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過去の自分と向き合うことが陸上競技の本質

「高校までに陸上競技を通して学んだこと」と「環太平洋大学で陸上競技をする理由」についてまとめた新入生レポート。高知高校出身の吉川翔太は、一度は陸上競技から離れながらも、自分の限界を確かめたいとIPUを選びました。

肘の故障がきっかけで陸上へ

私は中学2年の2学期まで野球部で活動していた。しかし、中学1年の終わりに肘を壊し、なかなか治らず「このまま続けても意味がない」と思い、野球部を退部した。退部後、何もすることがなくなり、今後何をするか悩んでいたところ、陸上競技部の顧問の先生に「陸上をしないか」と誘われ、少しやってみることにした。小学校の頃に地元のマラソン大会、中学校では学校対抗の駅伝に出させてもらったこともあり、走ることは好きではあった。初めはお試し程度の気持ちで練習に参加してみたが、思っていた以上に楽しく、周りの人も優しかったため、中学3年生の初めに陸上競技部に入部した。

積み重ねたものが崩れたように感じ

高校の陸上競技生活で得たものはたくさんあるが、その中で最も大きなものといえば「走ることは楽しい」ということ。元々、走ることが好きであったため陸上競技部の入部につながった。陸上を始めてすぐの頃は、大会で走ることがひたすら楽しく、日々の練習にも楽しく全力で打ち込めていたが、高校2年の県大会で目標にしていた四国大会出場に一歩届かず、それまで積み重ねていたものが崩れたように感じた。陸上をすること、また、自分の弱さが嫌になり、陸上部の練習に行くこともなくなった

過去の自分と向きあうことが陸上競技の本質

それから1ヶ月近く、何もない日々を送っていたが、顧問の先生と話し合い、陸上に戻ることを選んだ。再び練習をするようになったとき、周りの人と比べるのではなく、自分の記録、過去の自分により向き合うようになった。それ以降、再び走ることを楽しいと思えるようになり、練習やレースで走ることを楽しく思えた。

自分の限界を確かめたい

やり残したことのひとつは、高校最後の県大会で1位をとれなかったこと。最後の年の目標は県大会で勝つことだったが、2位で終わってしまった。だが、出し切れたこともあり、レースは楽しく走り切れた。もう一つは、大学で陸上を続ける理由にも重なるが、満足のいく程、高校の陸上競技生活を楽しむことができなかった。私の高校は陸上部の中長距離の人数がそれほどいないこともあり、練習では常に自分が引っ張り、他の人と競うことができず、1人で追い込むしかなかった。他のチームの練習を見て、自分も競い合いたいとずっと考えていた。環太平洋大学を選択した理由は、自分よりも速い人がほとんどで、そのような環境で走りたかったこと。高校で足りなかったものを手に入れるために選択した施設、選手のレベルがとても高く、その中で競い、自分の力の限界を確かめたいと強く思った

目標は日本インカレ出場

大学4年間での目標は、日本インカレ出場、また、大学を卒業後に社会に出るため、人として成長すること。日本インカレに出場するために必要なことは、陸上競技者として、今より遙かに力をつけなければならない。まずは、環太平洋大学の代表として走れることができないと日本インカレの舞台に立つことはできない。この目標を達成するために、1、2年は全力で準備をしなければならない。まずは、この大学の練習に早くついていける身体作りに時間をかけていきたい。今はあまり走る練習が満足にできないため、その間に、けがをしないように、身体を上手に使えるように、ストレッチや柔軟、体幹トレーニングなどを多めにやることが必要だと感じる。

4年後に笑って卒業するために

人としての成長は、この大学にはいろいろな人たちがいるため、その人たちと様々なコミュニケーションをとったり、いろいろな分野の勉強や専門的知識を学んで、社会に出たときに貢献できるようにしたい。この目標を達成することで、今までの陸上生活では得られなかった喜びや、達成感、自分の可能性を広げることができる。また、自信をあまり持てない自分でも、自信を持って何事にも挑戦できるような、成長した自分になれると思う。4年後に笑って卒業するために。

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