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Apple Vision Proの衝撃 〜業界を驚かせた10の「まさか」


塚本昌彦(神戸大学)


Vision Proの登場

 2023年6月に開催されたAppleの開発者会議WWDCで驚きの新製品発表がありました.その名も「Vision Pro」,かねてから噂されていた「AR/VRゴーグル」です.ただしAppleは「AR/VRゴーグル」とは呼ばず独自に「空間コンピュータ」と呼ぶ新コンセプト商品としています.単なる高性能AR/VRゴーグルではない業界を根底から覆す数々の「まさか」があり,今後の成否はともかく画期的な挑戦といえますので,本稿では業界を驚かせた10の「まさか」を紹介します.

まさか1:価格は3,500ドル(約50万円)

 多くの人が一番驚いたのはこの価格ではないでしょうか? 今秋発売されるMeta Quest 3やその他のVRゴーグルと比べると相当な高価格ですが,HoloLensやMagic LeapなどのARゴーグルと比べると同レベルの価格帯です.後者は主として業務用製品なので比べられないかもしれません.ハードウェアの中身を見るとこの価格は妥当に思えるのですが,問題はむしろこの価格の商品をAppleが新ジャンルの民生商品として投入してきたという点にあります.一体Appleは何を考えているのか? 以下ではこの謎を紐解いていきます.

まさか2:机上の「ディスプレイ」に挑むとは

 Vision Proの最も衝撃的な点は,机上の「ディスプレイ」に挑んでいる点です.机上でたくさんのディスプレイを使う人がいますが,一般にこれらは大きくて邪魔です.Vision Proを使えばディスプレイは物理的な制約から解き放たれ,物理的な占有なしで自由にどこにでもたくさんディスプレイを配置できるようになる,というのがVision Proの最大のポイントのようです.

 本来,スマートグラスおよびHMD(Head Mounted Display)は,デスク以外の場所,典型的にはアウトドアや作業現場でディスプレイを使うためのものでした.Vision Proはそれを根底から覆しています.「空間コンピューティング」というありきたりの言葉を使っているので分かりにくいのですが,主要ターゲットはARやVRではなく,既存のiPhoneやiPadのアプリケーション,そしてMacのアプリケーション,つまり,動画やゲーム,文書・コンテンツ作成,プログラミング,SNSなどです.

 ここで,机上のディスプレイの見やすさにHMDは敵わないというのが従来の見方です.それに対してVision Proは驚異のハードウェア性能をもって挑んできました.最も重要なのが,片眼4Kのパネルを使って視野角を広げるのではなく画素密度(ppd, pixel per degree)を向上した点です.もちろん実世界もビデオ越しに見えるので,それを直に見るのと同等に見えることにもつながります.

 カメラやプロセッサ,およびそのチューニングも異様に高度なものになっています.視線やハンドジェスチャなどの入力方法は従来のものよりもかなり性能が良くなっているようであり,これらに加えて音声,キーボード,マウスなども使用できます.デスクトップ環境に挑むためにすべてをチューンしてきたという点が1つ目,かつ最大の驚きです.

まさか3:ARゴーグル風でありながらアウトドア利用を切り捨てるとは

 Appleの「Vision Pro」は,アウトドアよりもむしろインドアでの使用に限定しているようです.想定する利用場所には,オフィスや自宅の室内に加え,カフェや新幹線などの乗り物も含みます.アウトドア利用こそARの理想的シチュエーションと多くの人が思っていたのとは対照的なアプローチとなります.

 一方アウトドアで活動しながら利用するのにはあまり適していません.街を歩きながら情報をチェックしたり,ジョギングやスポーツ中にアシストを受けたりすることは想定外だと思います.理由は約90度と言われる視野角の狭さなのですが,ビデオシースルー(VRゴーグルの文脈では「パススルー」と呼ばれます)なので実世界の視野も約90度になります.従来のARゴーグルは画角こそ狭いものの実世界はゴーグルの脇から広く見えているのです.

 実は,設計時にはもう1枚パネルを追加して低解像度の周辺視野を作り出すというメカニズムも考えられていたという噂がありました.製造コストや性能の面から今回は除外されたものと見られます.

まさか4:VRゴーグルに対するアンチテーゼ 〜VR・メタバースよりも実世界を

 光学系を中心とするメカニズムの点では,これまで販売されている多くのVRゴーグル製品(Meta Quest Proなど)と類似しています.従来製品がVRおよびメタバースを主眼に置くのに対して,Vision ProはARおよび実世界を中心に据えている点が異なります.実世界・仮想世界の多段階切り替えや,周辺の人が視野に現れる機能,半透明なウィンドウ背景など,実世界での適用性を重視した多数の独自機能を採用しています.

 一方で,VRやメタバースへのアプローチは他の製品とはまったく異なるものとなっています.以前からの噂通り,AppleはVRやメタバースをそれほど強くは指向していないようです.

まさか5:ARゴーグルに対するアンチテーゼ 〜光学シースルーではなくビデオシースルー!

 既存の多くARゴーグルは光学シースルーを採用していますが,この方式には2つの大きな問題があります.1つは,ハードウェアの制約で視野角が現状の50〜70度程度からなかなか広げられないという点です.もう1つは表現力の限界です.つまり原理的には実世界からくる光の上に光を重ねるので,黒い仮想物体を提示したり,明るい実物体を遮蔽したり,実世界の明るさを制御としたりすることが原理的には困難です.

 一方,ビデオシースルーではこれらの問題は簡単に解決できます.しかし,従来は映像の遅延と視野の不自然さの問題があったため,採用は難しかったのです.それに対してVision Proでは専用の高性能ハードウェアとソフトウェアの作り込みで克服しているようです.また,これまでにない綿密にユーザに特化した販売方法を採用するようです.

 さらに,従来のARゴーグルはなかなかキラーアプリを見出せずにいるなど,さまざまな点で展開が難航しています.Vision Proは前述のような圧倒的なアプリケーションの差により一線を画しています.

まさか6:既存ビデオシースルーARに対するアンチテーゼ 〜超高性能専用チップで一体化

 ビデオシースルーのAR HMDはこれまでにも業務用でCANONやVarjoなどが販売しています.実用的なビデオシースルーを実現するために膨大な計算パワーが必要であり,そのためにこれらは外部の高性能PCとの有線接続が必要でした.しかし,Vision Proはこの大きな計算パワーを直接ゴーグル内に搭載するという驚きのアプローチをとってきました.PC用で用いられている最先端のM2チップと今回独自開発したR1チップという2つの超高性能チップの搭載です.ターゲットアプリが違うという点もハードウェア設計上の重要な違いです.実は直前までiPhoneとペアで利用するという形態が想定されていたという噂がありました.しかし,iPhoneでは計算性能が足りなかったためか,格段性能が上のM2チップを搭載することになったようです.

まさか7:使い方が近い接続型グラスに対するアンチテーゼ 〜10倍価格で超高性能に

 Vision Proの使用方法は,たとえばXreal Light/Airなどのような接続型グラス(該当製品多数あり)が最も近いといえるでしょう.これらは映像やWebなどのスマホアプリをターゲットとしており,主にユーザがソファに座っていたり,カフェや新幹線で旅行している間に利用したりするものです.民生商品としてよく売れているようです.

 Vision Proはこれらの製品と比較して視野角がはるかに広い点と非常に高性能なプロセッサを内蔵している点が大きな違いです.価格では接続型シースルーグラスと比較して約10倍という驚きの設定となっています.これはその高い性能と機能こそ空間コンピューティングの本質であり,そうでないと既存の「ディスプレイ」を駆逐できないというAppleのビジョンでしょう.

まさか8:外部電源への有線接続

 有線接続は身動きを制限するだけでなく,コードが引っかかるなどの危険性もあります.インドアでもドアの取っ手や家の中のさまざまなもの,ほかの人などに引っかかるリスクがあります.しかし,Vision Proは,プロセッサを内蔵しつつも電源を外部に設けるという珍しい設計を採用しています.軽量化のために部品の一部を分離する場合,プロセッサとバッテリを外部配置するのが一般的な設計だからです.これは,主要な使用シーンを,バッテリ駆動よりもデスク上での安定した電源に接続した状態での長時間使用と位置づけているためと考えられます.

まさか9:3D写真・ビデオ

 Vision Proの3D写真・ビデオはかつてないほどのリアリティがありそうです.長年に渡り3D写真・ビデオに関しては多くのアプローチがありましたが,これまであまり浸透してないないのが現状です.Vision Proでは実体験の側をビデオシースルーにするという奇想天外な手段により,3D写真・ビデオを実体験とまったく同一にできます.つまり,恐ろしくリアルな体験の再現を可能にすることになります.単なる体験の再現・共有にとどまらず,新たな映像コンテンツの創出につながるでしょう.

まさか10:名前と形状 〜「Reality」じゃなかった? デカくてびっくりした!

 Vision Proの発表当日,筆者が一番驚いたのはその名前と形状でした.名前について,事前の噂(リーク情報)では,「Reality Pro」または「Reality One」という名前が出ていました.形状についても事前の噂とは大きく異なりました.もっとスリムな形状の噂だったのです.Appleのリーク対策が窺えます.

今後の期待

 Vision Proは2024年初頭に米国で販売が開始され,その後世界へと展開される予定です.日本でも早期に導入される可能性があります.ただし供給数が限られるとの噂のため,多くの消費者が手に入れることができない状況が予想されます.そのため本当の市場での勝負は,2025年にリリースされると噂されている「廉価版」になりそうです.しかし,コンセプトを実現する大幅なコストダウンは難しく,廉価版においても価格は20万円以上になるかもしれません.消費者にとって手に入れやすい価格の製品となるまでには時間がかかりそうです.10の「まさか」の衝撃商品は画期的な新製品か無謀商品か,期待しながら見守りたいと思います.

(2023年7月31日受付)
(2023年8月14日note公開)

■塚本昌彦(正会員)
2001年からHMDの装着生活を続けており,ずっと「来年は大流行する」と言い続けて外している.ウェアラブル分野の産業活性化のための2つのNPOの代表を務める.