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着信したような感じ《zaccanto》

 毎日、ズボンのお尻側の左のポケットにスマホを入れている。それはスマホ以前の携帯電話時代から変わらない。なぜ左かといえば、携帯電話をはじめて持った大学2年の頃には既にお尻側右ポケットには財布が入っていたからである。右側ポケットに財布が入っていたのは、自分が右利きだからにちがいない。
 ズボンの前側ポケットには、部屋の鍵や小銭やレシートは入れても携帯電話を入れたことはない。前側ポケットは腰掛けるときに空間が狭まるので、かさばるものを入れるのには向かないとぼくは思う。ときどき、折りたたみタイプの携帯をチューインガムでも出すように気楽に前側ポケットから出す人を見かけることがあるが、その種の人はたいてい、板状のガムが噛む前にポケットの中でひしゃげていても気にしないような人に思える(そういえば最近あまり板状のガムを見ない)。他には、シャツやスーツの胸ポケットから携帯を出す人を見かけるが、自分も迷信に毒されているのか、電波を受信するものを絶えず心臓の近くに付けておくことを考えるだけで動悸がする。
 女性の場合はスマホや携帯はバッグに入れる人が多いのだろう。もちろんジーンズでも履いていれば、後ろポケットに入れるかもしれないが、あまりそういう人は見たことがない。「マナーモード」というよくわからない名前のモードにした場合など、着信や通知にどうやって気づくのだろうかと思うが、カバンを伝わる振動には敏感になっているのかもしれない。
 以下は男性としてのスマホへの着信や通知への感度の話なので、女性には伝わりにくいかもと案じている。お尻の左側には、スマホへの着信受容体なるものがあるかもしれないという話だ。
 ぼくはいつもスマホは「マナーモード」にしている。音は出ない。振動があって通知に気がつく。
 最もスマホへの通知に気づきやすいのは、もちろん座って足を組んだりしているときで、ポケットの中でスマホが真空パック状態になっているときである。もしこの状態で気づかないとしたら、お尻から脚にかけて血流が滞り、痺れて壊死しかかっていると言っていい。あるいはどうせプロモーションのメールだろうと通知を無視し、その後、一瞬で通知を無視したことを忘れている状態である。
 反対に最も通知に気づきにくいのは歩いているときで、そのときはいくらスマホが振動しても歩行のそれにかき消されてしまう可能性が高い。子どもでも抱っこしていたらなおさらである。子どもで両手がふさがっていたら、心理的にもスマホの振動はシャットアウトされるのだろう。
 このように、スマホの振動が身体に伝達され、その信号が脳に伝わって「着信した感じ」が生じ、あるいは途中で別のヴァイブレーションによって遮断されて、「着信していない感じ」が継続する(つまり何も感じない)のである。
 ところが、脳というのは不思議なもので、スマホをポケットから出して机に置いていないのに、お尻の左側に「着信した感じ」を覚えることがあるのだ。
「あ、いまラインきたな」
と思ってポケットに手をやったら、スマホがない。見ると、スマホはデスクに出しており、社用携帯もデスクに出ている。両方の通知を確認するが、変化がない。私用スマホには「いまトピ」というサイトの、小林麻耶とか海老蔵とかの記事の通知が(グーグルのおせっかいで)表示されているだけだ。しかしぼくにとって目下の「いまトピ」は(目下のいま、などと言うと同語反復になるだろうが)、この幻覚のような「着信した感じ」の正体は何なのかということである。
 もしかすると、冷蔵庫の中の製氷箱から自動でカラコロと氷が落ちるときのように、胃の中でエビのしっぽや茹で方の足りなかったオクラが消化されて陥落した音が振動となって伝わり、お尻の左側に達するのだろうか。あるいは体内の気体の流れを促し制御する仕組みが、喉元や肛門を震わすのでなく、誤ってお尻の左側を刺激するのだろうか。
 ぼくは思うのだが、長年スマホを入れ続けているお尻側の左ポケットの周囲、そのあたりの皮下組織に「着信予測帯」のようなものがあるのではあるまいか。もちろん、振動→神経→脳、という経路で通知は脳に到達するのに違いない。しかし、AIがときどき背景に写る見ず知らずの人の顔を家族の誰かと誤認識するように、何らかの体内の反応を「着信があった」と認識して「着信予測帯」を活性化させるのではないか。そしてそこから通知があったよという信号、つまり「着信した感じ」が送られる。実は、実際の振動より「着信予測帯」の発する信号の方が強いのではないか。
 なんだか書いていることが支離滅裂になってきたが(尻だけに)、こう考えると、人がスマホを入れる場所によって「着信予測帯」の場所は異なるのだと思われる。個体差があるはずなのである。
 いつもカバンにスマホを入れているというあなたの「着信予測帯」はどこだろうか。やはり振動したと思ったのに、何の通知もなかった、ということがあるのに違いない、とぼくは睨んでいる。

 
 

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