深夜日記

 アプリ版noteにログインした。なにか書く。さっきつぶやきというのを使ってみたけど、
なにが起きたのかわからない。普通に記事が投稿されただけな気がする。
SNSの機能、著作権があるのかわからないけどInstagramのストーリーとかを筆頭に
かなり横断してパクりパクられのノリが形成されている気がする。
なにもnoteにつぶやかせなくたっていいだろうに。
 ともあれ書く。

「仕事」
 あんまりうまくはいっていない。完。完とか言っている場合じゃないが。
まあ、そのうち軌道に乗ってくるんじゃないでしょうかというゆるやかな目線でいる。
今はいろいろと整理ができていない状態なので落ち着いたら備忘録を残すつもりではある。
 そう、というか今のぼくに足りていないのは備忘録だなと思う。
爆速で2021年の前半が終わってしまったけど前半で覚えていることがほとんどない。
本当に大半のことを忘れてしまった。仕事として処理したことは覚えているけどそれ以外の私生活、
自分がこういうのみてこういう風に考えていたなあ、みたいな些事の部分が忘却の彼方にある。
そういう些事の積み重ねが大切なのに。
 そろそろネットストーカーもいなくなった読みでブログに戻ってもいいのかもしれない。
まあ媒体問わずに湧くときは湧くものだとも思うけど。
コンスタントな更新のしやすさはnoteよりもブログになってしまうんだなあ、
ということにnoteに移行して気づいた。結局あんまりうまく使えてないからなあ。
収益化するようなコンテンツ性も中身もないし。あとnoteって大きく分けてSNSなのも
関係していそう。フォロー/フォロワーみたいな概念いらないのよ長文界隈には。
 たぶんnoteの使い手として正しいのは絵とか図とかうまく載せられる人。結局はツイッターと同じだな。

「小説」
 このところアメリカ産小説を読んでいる。
最近はノスタルジーな気分なのかアメリカに懐郷の念を抱いているのだった。
日本がいやになったのか?まあもろもろのニュースを見ているといやになるのも
しかたないような状況ではあるのはたしかだ。ともあれ今はド王道にスティーブン・キングの
超長編を読んでいる。ベテラン訳者の語り口がアホみたいに巧い。すごいなぁと感心している。
 おとといはようやくディーリア・オーウェンズの「ザリガニの鳴くところ」を読んだ。
手をつけてからは早かった。べつの媒体でそれはもう長い感想を書いたけど、これは怪作だった。
非常によかった。小説かくあるべき。近年稀に見る多面的な小説なのでさまざまな切り口で
価値を語ることができる。ぼくはこれほどうまく女と社会の断絶を書く作家を見たのは
カトリーヌ・アルレー以来だと思ったし、また正しい意味でポスト構造論的な小説だとも思った。
二項対立の展開がうまいから常に可読性が高く(しかも湿地の厚い描写がすばらしい)、
本格ミステリのダメなところを浮き彫りにしたうえで謎本来が持つ面白さを
ストレートに提示しているのもよい。とにかくいろいろな感想が出た。
ひさびさに出会った「読んだほうがよい小説」なのでここを見た人は買って読んだほうがよいと思う。
興が乗ったらばっしり独立記事として書評あげるかも。
 しかしこれで小説デビュー作って、もうなにがどうなっているんだよ。

「体調」
 持病が落ち着いてきたと思ったら眼精疲労がやばい。
ということを細かく書こうと思ったけど目が痛くて寝ることにしたのに
こうしてスマートフォンに向かってぽちぽち打っているから
限界を超えた痛みになってきた。しかたがないので中断することにする。
 明日てきとうな時間帯に追記する。とりあえず公開で

(以下追記)
 なんだかふしぎな書式で公開されていた。とても読みづらい。横スクロールしないと
だめみたいなので、適当なところで改行して書いていくことにした。
 で、まあ体調なんだけど眼精疲労にともなうありとあらゆる問題に苛まされているのに
病院に行っていないからぼくの怠慢であるともいえる。針治療と眼科くらいは行くべき。
でもなにもしていないわけではなく、キューピーコーワゴールドとか飲んだり、眼精疲労用の
高い目薬とか差したり、やれる範囲では対応している。元凶は同じ姿勢でモニターを
見続けていることにほかならないんだけど、こればかりはどうしようもない。
せめて仕事とかで必要なとき以外はモニターを観ないように決めた。でもそこまで守れていない。

「映画」
 近々「孤狼の血LEVEL2」と「シャイニーシュリンプス」を見に行く予定。孤狼の血は
心の底から楽しみ。シャイニーシュリンプスはまあ、年にいっかいくらいはフランスの
ゲイ映画とかみないとな、という義務感によるものです。
 じつは閃光のハサウェイはまだみていない。いつものぼくならすぐにみにいきそうなのに。
あと今年は細田守の新作をみにいくような気がする。ほかにも俳句アニメとかも行きそう。
ただ目が痛いので心配である。

「漫画」
 SNSで話題の藤本タツキ先生の新作読み切りを読んだ。仲間うち感想会では「SF的な整合性を
提示すれば(する必要ないけど)インターステラーとなり、ノーランがまたジャパンサブカル
コンテンツに敗北する」というよろしくない感想を吐いていた。
 藤本タツキ氏のようなクリエイターに有象無象がこぞって考察をかねた感想を吐くという構図が
あまり似つかわしくないように思うのでオンライン上での表明はしないことにしている。
 あとは石田スイ先生の超人Xの更新を楽しみに待っている。漫画はぼくのなかでごくいちぶの
オンライン連載物を追うものと化してしまっている。ライト層として処理するようになった。
今のぼくはなんとなく漫画読者ではないような気がする。

「勉強」
 ポストトゥルースの時代について面白い記述をいろいろとみていた。現代日本では公文書改竄に
まつわる諸問題、および現行のオリンピック問題からして「今ここにある直視すべき問題」から
目をそむけることに太平洋戦争のリプレイを感じ取る者、あるいはオーウェリアンの世界を見出す者、
いろいろいるけど、じつはそうした現実への背信行為は歴史上ながく行われてきたことであるという
話を読んで、それはたしかにそうかもしれないと思った。ゲッベルスのプロパガンダ、ガザ地区の
爆撃、ルガンスク人民共和国ドネツク人民共和国の両国のような近現代史問題はもちろんとして、
イギリスのオーストラリア植民だって無主の地として正当化されていたわけで、べつに今になって
はじまったわけではないと。
 ぼくとしては現代人は世俗主義でいることが難しくなっているように思う。あまりにも情報が
錯綜した時代、なにが真実でだれが正義であるのかというのは「完全に」わからなくなってしまい
(英語でいったらcompletelyがつくくらい完全だ)、大事なのはなんであれなにかに準拠する
精神をもつことになってしまった。根拠も理屈もないが自分が信じようと思ったものについていく、
真の宗教的時代になったような気がしている。
 総じて妄信できる人間のほうが強いのだろうな。

「スポーツ」
 ツールドフランス2021を観賞した。おもしろかった。ポガチャル強い。というか強すぎない?
正直ライバルがいないレベルの無双だったからやけに平穏な気持ちで見られた。
ぼくはフツーに若き英雄ポガチャルを応援していたので…あとカヴェンディッシュ。
ただそれ以上にサガンとマシューズにスプリントをがんばってほしかったからふたりが早々に
けっこうだめっぽくなってからはもう諦めながらみていた。グライペルも今年で引退だし、
この5年で活躍していたスプリンターたちはそろそろ幕引きのころなのだろうか。とか言ってたら
もうきついと言われまくっていたカヴェンディッシュが区間4勝でマイヨヴェーヌ獲得したけど。
 ところでJSPORTSチャンネルでみたけどGCNのほうがハイライトのまとめが断然よかった。
来年はGCNでみようと思う。







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