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養育家庭の事ー40年越しのもんじゃ焼き忘年会

2022年の暮れに3人兄弟が月島のもんじゃ焼き屋さんに集った。
兄49歳 次男46歳 三男45歳。
  僕らは、兄7歳、次男4歳 三男3歳の年に出会った。三男が里子としてウチに来た。6年間同じこども部屋で暮らした。三男は月に一度くらい、月島で駄菓子屋をやっていた祖母の家にお泊りに行く。帰ってくると「もんじゃを食べた」と兄たちに自慢げに話していた。今でこそもんじゃ焼きはメジャーな下町の味として有名になったが、80年代は、まだ食べたことのない味もわからない聞き覚えのない「もんじゃ」という言葉は弟から流れてくる音でしかなかった。
 その後、僕は、大人になって何度か食べたが、兄は本当に食べたことが無く、今回の忘年会でもんじゃを一緒に食べたいと月島を会場に選んだ。
 今回の忘年会は、兄が、「自分は弟に命令をして傷つけてしまって合わす顔がない」という様なことを今年になって言う様になる。弟は、「ウチから児童養護施設に移り住んでからの方が大変すぎて、ウチにいた時の事は良い思い出しかないから避ける気持ちもない」と2人の言い分がすれ違う。
僕としては、今年のうちに、3人で会って兄と弟のわだかまりを無くしたいと2度3度と兄にアプローチし、今会わなければ弟と一生会えなくなって良いのかと昔話や色々な話をしてようやく兄から三男に連絡した。
僕としては、2022年一番大きな仕事だった。2人がもんじゃ焼きの鉄板の上でのガッチリ握手を見届けられて良かった。
忘年会の席で、兄は、「三男が里子で来て、母や次男を取られた様な嫉妬心もあった。学校で人間関係が上手くいかず、三男に対しての口調や当たりが強かったという後ろめたさをずっと抱えてきた」と三男に謝っていた。それを聞いた三男は、「ウチから出て行った後の生活が大変で、全く気にしてないし覚えてないよ」と受け入れていた。
里子は、里親家族に溶け込むために悩み、辛いこともあると思う。里子と生活する兄弟も悩みはあり、辛いこともある。当時は、それぞれ余裕もなく話を分かち合うなんてとても出来なかったと思うけれど、40年経ってお互いそんなことを昔話として語り合えるのは、一緒に暮らした濃い時間があるから。そして、苦しい時間を共に過ごしたから、その頃が愛おしい時間だと思えるのだと思う。

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