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糠喜び《iquotlog:天才的一般人の些細な日常》

 母の料理は、濃い味付けが基本の郷里和歌山の家庭に比較して、基本的に薄味だったので、その味で育ったぼくの舌は肥えている、というのが妻の見解であり、なるほど自分の味覚は一流なのだなと日頃から深層心理では思っている。
 さっき妻の料理に舌鼓を打ちながら、
「おいしいね、ごま?」
と言ったら、
「よくわかったね」
と言われた。
 ほら、また褒められた、と、スーパーマーケットのカートくらいのスピードで内心の得意が動き出す。
 しかしそのとき、
「きなこやねん」
と、妻が言う。
「え」
とぼくは一瞬カートを押す足を止め、
「ごまじゃないん?」
と舌の上に載ったもののラベルを見返す。
「きなこやねん」
と妻。
「きなこ」
 狭い通路で向こうからもカートを押した人が来たときくらい、思考が渋滞した。すみません、いえいえ、会釈。「よくわかったね・・・?」
 何が?
 きなこやねんと言われても、口の中はまだごまの風味。ごまは、ごまだよな。きなこは、たぶん大豆だよな。
 妻は嫌味を言うような人間ではない。なんで「よくわかったね」って言ったのか聞いたら、似てるから、と言われた。その似ているところを、関節と骨髄の間を刺し貫くように見分けるのが、育ちのいい舌なのだ。それがまるっきり混同している。
 なぜかは知らねど、初夏の丹波篠山の風景が脳裏に浮かぶ夕食後のダイニングテーブル。

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