[日記] 適当に

 適当に書いていきます。最近は軽く残す雑記が少なくてダメね。

新刊が出て12日経った

 買ってくれた人や読んでくれた人はどうもありがとうございました。まあ楽しんでもらえたらなによりです。

 さらっと本心を書いてしまうと、今回は厳然たるニコイチ構造(上下構成)で作られているから1巻段階だとまあ感想といってもたいしたものは出ないだろうなと思っていたのに、1巻時点で厚い感想を書いてくれる人が多くて意外&ありがたいといった気持ち。とくに前のやつ(リベンジャーズハイ)を読んでいなかったひとがそうだったり、立ち返って前作を読んでくれたりもあり、単純に嬉しい。

 まあ、そうはいっても1冊の価値が低くなるような書き方にはならないようにもろもろを変えたのである程度功を奏したといっていい部分はあるのかな。そしてもちろんここから読んで問題ないというのも嘘ではないです。

 2巻に関してはまた告知できることができたらしていくつもりなのでよろしくお願いします。

少女歌劇レヴュースタァライト

 テレビ本編と劇場版を駆け抜けるように見てきた。

 面白かった…………非常によかった

 こういうマジックレアリスム手法ってぼくはやらない(できない)から、うまい演出を見ると感心する。現実を錯視させていく作りって場面の転換が楽だったり、絵的に(マジックだから)ハデになったり、いろいろな利点があるんだけど、同時に(マジックだから)現実味がうしなわれて、作中で通底しているべき倫理や常識が欠如して見えて、最終的にはチープだったりうさんくさくなっちゃったりしがちなんだよな。このへんは劇場版でワイドスクリーンバロックという整合性を無視する作劇という意味の用語を援用していたあたり、当然製作陣も自覚的なことだと思う。で、うまい脚本家がどうやってそこをクリアしているかっていうと、常識とはべつの部分で用意した定理を通すっていう荒業を使うしかなくなっていて、レヴュースタァライトはそれがとにかくうまかった。

 スタァライトという劇中劇が「(トップスタァがひとりであるがゆえに)2人が輝くことはできない」「片方は塔から落ちて舞台に登壇し続けることはできなくなる」という作品全体の演劇における常識をまずバシンと用意していて、それをいかに回避して2人がトップスタァになるのかという問題解決が頭から最後まできれいに描かれていた。かつ、第8話でレヴューに敗北して130gをうしなってトップスタァになれなくなったはずのひかりが、日本で99期生のスタァライトをループさせていた大場ななの脚本に参加することで、「レヴューに敗北するということの意味を知っている未敗北者」として知見を持った状態で華恋に接しているという状況説明がされたのは神業だと思った。22分のアニメで説明しきれるんだ、それ。という感じ。

 そう、説明がうまいのである。レヴュースタァライト。それがよかった。

 ぼくは、リテラシー的な部分を除けば、対立項を用意してプラスとマイナスを振り分けていった結果ゼロサムになるような脚本を構造的にもっともうまいと思っているので、その意味でレヴュースタァライトはとにかくプロを感じられた。そうそう、これよこれって感じ。もちろん本作はリテラシー部分も非常によかったんだけど。それこそ130gをうしなったひかりのモノローグは本当によかったし、大場ななとかいうやばすぎるキャラクターの開示も手叩いて笑ってしまったくらいよかった。セリフと表現がすべて鮮やかすぎるのよ。

 歌劇世界に生きる少女たちの話す言葉(歌詞含め)のよさはこういうジャンルじゃないと出せないよなあとつくづく思う。これ毎回言っているけど、ただの日常モノだと舞台調のセリフって冷めがちになるから取り扱い注意になってしまうものだから。同ジャンルでいうとかげきしょうじょ!!もぼくは大好きだし、あれもやはり舞台(ステージ)という舞台を借りているがゆえに出せる総体的な雰囲気で演出されているという良さがある。まあ、かげきしょうじょの名前を出してしまうならあれはまた別次元のスクリプトだと思うけど。

 ともあれ劇場版である。

 意外なのはテレビシリーズ以上に少女たちのレヴュー(内面の吐露)にウェイトを割いていて、とことん現実を描かないことだった。レヴュースタァライト、時間的な制約のせいもあって徹底的に舞台少女たちの外の世界の出来事を描かないけど(例外がまひる回のインタビューくらい?少なくとも客やファンをいっさい描かないで最後までキリンに任せたのは凄まじい話だと思う)、いよいよ割り切ってきたのだなと驚いた。でもそれもまたスペース的な制約の話になるのだろうな。2時間で9人全員のレヴューをばっちりやらなきゃいけないわけだし、たしかに鍋食っている場合じゃない。

 大場なながすきだと公言しているけど(だってあいつズルだし)、当然すべてのキャラクターがすきである。なのでワイドスクリーンバロックは全組よかった。卒業を間近に控えた絆の深い3年生たちが最後に思うこと全部ぶちまけて止揚していかないとゥチら次の舞台に満足に上がれないぢゃん”!!みたいな女子高生的パワーが原動力となっているレヴューなので有無を言わさず納得させられるといった面もある。こういうのはだいたい登場人物を含めた作中世界がすきになったらもう終わりなのよ。ついていくしかなくなるから。

 全員よかったことを踏まえたうえであえてひとりだけ言及するなら露崎まひるかな。ぼくが最悪の偏見で「将来代議士と結婚しそう」と言っている女こと露崎まひるですが、まあ映画上の扱いが本当にいい塩梅で最後までいいキャラクターだった。今回は「ひとり劇団イヌカレー」みたいな称号もあげたい。怖いセリフを演技ということにして呑みこませる(し、おそらく本当に演技ではある)あたり、底の知れない中身のある女に成長したんだなあ、とほっこりした気持ちで見ていられた。恋の魔球で笑わせてきた女の今の姿よ、これが。

 とにかく時間がねえ+エッセンスだけ詰めた本編にしてえという熱い想いからレヴュー後の出来事はすべてエンドロールでまとめていたけど、どの舞台少女のその後の物語も納得がいっていいものだったと思う。

 個人的な話も絡めて話していいのなら、舞台少女たちの持つ悩みはけっして突飛なものではなく、なんらか作劇にかかわる人間ならばだれしもが抱く感情をもとに作られていたから考えさせられるものがあった。過去、もっともよかった公演に固執する大場ななも、当初掲げていた目的を果たしてしまったからこの先を考えることができない愛城華恋も、なんであれ作劇をやる人間ならばわかるどん詰まりの一種だ。大場ななも愛城華恋も、なまじ最高を知ってしまったからこそ次に進むことができなかった。それが今回の劇場版を踏まえてあの終わり方になったのだとしたら、それはまごうことなきいい話なんだと思う。とくに聖翔組と離れてロンドンに行った大場ななにぼくは感動していた。おまえは本当に最高の女だったよ。

 レヴュースタァライト、周辺の話で思ったことが細々とある。当時、村上春樹と絡めて言及しているひとをそれなりにネットで見ていたけど、あれもまたマジックレアリスム的演出の話だろうし、それ以上にイクニと繋がりのある話なのだろうとも思う。村上春樹氏の小説でたびたび起こるマジック、大切な人物の消失と模索の旅のような観念は彼がカート・ヴォネガットの小説が好きなところから派生しているだろうし、どこかSF的な部分があって、ひいてはそこが今回のワイドスクリーンバロックに合致するというのもよく理解できる。製作陣のやりたいことを表現するときに、これがもっとも合致する手法だったのだと思う。

 べつにしゃべるキリンが出てもいいし現実ではない心象にひとが飛んでもいい。そういうことが起きるという大前提を置いて、それとは違う部分でいかに理屈と論理を通してくるかという部分こそが大事だとぼくは思うので(これは前述した)、レヴュースタァライトの力は認めざるを得ない。

 要は話のエッセンスがどこなのか照準して観ればいいって話なんだよな。レヴュースタァライトの場合はそれがわかりやすかったでしょ?そのわかりやすさの演出がうまいというのが製作陣の実力なのよ。

 ちなみにレヴュースタァライトで検索するとサジェスト上位に意味不明と出てくるのは本当に物悲しかった。最低限の読解力がないとレヴュースタァライトの萌えキャラで萌え萌えすることもできないなんて………

日常

 フィットネスバイクを買ったので漕いでいる。そして運動習慣を復活させたらまあまあ調子がいいような気がしなくもない。ただフィットネスバイクって最中になにかを考えるには向いていない気がする。ロードバイクでちんたら走っているときっていい感じに脳みそが動くんだけど、フィットネスバイクだとどうもそういうわけにいかない。ふしぎ。やっぱり室内だからなのかな。まあなにか考えながら身体動かしたいなら散歩が最強だから別途散歩もしろという話になる気はするんだけど。

 フィットネスバイク、せっかく目の前に画面とか置けるんだから時間の省エネでなにか見ろよって話なんだけど、ぼく基本的にアニメ観ないんだよな。ってレヴュースタァライトの感想書いたあとに言っても説得力ないな。まあでも本当に観ないのよ基本的には。とくにテレビシリーズ系は。映画はまあまあ観るんだけど途中で中断したくないし、かといって丸2時間漕いだら疲れてその日なにもできなくなっちゃうし。けっこう難儀なモノね。はじめはアプリゲーでもやりながら40分くらい漕ぐかって気持ちでいたけどゲームやるのはだるいくらいの疲労感なんだよな。絶妙に手持ち無沙汰だ。本が読めればいいのに。当然漕ぎながらは読めない。

 本といえば最近はそれなりに一般文芸を読んでいる。感想がうまく書けるものはとくにないかなぁ。総合すると性差の話になるから若干触れづらい。ジェンダー的に問題のない話の雰囲気におさめると、ぼく個人の好みの指向性がかなり定まってきていて、文章のうまい女性の書く話がもっとも刺さることがいよいよ確定してきたという話になる。これは小説家に限らず漫画とかも同じで、作家全般という形で。

 創作についてはこれまでそれなりにメタ的な目線で勉強してきたけど、まさか自分が今の歳になってからこれほど厳密に性差に左右されるとは思わなかった。こういう状況そのものに対する疑いの眼差しがあるので、もうちょっと精査していかなければならないとは思うけど。

 目を通しているジャンルはおおまかに刑事小説のバディ物が多い。どれもうーんという感じ。やはりバディ物に対するぼくの所感と答えは変わらないなと思う。ぼくはやっぱり世間一般で受け入れられているバディ物というジャンルがあまり好きになれないようだ。これに対する作家としてのアンサーはさすがに自著でやりました。

 そもそも言うなら、ぼくはバディ物っていうタグ付けそのものが好きじゃないんだけどね。

おわり

 だらだらタイピングしていたら5000字近く書いちゃったからとりあえず中断。ウマ娘のイベントシナリオのグラスワンダーがおもしろすぎて最高だったって話もするつもりだったけど長くなっちゃったのでとりあえず割愛することにします。

 また。

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