「産休クッキー」について話す動画を見ての感想

youtubeのABEMA Prime で「産休クッキー」というものについて話していたのでそれに対していちゃもんをつけてみよう。

https://www.youtube.com/watch?v=Xjzh1SDJS5E

なお、下記に文章化している各演者さんの意見は、僕の解釈によるものなので、一字一句同じという訳でもないし、細かなニュアンスなども含めて演者さんの意図した意味と同じではない可能性がある、ということが前提としてある。

まず「産休クッキー」とは、産休を取る際にくばるクッキーのこと。
そのクッキーには赤ちゃんの絵や「ご迷惑おかけします」などの
文章が入っている。
そしてこれに対してネット上で、
肯定的意見
「赤ちゃんがかわいい」
否定的意見
「不妊の人もいるから配慮にかけるのでは」
「忙しいときにむかつく」
などがあるそうだ。
それについて演者さんが話していた。
以下その内容を太字。(前述したように僕の解釈による)
いりかす太郎のいちゃもんはこのままの太さ。

ひろゆき「日本人の同質性を求めることが問題」
「他人は他人、自分は自分でいい。嫉妬する必要ない。
子供産む人もいれば、産まない人もいる。ふーんでいいじゃないですか
なぜか子供を産まない側でいてほしいみたいな、同質性を求める点がよくないのではないか」
おっしゃる通りなんですけど、同質性があるゆえにあなたのような
考え方をするのは難しい。それは日本文化としていまだ健在。

たかまつ「配慮はもちろん必要ない。ただ私も批判する人の気持ち少しわかる気がする。
配慮はもちろん必要ない?「もちろん」といえるだけの理由はなんでしょう?「もちろん」だけではその前提がわからない。
同世代の出産報告を聞いて、すなおにおめでとうっていえない瞬間がある。
でもそのあと、なんて自分は嫉妬深いんだと、方向が自分に向かってくるのが普通だと思う。
あなたのいう「普通」の意味は?ここでの「普通」の範囲は?自分だけにとってなのかほかの人に対しても適用されるのか?自分だけの場合は、自分の中ではそれが「普通」だと思う、のようにテレビ番組で時間の制約があるにしても、もう少し言葉を足してくれたほうが意味がわかりやすいと僕は感じる。
他人の幸せ批判ではなく、自分の幸せを見つけることに時間割くほうがいい
なぜ自分の幸せを見つけることに時間を割くほうがいいといえるのか?
他人の幸せ批判のほうが簡単で自分の幸せを見つけることのほうが難しいなら、他人の幸せ批判を選ぶ人がいてもおかしくないと思うよ。
その余裕がないのであれば、余裕ある生活にかえていけばいい。
余裕がないのにどうやって「余裕ある生活にかえる」コストが支払えるのか?余裕がないから、ない中で見つけたやりすごす方法が低コストの「他人の幸せ批判」なのだよ。(無料だし日常で接する人にも知られる可能性も低い)「余裕がないなら余裕ある生活にかえていけばいい」という命題が実現可能と思っている時点で既にそれだけの余裕があるからそんな考え方になるんじゃないでしょうか。


人をたたくのは自分のSOSのサインかも、休みやカウンセリングが
必要なのかも。そうやって自分の心を癒してほしい。
病気やケガをして、それに気づいても金がなければ病院には行けない。
様々な社会保障制度を利用すれば、病院の世話になれるかもしれないが、
その制度自体を知らないと利用できない。
「そうやって自分の心を癒してほしい」って、癒せるならもう癒しているん
じゃないか?
あくまで番組を構成する出演者という役としてしか見てないから、それを演じる人間が役そのままであるとは限らない。だから、あくまで
この役の意見に対して述べるが、言説が想定している範囲が狭いように感じる。つまり想像力に欠けた発言に感じる。なぜなら上に書いたような事を想像したうえで発現するなら、
「そうやって自分の心を癒してほしい。」
とただ自分の言いたい事を主張するのではなく、
「もしそういう選択が可能なら、そうやって自分の心を癒してほしい」
と相手の立場が自分の立場と常に同じではないという事を前提にした
言い回しになってくるだろう。

河崎「ネット上で怒りをぶつけるのは一種のセラピー
幸せアピール、それをたたいてセラピー、それを第三者があーだーこーだと、これは社会問題だ、というとらえ方しなくてもいいんじゃないか。
「静かにしろ」って大声で叫ぶ人

ひろゆき「おめでとう、あかちゃんがむかつく、いろんな意見をだすのはいい。けど、どれが正しいか見出そうとする理由がわからない。
人は生きるために何か信じるものが必要だと思いますよ。
ひろゆきだって、「いろんな意見をだすのはいい」といっている。
「いい」の意味は「良い」、だからそうじゃないものは「良くない」、
つまり「悪い」と言ってみましょうか。
「良い悪い」と「善悪」を同じ意味としましょうか。
そしたら「善悪」で決めるのはよくないと言っているけど、ひろゆきの意見自体も善悪を基準に言ってないかい?
人は生きるために何か信じるものが必要だと思いますよ。
ひろゆきは人だと思いますよ。
したがって
ひろゆきは生きるために何か信じるものが必要だと思いますよと。
そしてそれは、
『「善悪」を基準に物事を判断しない事』を「善」とする物事の判断基準
ですよと。

平石「クッキーに文字と絵は必要か。結婚出産しない人増えている。場合によってはあきらめた人もいる。幸せ自慢通用しくなってるかも、やっぱり考えてあげないといけないかも。
文字と絵を見て、直接は言えないからネットに書いてるなら、ネット(本音)の声を拾ってどうすればよいか考えていけばいいのか
いまのところ、この人の意見が一番建設的だと思う。
(現実をみて功利主義的に実現可能な選択肢を見出そうとしている)

たかまつ「それを考えるとき、不幸な人がいるからみんなが不幸な人に合わせるのではなく、みんなが幸せになれるように考える
これだけだとhowがない。命題が違うだけで、論理構造だけで言うと、
腹が減った、我慢するのではなく何か食べたほうがよい、
と言っているのと同じような展開具合。

シンシア「アメリカはみんなでライスシャワーして祝ってあげる。日本の産休クッキーの意味は、これから私がいなくなって迷惑をかけてもうしわけない。それは違うかなって思いますね。
リバタリアンの視点で見るとおかしく見えるだろう。しかし、それが日本社会をまとめてきた伝統的思想の一つだと思う。他人の自由を侵害しない限りなんでもやっていい、日本でも流行思想ではある。自分が10とれる能力と機会があるとき、10とる。選択する際の基準は「能力」と「機会」だけの単純なものだから採用しやすい。しかし、人間社会は一人ひとり違う個々の人間で構成されており、そんなに単純ではない。それを個別にみていくには複雑すぎてそれができる人はかなり限られてくるし、できてもいつか死ぬという時間的制約もあることから一人の人間がすべてを網羅するのはほぼ無理といっていいだろう。だから、限定された時間枠の中で物事を抽象化して簡単に判断できるようにするわけだ。どれだけ個人の自由を認め合うかはその時と場所により異なる。また認めたとしても、どのように認めるかの程度もある。喜んで歓迎して認めるのか、しぶしぶ認めるのか、などなど、これを同じ「個人の自由を認める」という一言でまとめてよしとするのか、その中身に言及するのかでも思考の道筋は変わってくる。

男性アナウンサー「クッキーのご迷惑おかけします、という文いらないです
ここなしで、産休いただきますでよくないですか。そしたらみんなハッピー。休むのが悪いことみたい。」
シンシア「産休が悪いことと捉えられるのは納得いかない。」
産休の良い悪いの判断はさておき、日本では集団の中では自分が一歩引いて
謙虚な姿勢を見せることが、本音でそれを思っているかどうかに関わりなく、評価させる文化というかシステムというか、そういうもんだから、
「迷惑かけてすいません」と一言添えただけで、そこにいる人間が満足
するのなら、郷に入っては郷に従え、ともいうように、そうしてあげたら
それで上手く世の中回ると思うけど、自分の思うように世の中を回そうとすると苦労しそうだ。

たかまつ「日本人は働きすぎているのが問題だとおもうのですよね。」
なぜそうおもうのかの説明がないから判断できない。時間制限なく、
自由に話してもらうか、質問者がいて質問されて答えるスタイルだと、
この人(役)はもう少し説得力のある発言ができるようになるかもしれない。

平石「渡し方、渡す物に対して、受け取る側が非常にセンシティブだってことだと思うんですよ。残念なのは、子供がいるのが楽しいことなんだ、と言いずらくなる。つまりひっそり子育てしようってなる。子育ては大変で大変でと言い続けていないと。」
河崎「子育てすることを肩身狭くおもわなくてはならないという前提がおかしい。」
金持ちはそうしてきている。一部の目立つ仕事をする人達や一代で財を築いた人達は、逆に金持ちであることをアピールすることもあるが。(その人達のアイデンティティの肯定につながるから)
長年金持ちの家系は、公に公表して痛い目を見ること(byルサンチマン)を
教訓として持っていたりもするからわざわざ損することはしない。
みんなが金持ちなら、妬みはおきない。
しかし、金持ちと金持ちでない人が存在するなら、
そこでは金持ちは妬みの対象になる。
「金持ち」を「子持ち」に変えてみれば同じ。
そして、今日本の社会はそうなってきている。
みんなが子持ちなら、妬みはおきない。(昔)
しかし、子持ちと子持ちでない人が存在するなら、
そこでは子持ちは妬みの対象になる。
だから、金持ちがなるべく目立たないように、子持ちも目立たないようにすれば妬まれずに済む。知られた場合は、一歩引いてすいませんという姿勢を見せれば妬みは緩和される。それを自由にふるまうのは個人の権利だと言ってなんでもかんでも主張すると、場合によっては妬まれて攻撃対象になる。
自由に振舞う権利は一応あるとされている社会だが、どの行動をとるかによって周囲の反応は変わる。自分とは違う人間と一緒に暮らしているのが社会だから、自分とは違う反応をされても仕方ない。

たかまつ「誰かが休むと別の人が穴埋めをする仕組みになっていて、結果迷惑をかけることになる。だから休みやすい仕組みをつくればいい。
働く時間を短くすればいい。フランスみたいに残業時間をもっと規制して、
経営者のマインドを、産休取る人が出たら他の人で穴埋めではなく、人を余剰に確保しておくように変えればいい。
howがない。経営者は利益を追求するのが役割だから、単純に人をたくさん
雇えばコストが増えて利益が減るからそうしない。コストを増やさないで人を増やすには、一人当たりの支払額を減らす方向になるだろう。休みやすくすると働きたいときにも働けなくなる恐れもある。
フランスみたいに労働時間を減らしたら、今日本で受けているサービスは受けられなくなると思う。労働時間を減らしたら、人が足りなくなって提供スピードが遅くなる。どこのレストランも大行列、スーパーや衣料品店も常に大行列、移動するにも、バスや電車は時間通りにこないのが普通、きても常に大混雑、それらに嫌気がさして、自宅でデリバリーサービスを頼んでも遅くて高い、オンラインショッピングもなかなか届かない。そして働かないのだから収入も下がる。このような可能性もある。
もっと機械に頼っていく方法もあるが、なかなか進んでいない。

ひろゆき「なんでも悪意があると勘ぐってみたら悪意あるように見える。
そうではなく、もっと頭悪くこれは善意だよねってうけとめればいいんだけど、みんな考えすぎだと思う。もっとおおらかになるべきなんじゃないかなぁと。」
howがない。おおらかになるには心に余裕が必要だとして、心に余裕を持つには一つに経済的に安定する必要があると思う。
それができる人はやればいい。初めからある人、努力で補える人、ある意味
イージーモードと言えるだろう。
しかし、全員がそういうわけではない。
金もない、知恵も知識もない。それを誰かに与えてもらえる環境でもない。
ならば自らそれを得ようと努力したからといって得られる環境でもない。
努力する能力が育つ環境にいない。そもそも努力する能力(その伸びしろ含めて)を持たずに生まれてきた。
ハードモードで済む場合もあれば、最初からクリア不可能でスタートする人もいる。理想はおおらかになればいいのだろうけど、そんな状態の人におおらかになるべきといっても、べきだけど無理でしょう。
ジョンロールズの正義論みたいにきちんと富が循環分配される仕組みが
実現すればとりあえず今のルサンチマンに使われている(金とか子とか)
は決めるかもしれないけど、人間自体に内在する「妬む」というプログラムが消えるわけではないから、何か「妬む」が発動する材料がそろえば、
現象として社会上に何らかの形で表出されると思う。
まぁそういうもんだというのが自分のいまの考え方かなぁ。


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