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『小山田猿馬奇譚~妖怪ギバ退治』制作・ネタおろし御礼

いっぷく座として初めてストーリーから描いた紙芝居「小山田猿馬奇譚~妖怪ギバ退治」先日ようやくネタおろしできました。
ようやく。まさか構想から三年もかかるとは。それでも描かずにはいられなかったのにはワケがありまして。
兎にも角にも、お暑い中ご来場下さいました皆様、ありがとうございました。

会場 みんなの古民家(町田市鶴川)

物語の舞台は平安時代末期の町田市あたり。当時は馬を育てる牧がありました。
弓馬の時代である。武士の相棒であり流通を支えていた馬。

小山田の牧 馬場跡

町田市に「小山田緑地」という里山の保全地帯がある。平安時代末期にここにあった小山田の牧を安堵されたのが小山田有重という人。歴史マニアでもそうはご存知あるまいが、この人の兄が畠山重能という人で、あの畠山重忠の親父さま。「あの」畠山重忠については今は説明しやすくなって非常に嬉しいのだが、大河「鎌倉殿の13人」で中川大志演じる武蔵の国の英雄。「鎌倉武士の鑑」と言われ、後世の武士の憧れでもあったのではなかろうかという御仁。
義経の鵯越のときに愛馬をかついで谷を下る描写は、浮世絵にも描かれるほど大人気なのである。

つまり、長きに渡り全国にファンを持つ畠山重忠の従兄弟たちが小山田5兄弟。やんちゃ時代にこの町田市で暮らしていたのですよ。治安の悪かった当時の坂東でおらが村を守る為に弓馬の稽古に励み、源平どちらに与すべきかの情勢を重忠と共に見極めよくよく相談し行動した若武者、小山田兄弟。
そんなことをずっと知らずにいたなんて。
何てバチあたりな。

多摩丘陵の民が眺める大山

「昔は山しかなかった所だから、歴史なんて無い」と親世代は話していた。子供心にがっかりしたのを覚えている。親世代の話を鵜呑みにしてしまった過去は変えられないが、この先、己が為すべきことを為さねば次の世代に申し訳がたたない。
地元の歴史は地元が残し伝えねばならぬ。
これは我々世代の責任。

・・・という自分でもいかようにもし難い暑苦しい情熱を抱えながら、つつがない日常をどうにかこなし、ようやく5兄弟が頭の中から紙芝居の物語の中へ旅立ってくれたネタおろしの日。以来、頭の中が少し静かになった。

さて。小山田兄弟。
「小山田」を出て稲毛庄を安堵された三郎は『稲毛三郎重成(いなげさぶろうしげなり)』、同じく榛谷御厨を安堵された四郎は『榛谷四郎重朝(はんがやしろうしげとも)』として、その活躍ぶりが「吾妻鏡」にも記されている。
土地を出ると苗字も変わるから、知らなきゃ兄弟とは分からないのがややこしい。
三郎重成については北条政子の妹を娶るほどに頼朝の信頼を得ており、頼朝上洛に付き従ったその帰路で「妻危篤」の報を受ける。それを聞いた頼朝は三郎に駿馬を与えて急ぎ所領へ戻るよう促した。
若くして妻は亡き人となるのだが、夫の稲毛三郎がまたすごい。その3ヶ月後に出家してしまうのだ。・・・あのー。妻帯3人まで許されていた時代に純愛が過ぎないか?

稲毛三郎重成と奥方の墓(川崎市)

小山田兄弟の活躍はまだまだ続くのだが、まずはこの兄弟の存在を知って貰いたい。鎌倉幕府は教科書に出て来るだけの遠い存在ではなく、おらが村の先人たちも深く関わっていたのだ。その先人たちがどのように暮らしを営み守って来たのか。その先人たちに愛された土地に今、我々は住んでいる。

今よりも人々の心の中に神々が身近に居た時代を生きた兄弟たち。紙芝居で幅広い世代に楽しんで貰えるよう、今回は「妖怪退治」という歴史ファンタジーに仕上げました。

構想から現地案内ほか沢山のヒントと資料を頂戴した歴史古道団の宮田太郎先生、そして『知るほど楽しい鎌倉時代』という名著で当時の社会情勢からリアルな生活様式・風俗までを分かりやすく紹介して下さり、ちょっとばかり的外れな質問にも丁寧にお応え下さいました多賀譲治先生に厚く御礼申し上げます。

小山田兄弟の物語はこの先、講談で是非。

紙芝居いっぷく座
座長 井上直子



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