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昨日、2023年8月8日9:30から
北九州市八幡東区の伊藤山公園で
『八幡大空襲 慰霊祭』が行われました。

毎年、灼熱の暑さのなか、
空襲体験者の参加がなかなか厳しく、
年月の経過を感じます。

今年は、台風の影響もあり、実施が危ぶまれましたが、逆に、曇り空で風もあり、熱中症の心配はありませんでした。

皆さん手作りの防空壕入口の模型と、会場の様子

この企画は、市民手作りのもので、皆さんの想いをもとに、着実に毎年開催されています。
ぼくも力仕事や、風対策など、お手伝いさせていただきました。


ずっとこの行事に参加させていただいておりますが、年々、参加者が増えており、とても嬉しいです。
特に今年は、子ども達や若い世代の方々が多く参加されており、とても喜ばしいことです。


公園にある慰霊塔

八幡駅を出て、駅前のビル街を少しだけ山側に道路を進むと、珍しい円形のロータリーになった交差点があります。
この交差点は信号が無く、どのタイミングでも時計回りのロータリーに入れ、直進にしろ、左折・右折、どの方向にも信号待ち無く進むことができる画期的なものです。

この交差点の目の前、こんな都市部の真ん中にある小さな公園。
ここが、78年前、八幡大空襲の戦火の最も大きな死者を出した現場です。
今の平和な暮らしのなかでは想像もできません。

ここには高さ30mほどの丘のような山(小伊藤山)があったあそうです。
その山に掘った防空壕があり、最も安全な場所として、近隣住民は感じていたそうです。

しかしながら、蒸し焼き状態となり、ここで、300人が命を落としたそうです。

冒頭のあいさつをする出來谷会長

『八幡空爆の日』と題した青木道雄さんによる詩には、こう書かれています。

雨は上がって八月の
八日の空の爽やかさ
緑の山に抱かれた
街は静かに目をさます

昨日も、セミが鳴き、夏を感じる日でした。
この開催と同じ時間帯。
突如、攻撃が始まったとのことです。

第2章節もご覧ください。

澄みわたる空 今日の空
突如サイレン鳴りわたり
街行く人の足止めて
空に銀翼 三百機

爽やかな夏の一日が、突如として、地獄に変わります。
爆撃をする飛行機が300も空に舞いました。

当時の人の言葉を引用すると、雨あられのように爆弾が降ってきたそうです。

8月8日。
八幡の街は焼け野原になりました。
死者はおよそ1,800人もいたそうです。

この戦禍の犠牲を、単なる数字とするのではなく、
一人ひとりに、暮らしがあったこと、家族があったこと、命があったこと、未来があったこと。
それらに思いを馳せ、記録されている限りの『お名前』を読み上げていかれました。

看護学校や九国大の学生の皆さんが、一人ひとり、読み上げてくださいました。
86人のお名前。
ぼくも、聞きながら、書き上げてみようと、アナウンスに沿って、書いていってみました。

死者の名前を読み上げる若い世代の皆さん

二つのことが明確に分かりました。

ひとつは、子ども達が犠牲になっていること。
記録方法にもよったのでしょうが、最初の十数人は、名前に添えて、死亡場所と年齢が読み上げられました。
5歳、6歳、7歳、11歳、13歳・・・
その後の長い長い未来があったはずの、無力の子ども達が殺されました。

続いて読み上げられていくなかで、名前を書き写しながら感じたことは、
『女性ばかり』ということです。

ハーモニカを演奏してくださった方が、こうおっしゃられました。
「私は前田に住んでいました。帰ってきたら焼け野原になっていました」

ハーモニカ演奏

男性たちは、戦場へと駆り出され、街を守っていた女性たちが多く、ここで殺されました。
女学校の記録を引用しているとは言え、とても無残な現実があったことをお名前を通じて感じました。


子ども達も出演してくださいました。
キレイな歌声で「大丈夫」という合唱を披露してくださいました。

鳴水小学校ハーモニークラブの皆さん

子ども達が出演するのに、保護者の皆さんも多く来られていました。
子どもが参加すると親世代が参加するという典型的な構造を感じました。

この行事を汗水流して懸命に企画運営されている方々は、いわばシニア世代の皆さん。
それでも戦争体験者ではありません。
先人たちの苦しみや悲しみをこうして後世に伝えていく活動です。

ぼく達や子ども達の世代が、いかに、こうして、実感をもっていくかが重要だと思います。

子ども達が、この行事に参加し、親世代も来てくださって、
今は意味が分からなくっても、こうした場を共有すること。経験していくことが重要なんだろうと思います。


最後に、熱に焼かれて命を落としていった御霊へ、コップ一杯ずつ、献水を行いました。

地元の学童保育クラブの皆さんや、看護学生の皆さんなど、
多くの若い世代の皆さんも参加されました。

今年も、八幡の街で、
8.8が刻まれました。

夜には、台風が迫るなか、『八文字焼き』が無事に灯されたそうです。

八文字焼きの『八』は
八幡の八のような感じもしますが、
八月八日。

戦禍に殺された方々への追悼の八です。

平和な社会が、世の中が、世界が、もっともっと広がり続いていくように。
末広がりの未来を願う『八』の字です。


今日、八月九日は、ナガサキへの原爆投下の日です。
第一目標は、コクラだったと聞きます。

コクラは曇り。
ナガサキに目標を変えたそうです。

コクラの空は、前日の八幡大空襲での西側からの煙で覆われたという説もあります。

「コクラは二度助かってる」というアメリカ軍の手記もあるそうです。

ヒロシマがもし曇っていたらコクラへ。
コクラに来たら曇っていたのでナガサキへ。

ぼくの祖母はコクラで爆弾を作っていたそうです。
ぼくの命は、8.8の出来事と繋がっているように感じています。


最後に、先ほどの詩の青木さんからのメッセージが会場で配布されましたので、その写真を添えます。
ぜひご覧ください。

この会の冒頭に不戦の誓いが読み上げられました。
『平和な青空が続くように、ここに不戦を誓います』


多くの子ども達や若い世代の方々も参加して、年々参加者が増えていっているこの慰霊祭を誇りに思います。
そして、末広がりの平和を願い続けます。



今日もご覧いただきありがとうございます。


<1年前の”今日”の記事★>

昨年の今日も、やはり8.8の話題ですね。

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