[日記] 昨日のトピック

 どうでもいい日記をある程度は残さないとあとの自分が困るなと思ったので突発的に残す。

 6月1日の夜。伝説のライトノベル「宅配コンバット学園」の読書会を行いながら(あまりにも有名なため解説も無粋な気がするので気になる人は検索してみてください)、実際に過去の戦争にいちどだけ介入できるなら、どうするのがいちばん歴史が変わるかという話を長々としていた。宅コンではせいぜい数人の未来武装をした人間が1943年のユーゴスラヴィアでパルチザンのナチス抗戦に参加するくらいのことだったけど(改めて書くとシナリオすごいな)、雑談で話していた介入の規模はもう少し大きくて、つまりはどんな戦争の結果も変えられるなら、という話だった。

 結果としてWWⅡに関しては規模が大きすぎて仮説の仮説が増えるから、仮定を置くのがあまりにも大変ということがわかった。そもそもWWⅡのなかにいくつ戦いがあるんだよって話で、もっと局地的とは言わないけど、少なくとも世界規模のは考えきれないから×となった。ならアメリカ独立戦争かと思ったけど、結局イギリスの属国であったとしても、欧州列強に分割統治されているとはいえアメリカ大陸にでかい戦力が備わり続けるという意味では変わらんし、どっかのタイミングで宗主国の力が弱くなった瞬間に独立の機運って高まりそうだよなという予感がなんとなく拭えない気がした。大西洋隔てている時点でいつかは独立成功しそうだしな。

 ならそもそもコンスタンティノープルが陥落しなくて西洋とインドの流通ラインが残り続けるから大航海時代が幕を開けずポルトガルとスペインがぼんやりしたまま終わってアメリカ大陸の白人上陸が遅れるみたいなほうがシンプルに影響が大きいんじゃないかという話にもなった。けっこう面白い。ほかには朝鮮戦争に影響があったら第一の冷戦下の代理戦争がなくなって米ソ対立の軸が完全にブレるというか余裕で核戦争に発展していそうとか。ナポレオンが本当に勝ち続けちゃって神聖同盟が締結せず、19世紀ヨーロッパでゲルマン人がほぼ力を持たないとか。あと八十年戦争の結果次第ではウエストファリア条約があの形では結ばれず、そもそも国家が主体性を持つみたいな概念が形成されるには至らなかったよなとか。ハプスブルクが勝ってたらブルボン朝がぶっ壊れて民主化の第一波であるフランス革命が起きなかったから近代化が著しく遅れていただろうし。

 ところでこういう仮定問題ってバカロレア入試とかで普通にありそうだなと思った。日本の教育は圧倒的に論述が足りないからだめだよなあ。いつまでマークシートとか埋めさせているんだろう。採点がラクだからって知識問題をシステム化するな。つねに京都大学を見習え。

 いずれにせよ2021年現在世界政府が統治していないのは我々がマジでミスったゴミ世界線に生きているからなのかもしれないですね………

 今の情勢でいうと、どの国も性懲りもなく大日本帝国よろしく宗教的ナショナリズムを発展させているし、結局ひとは国家・民族単位で物を見るということしかできないのだろうから、やっぱり人間にグローバル化は土台無理だったのかもしれんねと思う。ロシアには東方正教会があってポーランドにはカトリックがあってイランにはシーア派がいてサウジにはワッハーブ派がいてイスラエルにはユダヤ教徒がいて北朝鮮にはチュチェ思想があって、どれもアイデンティティとして機能しながら、伝統的宗教規範はともかくとして科学解釈をするときに有機的に働いている。べつに自分たちが脱炭素しなくてもどっか知らない島国の水位があがって知らない連中が沈むだけだとしたら真摯にはなれないのが人間だしね。それどころか入管収容所で外国人が死んでも大騒ぎにはならんし。後世でMake America Great Againって爆笑ギャグになってるんだろうな(今もなっているくらいだし)。前時代に戻らないでくれよ

 歴史の話をしていると現代に立ち返って厭世観が強くなりがち。心を強めていけ

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 絵の話とかもまあまあしていた。陰影が濃くついた絵が大好きだという話。ぼく自身は犬も描けないひとなので技術的なことは全然言えないんだけど、鑑賞する側からすると影が全体に落とすイメージのふり幅ってあまりにも大きすぎる気がするな。

 10年くらい前に上野でレンブラント展をやっていたときに意気揚々と観に行って、想像よりもえらく感動したのを思い出した。特に習作のラフ画の影が強烈で(うわあ、この昔のオランダ人絵うまいなあ)という終わっている感想を抱いていた。鳴門市の陶板画の美術館に行ったときはそれこそレンブラントの夜景の模写を見たけど、ああいうどでかい絵でバシッと光と黒をキメられるとそりゃもう第一印象でかっこよく見えちゃうよな。大事なのはファーストインプレッションよ

 フェルメールの真珠の耳飾りの少女も日本に来たときは見ておかないともったいないぜと思って赴いたけど、そうはいってもそこまで美人じゃないからたぶん好きじゃないなと踏んでいたのに、いざ見てみると背景の黒が異常にかっこよくて好きになれた。(うわあ、やっぱ昔のオランダ人って絵うまいなあ)とふたたび終わっている感想を抱いていた。当時なんかその場で知り合ったおっさんとも話したけど、あの絵は未だに少女そのものよりも後ろの黒が主役なんじゃないかと思う。真珠と背中にひそむ影が映える絵なんだと。結局いまも当時買ったポストカードを壁にぶっ刺してある。

 これは絵画に限った話じゃないけど展示されている場所というのはものすごく大事で、真珠の耳飾りの少女は周囲が鮮やかなモスグリーンなのがよかった。あれはあの緑じゃないとこうまで響かなかったなと思う。

 ちなみにぼくのいちばん好きな画家はベクシンスキーです(台無し)

 いやこわいのじゃなくてアレね、こういうかっこいいのね。

画像1

 実はただかっこいいだけの絵は少ないベクシンスキー。それでも画集は捨てられない。なぜなら載っているなかに1,2枚本物のかっこいいやつがあるから。

 あとはいつもどおりウマ娘の話とかしていました。メジロマックイーンが以下略

 今月は2年ぶりの刊行もあるし色々と大変なのにコロナ禍の雑談がやめられないのはよくないと思いながら楽しいから入り浸っちゃうな、コミュニケーションツールに。とくに反省はしていません

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