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タコ部屋 in the foot

「ひらやまちゃん 特攻のパイロットみたいだね」トンネル内のケレン作業の為に、ヘルメット ゴーグル 防塵マスク フード付きのつなぎ姿の僕を見て久慈さんは言った。久慈さんの正確な年齢はわからないが60代くらいだろう 久慈さんは若い頃の話を休み時間にしてくれた。半生を聞くのはとても好きだったので、ところどころ質問しながら聞いた その質問により本人も忘れかけていた記憶が蘇る。八頭身で目鼻立ちが整ったロマンスグレー、さぞ若かりし頃は美男子だっただろう 声はちょっと高めで「ありゃ〜」が口癖。

僕も薄れてしまったが、たしか中国地方の出身で福山通運の名前が会話の中にあったのを覚えている。割と裕福な家庭で学歴もあり弟がいたが久慈さんは長男として本家にとどまること無く都会に出る そこで色々と商売を始める。もっぱら水商売だった その中で一番はねたのは「ディスコ」。浜松だったと記憶してるが、毎日盛況だったらしい 当時ディスコクィーンだった女優さんも来たと言っていた。羽振りもよく行きつけの寿司屋のカウンターの一枚板が素晴らしかったとか、そこは有名俳優御用達でとか、ひとときのバラ色を回想している。

伊豆見工業の人を見ていると人生の浮き沈みがくっきりと線引されている。転がる時は一直線だ、上へ上へと向かう人々の間をパチンコ玉のように跳ね飛ばされながら転がり落ちていく そして 最後死ぬ一歩手前に伊豆見工業のチャッカーが開いてそこに最後の運を使い滑り込む。そして雨風をしのげる場所で再起だか最後を迎える。本当に人は流れるモノだと実感する。

ディスコもあれよあれよ終焉を迎える。地元のヤクザと折り合いがつかず、結果手放すことになる。多分ここから久慈さんの転がり落ちていく人生が始まる。転々と日雇い労働をして流れゆく 大山の土木会社の寮で所長と出会いその後 伊豆見工業にくる。僕より少し前に入社した お酒は飲まず タバコは吸ってたかな 二枚目なのでタバコを咥えた立ち姿も決まってて 天涯孤独の哀愁が久慈さん 伊豆見工業の人には感じられる。僕もそのつもりで出たが、まだ自分には母親がついていてくれてるという感覚があるから、みんなをそう見るのだろう。

昨日 伊豆見工業のメンバーで小田原港に行ったらしい 帰ってきて一緒に行った釣り好きギターリストの森下さんが「久慈さん 小田原港の海の中 飛び魚のように泳いでいたよ」と教えてくれた。すぐに想像できる 久慈さんの60代に見えない細く鍛えられた体が水面をピョンピョン飛び跳ねてる 汚れた小田原港だが久慈さんが上げる水しぶきはキラキラ光ってる。

愛すべき風来坊 久慈さん 生きてるのかな

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