力が強くなった現在、大規模の想像したアバターの必要性はますます弱まっていく。要するに、ナショナリズムを強調しているというのは、個人の能力の低い人たちが多く集まっていることを表している。
 国際化が進んだといわれることの本質は、個人の能力の向上を意味している。

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