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月末映画紹介『プロミシング・ヤング・ウーマン』『サマーフィルムにのって』批評

女にとっての地獄の悪夢とは? 『プロミシング・ヤング・ウーマン』

あらすじ
30歳を目前にしたキャシー(キャリー・マリガン)は、ある事件によって医大を中退し、今やカフェの店員として平凡な毎日を送っている。その一方、夜ごとバーで泥酔したフリをして、お持ち帰りオトコたちに裁きを下していた。ある日、大学時代のクラスメートで現在は小児科医となったライアン(ボー・バーナム)がカフェを訪れる。この偶然の再会こそが、キャシーに恋ごころを目覚めさせ、同時に地獄のような悪夢へと連れ戻すことになる……。

元医学生のキャシーが、大学内のレイプ事件で将来を奪われ、命を絶ってしまった親友のために復讐をするという映画。という説明では簡単に片付けられない鳥肌が立つほどの大傑作だ。

この映画の特徴は直接的な暴力表現や性表現を避けている点。キャシーの復讐の詳細な描写は描かれないし、過去に起こった事件も映像として描かれることはない。これは『燃ゆる女の肖像』(2020)のようにここ数年で「流行り」の省略手法である。性的なシーンを描くことで女性や映画がポルノとして消費されることを拒否する意味合いがあるのだが、この映画では終盤のあるシーンにおける凄惨な暴力描写のみ長回しで描くことによって、現実社会に対する明確かつ強いメッセージを打ち出した。

promising【将来有望な、見込みのある】という単語の裏にある、差別や不正義に対する告発がこの映画は込められており、フェミニズム映画とか「スカッとする復讐劇」とか、そういう単純な構図に落とし込められない(落とし込ませない)ように作られている。

主人公もレイプされた友人ニーナも、promising young womanだった。しかし、男たちに好き勝手に凌辱され、さらに同じ女性たちからも告発を黙殺される。女性たちも「レイプカルチャー」に加担していることを意識させられるのだ。

性犯罪被害者の女性たちに対して日本でもよく言われる中傷や冷笑の類
「露出度の高い服を着ていた」
「女性の方に隙があった」
「誘っているような態度だった」

というようなものを社会全体が無意識に是認し、一部の女性もそれに加担している現実は確かにある。

僕も過去のnoteで書いているのだが、女性を差別する構造が根強く残っている社会では、女性は自らに向けられた差別を内面化し、その構造の中で“賢く”生きようとすることが多い。

例えば、女性が男性よりも収入を得にくい社会構造に対して異議を唱えるのではなく、男性を収入という基準で判断してその扶養に入ろうとすることは顕著な例だろう。

そのような”賢い女性たち”にとっての幸福は男性優位の差別的構造を持つ社会の中で得られる幸福なので、その構造に異議や不平を唱える女性は異端となる。よく痴漢防止のポスターなどで、「油断しない」とか「気を引き締める」とか、加害者側よりも被害者側に対するメッセージが多いのはこのためだ。立ち止まって考えれば、加害者がやめればいい話であって、女性が油断しないとか地味な服を着るとかは見当違いも甚だしい話である。
僕の出身の田舎の高校では、痴漢に遭った女子生徒に対して「スカートの裾を上げていたから狙われた」と全校集会で学年主任が中傷していたが、これも男性優位の構図を変えたくない男性及び女性の無意識の結果である。

この映画の、女性たちも「優しい男性」たちも被害を傍観し、黙殺し、男性優位の社会構造に加担し、一部のpromising young "man"のために女性の将来を奪ったのだ。この傍観し黙殺する社会構造を圧倒的なリアリティを持って描き、実際に現実世界には同じ構図がいくらでも存在していることを僕たちも日々の生活の中で実感しているため、映画を「傍観」している我々にも大きな罪悪感のようなものを感じさせる。

この映画は明らかに性差別的な人物を取り立てて描くのではなく、あくまで我々の周りにも当たり前のようにいる、あるいは自分自身がそうかもしれない無意識的な差別意識を持った人物を描く。観客である僕たちの無意識な差別意識や野蛮性を抉り取って突きつけているようだ。

僕は生物学的に男性なので男視点からの経験しか確かなことは言えないが、「男なら好きな女にいきなりキスするくらいの男らしさが必要」
「お酒いっぱい飲ませて酔わせてから勢いでホテルに行くのがいい」

なんてことは幾度なく言われてきた。上の二つに関しては男性からも女性からも言われたことがあるので、女性側にもある程度こういう意識を持ってる人がいるんだろうと思う。
好きな人に性暴力にを振るうことになりうることを僕はしたくないし、これが「男らしさ」なら男らしくなくていいなと思った。てかイケメンなら許されるかもしれないが、僕の顔面見てそんなアドバイスすんなや・・・

一部の女性がもし上記のような意識を持っているなら、勘違いした男に襲われる可能性があるので気をつけた方がいいですよ!
男の7割くらいは野蛮な獣です。

映画のラストで描かれるある“ウィンク”は、映画を見ているそんな無意識の加害性を持った僕たちに対する強烈なメッセージだ。

同じような構図を持った映画は(言い方は悪いが)近年大量生産されている。しかし、この映画ほどの深度で描いた作品は多くない。キャリー・マリガンのキャリア最高の演技も含めて、今年トップクラスの大傑作である。



残らなくても大切なもの 『サマーフィルムにのって』

あらすじ
勝新を敬愛する高校3年生のハダシ。
キラキラ恋愛映画ばかりの映画部では、撮りたい時代劇を作れずにくすぶっていた。そんなある日、彼女の前に現れたのは武士役にぴったりな凛太郎。
すぐさま個性豊かな仲間を集め出したハダシは、「打倒ラブコメ!」を掲げ文化祭でのゲリラ上映を目指すことに。
青春全てをかけた映画作りの中で、ハダシは凛太郎へほのかな恋心を抱き始めるが、彼には未来からやってきたタイムトラベラーだという秘密があった。

高校生の映画製作を描いた青春 SF映画。主演は元乃木坂46の伊藤万理華さん。監督は松本壮史監督。

映画製作に青春を捧げる女子高生という青春キラキラムービーでありながら、主人公が時代劇をこよなく愛するニッチなキャラクターである部分と伊藤万理華さんの個性がうまくマッチングしている。
さらに、ただの青春映画として終わらず、現代社会に対しての風刺が描かれ、その風刺も映画愛を体現した伊藤万理華さんの卓越した演技力によって説教くささも感じない温かい映画だった。

映画部で時代劇が撮りたいハダシは、たまたま映画館で見かけた凛太郎を主演に映画製作を始める。ところが凛太郎は映画文化が滅んだ未来から映画を見るためにタイムスリップしてきた少年であり、ハダシは映画がなくなってしまう未来に絶望する。

未来で映画がなくなってしまった理由は
「未来では5秒以上の映像は流行らない」というもの

この理由は現代においてかなりクリティカルな意味を持つ。
少し前に話題になったファスト映画などはまさに今の社会を象徴する問題である。

批評家の佐々木敦は、最近の日本について「人々が辛抱できない。全てのものを短くして余った時間でパズドラをやっている世界」と評した。
ファスト映画はヒットの多くがTikTokからしか生まれない問題と地続きだという。

TikTokからしか生まれないというのは、TikTokの15秒の尺にメロディーや歌詞が合致した音楽がヒットしやすいという現代の音楽業界の状況のことを指していると思われるが、とにかく短くてシンプルであることが現代に最も適応する「ビジネスモデル」だということである。

映画を要約してあらすじだけを紹介するファスト映画の問題然り、音楽のヒットがTikTokにいかに合致するかと関係がある問題も然りだ。最近は上映中にスマホが見たくなってしまうのでスマホOK映画館も待望されているという。確かに佐々木が指摘するように、現代の日本人はとにかく辛抱できないのかもしれない。

元Oasisのノエル・ギャラガーは、カナダのバンドArcade Fireの2枚組のアルバム『Reflektor』について「2013年にアルバム1枚分45分だけでもしっかり聴いてられるだけ暇なやつってどれだけいると思ってるんだよ? ファッキン・レコードを1時間半も聴かせようと思うだけでも、どんだけ傲慢なんだって話だよね」と語っていて、「時間がない」のは全世界的な問題かもしれない。

僕が以前の記事でも何度か指摘しているマッチングアプリに代表される生活や人生の「効率化」の問題とも本質的には同じであり、とにかく「無駄」を排していくことが現代における至上命題なのだ。

『サマーフィルムにのって』における未来は、まさに「無駄」を排した結果映画がなくなってしまった世界である。極端な話かもしれないが、僕たちの未来はこの方向に向かっている。

作品名の言及は避けるが「つまらない映画はなくなった方がいい」と言う敵に対して、「じゃあ殺すしかないな」と主人公が返す漫画がある。
今の社会が歩もうとしている未来=この映画での未来は「つまらない映画はなくなった方がいい」を徹底しすぎた未来なのだろう。

「つまらないもの」
「無駄なもの」
「未来ではなくなってしまうもの」
「実を結ばないもの」

これらは本当に不必要なのだろうか?

その問いの答えはハダシの決断によって提示される。

みずみずしい青春映画でありながら、現代社会への風刺も込められた素晴らしい映画だと思った。

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