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八王子ひとり旅③ 絹の道資料館と道了堂

横浜と八王子は浜街道(絹の道)でつながっていて。
横浜からは八王子街道とも呼ばれる。

横浜の終点にはシルクセンターがある。
横浜市民には、パスポート発行でお馴染みのシルクセンターなのだけど、シルク博物館、行った事無いな。

生糸商人、八木下要右衛門の住居跡に作られた施設

多摩丘陵の麓で、竹槍状に尖らせた青竹を打ち込んで飲料水を得る、と。
そう、多摩丘陵。
前に、『「奇跡の自然」の守りかた』っていう本を読んだとき、

当時、多摩丘陵についてちょこっと調べたのだけど

八王子と横浜は多摩丘陵でもつながっているのだった。

先述の本を読んだときに、多摩丘陵はいるかのかたち、ってのを見て、果たしてそうだろうか、と思ったのだけど。

ポコンと丘になっているところから、平地に繋がってるところだから、まぁ、水が出るんだろか。
そして、ここら辺、当時は、鑓水商人なんて呼ばれて、生糸の取引で賑わっていたのだと。
まず、明治時代、当然のことながら、輸出より輸入が多くなれば、日本は貧しくなっていくばかりで、なんとか輸出品を、となった時に、生糸がまずは主要な輸出品になる

このデータだと、1935年まで、輸出額、ほぼ1位。
で、手先の器用さが必要だから、ってことなんだろうか、製糸工場働き手はほとんど女性だったし、労働条件が劣悪だったことは、「あゝ野麦峠」なんかで有名だし、なんというか、涙ぐましい話だけど。。
前に、本庄市立歴史民俗資料館に行ったときに、スタッフの方から聞いたのだけど

うまく書けなかったから、一切スルーしているが、、、

本庄も養蚕業が盛んで、桑畑だけじゃなくて、田んぼのあぜ道にも桑が植えられていた、なんて話も聞いたのだった。
さて、道了堂へ

歩いていくんだけど、多分、ゴミを燃やしてて。
おぉ、八王子、こんな感じ?と。

そして、絹の道

なんか、こういう道ばっかり今回歩いている気が。

お堂の跡かな。
そして、眺めの良いところにお堂を作った、って言うから、どうなんだろ、と思ったんだけど、周りが木に囲まれてて見えない。。

元来た道、戻るの嫌だな、と思ったら、片倉の方に抜ける道があって、そこがストンと崖になってる。
後ろの山並み方向的には奥多摩とか赤城山とかそっちの方な気がするが。
そして、右手に見える高いビルは八王子駅前のサザンスカイタワーかな

で、片倉城跡に向けて歩いていくのだけど、台地になっていて、平らなところからまた緩く下っていく

片倉城を散歩しようと思ったのだけど、上の子の修学旅行の話が云々というのが保護者グループLINEで流れてきて、あぁ、なんか足りないものあったら買わないといけないのか、と思い、サクッと片倉駅から帰ったのだった。
私は城が好きなのかどうなのか分からんな、と思いつつw

初めてくる片倉駅。
遠いっちゃ遠いけど、休日にのんびり帰る分には、横浜からそう遠い感じしなかったなぁ。

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