ナックラー 上

⭐️⭐️⭐️⭐️
(星の数でこの記事のオススメ度を
5段階で評価しています)


皆さんこんばんは
フリックフラックの髙橋壱歩です。


いつも僕の記事をお読みいただき
ありがとうございます。


さて、本日3月26日は
ナックラーの単独ライブ
『HAPPY Re:BIRTHDAY』の日です。


もしかすると
今この記事を読んでくださっている
皆さんの中にも
このライブを見にきてくれた方が
おられるのではないでしょうか。


4月から東京へ行く僕たちと
NSCに入学するナックラーにとって
共演する舞台は
一旦これで最後


そこで本日は
この数年間
散々お世話になり倒した
「ナックラー」というコンビについて
余すことなく
書き尽くせればと思います。


かなりの文量になるとは思いますが

ナックラーファンにとって
ヨダレが出るような
内容にしようと思っているので

ぜひ最後まで
お付き合いくださいませ。



それではスタートです。


スタートとは言ったものの
どこからどこまで話したらいいのか
わからないですね。




ナックラーの源さん
ユウガとは今までどれだけ話したか

5年間くらい交流があるので
書き切れないかもしれないです。


思い出した順に書いていくので
時系列等がグチャグチャになってしまう
可能性が高いですが
まあとりあえず
出会いから参りましょうか




今から4年前の6月末


僕は関西大学の
敷地内にある
大きな教室の中にいました。


周りには100人近くの人々がいて
それぞれが仲の良い人と
談笑しながら
会がはじまるのを待っています。




ではなぜ
僕がそんな場所にいたのか


その理由から少しお話ししましょう。



僕は大学1回生の4月

立命館大学落語研究会
というところに
入部しました。



その落研の行事の1つとして


『関関立お笑い三都物語』


というものが毎年開催されていたのです。


この行事は
関西大学
関西学院大学
立命館大学の
3大学の落研が合同で行う、

落語、漫才、コント、大喜利
などの公演で


ホストとなる学校を
順番に回しており

その年の主宰が
関西大学だったのです。



落研部員たちが
「関関立」と呼ぶこの行事では
代表者が落語をしたり
初々しい1回生部員が初めて漫才をしたり
各大学から選抜されたメンバーが
一緒に大喜利をしたりと
毎年それなりに盛り上がるのですが


この大喜利のメンバーを決めるため、
毎年本番の日の
1週間前の土日に
3大学の全部員が集まって
選考会を行っていました。



この日がその選考会だったのです。



会がはじまる前、
僕はかなりドキドキしていました。



この時点で既に
芸人になることを強く志していた僕


面白い人はいるのだろうか


この状況で他のメンバーに
負けるわけにはいかない



ここで活躍すれば
ある程度色々な大学の人たちに
認知され
チヤホヤされると
先輩から聞かされていたため

肩をブンブン回しながら
選考会がはじまるその時を
今かいまかと待ち構えていました。




程なくして
選考会がはじまりました。



関関立の大喜利というのは
少し特殊で
簡単に説明すると

お客さんからお題とテーマをいただき
数人のグループで
アイウエオ作文をする
というような形式のものでした。


選考会では実戦形式で
色々な部員が入れ替わり立ち替わり
みんなの前に出て
3周ほどアイウエオ作文をし、

最後に各大学の会長が話し合って
メンバーを決めます。



僕は1周目に参加することが決定しました。





そして15分後


項垂れながら元の位置に戻る僕





その時


その日の選考会1週目が
僕の人生で最もスベった瞬間でした。


選考会の1週目で
僕は引くほどスベってしまったのです。


同じく1週目には
その後組んで
約3年間コンビとして活動することになる
元相方もいました。


僕とその元相方は
自大学の落研内では
自分で言うのもなんですが
割と期待されていたのです。


それなのに
なんの結果も残せず
むしろ大スベリを
かましてしまったのです。



あかん、入部早々やってもうた
これは中々取り返しつかんぞ

1回生の6月でこんなにやらかす?
はやない?

もうええわええわ!
はよ終われ!

こんな選考会はよ終わってしまえ!



完全に良くない方向のすね方を
してしまっていました。



僕の思いとは裏腹に
2週目がはじまります。




前に一度



他の記事にも書いたのですが

この2週目には
僕の東京での同居人の1人である
キイロイゾウサンの黒木

浪漫亭弓舞という名前で
関西大学の落語研究会のメンバーとして
参加していました。



可愛いキャラというか
イケメンキャラというか


なんかよくわからないキャラで
ウケていたのを記憶しています。


関西大学近くにある
インドカレー屋の話をしているだけなのに

それだけなのに
ウケていたのです。



2周目は
1周目スベりすぎたショックで
黒木のこと以外
ほとんど覚えていません。



そして3週目がはじまろうとした時


その大きな教室に
ある人物が入ってきました。

汗だくで
目がデカく、顔ガン決まりの
その男性

タオルで顔を拭きながら
教室に入ってくると

「おいガンガン!3周目出てくれ!」

と関西学院大学の落研の会長に
促され、
息つく間もないまま

皆の前に設置されている
椅子に腰掛けました。


汗だくの男性が前に出た

たったそれだけの行動で

関西学院大学の落研部員たちが
少し盛り上がっているのが
初見の僕にも
雰囲気で伝わってきました。



3週目スタート




中国語検定だか
何かの試験を受けていて
遅れてきたと説明した
その男性は
遅れてきたのを物ともせず


何度も爆笑を産んでいました。


3週目には他にも
キャラが濃すぎる人たちが
出ていたのですが
全く埋もれることなく
ウケ続けていたのです。




へぇ〜こんな面白い人もおるんや


2回生か

なるほど先輩なんだな



大スベリによるショックが
まだまだ効いている僕も
思わず笑ってしまったのを
覚えています。






そして選考会が終わり
キイロイゾウサンの黒木も
その汗だくの男性も
大喜利のメンバーに無事選ばれ



僕と僕の元相方はもちろん
選ばれませんでした。





これは後々になって
発覚することなのですが



この汗だくで
爆笑をとっていた男こそ


本日の記事の主役の1人


ナックラーの源さん


だったのです。


落研では皆
落語家のような名前、
高座名というものをつけられ
基本的にそれで呼ばれるのですが

源さんの高座名が

四笑亭 頑丸(よんしょうてい がんがん)

でした。


その時の名残なのか
僕はまだ彼のことを
「ガンガンさん」と呼んでいます。



僕自身がスベったのも
相まって本当に衝撃的な出会いでした。






そこから数ヶ月?
(すいません、
ところどころ時系列が曖昧です)


落研での活動がある程度認められ

写楽斎(僕の落研での高座名)っていうやつ
落語も漫才も結構頑張ってるらしいなぁ

くらいに少しずつ評価が
広まって完全に調子に乗っていた僕
(あの時からよく巻き返しましたよね?)



その日は
「JACK IN THE BOX」
という落研や関西のお笑いサークルの人たち、
学生芸人が出場するバトルライブに
出ることになっていました。


その当時僕は
シンプルテンプルという
コンビを組んでおり
相方は関関立の選考会で
一緒にスベったあの同級生で

彼もまたその時点で一定の評価を
得ていました。


お互いに若さゆえに
調子に乗っていたのか



まあ1位とれるっしょ


くらいの気持ちで
会場に集まり、

まずは点呼


主催をしている落研の先輩が
前に立って説明をします。



説明の中に
1つだけ引っかかることが
ありました。


「今日はね、みんな大学生なんやけど
1人だけ高校生の子が来てくれてます。

この子面白いんで!

みんなよろしく!」




へぇ〜高校生の子がいるのか


熱心やなぁ


お笑いめっちゃ好きなんやろなぁ




少し興味は湧きましたが
僕はそのライブで1位を取ることしか
眼中になかったので
その高校生に話しかけたりはせず

開演時間までの数時間を過ごしました。



そしてライブスタート



そのライブではネタの後に
大喜利コーナーがありました。



そこに高校生の子も出ていて


ぼーっと客席後方部で
その様子を見ていると


高校生の子が大喜利で
いくつか回答をして
あまりウケず

首を捻って
おかしいなぁみたいな表情をし

また回答をし

反応が良くなくて

首を捻る

という流れが続きました。




僕は思いました。



面白いのになぁ

あんまウケへんなぁ


ていうかこの子
めっちゃトガってるやん

態度悪っ!


周り全員大学生やのに!


なんやこの子!




この高校生こそ
のちの

ナックラーのユウガ
だったのです。


(すいません。
ちゃんと細かいところまで
書こうとしすぎて
出会いまででこんなにも
文量を使ってしまいました。)




この時点で僕はナックラーの2人と
出会っていましたが

ナックラー同士は
顔も名前も知らないというような
状態です。




時は流れ、

僕にとって2度目の関関立の時期が
やってまいりました。




この数ヶ月間、
様々な他大学の落研部員と
交流を持っていた僕


1回生の関関立で
源さんとはじめて出会い、
完全に自分がスベったせいにも関わらず

源さんのことを
少し怖いなぁという苦手意識を
持っていたのですが

話すうちに仲良くさせていただくように
なっていました。


そして5月ごろの事でしょうか

僕は思い切った行動に出ます。



源さんに
関関立で一緒に漫才をしてくださいと
お願いしたのです。


源さんは快くオッケーしてくださいました。



落研業界の中では
基本的に何をやってもいいので
学内で
コロコロと相方を変えたり、
色々な人と漫才やコントをするというのは
割と誰もがしていて
当たり前のことなのですが

他大学の
ましてや先輩と漫才をするという例は
完全にレアケース

ネタ合わせの時間なども
満足に取れないにも関わらず
このように
二つ返事でオッケーしてくれることなど
滅多にありません。



そして3年前の6月

僕は源さんと
シンデレラシンドローム
というコンビで
アンパンマンのネタをしました。


つまり源さんは
僕の元相方でもあるということです。


これは完全に僕主観の意見なんですが
これを機に僕は
源さんと急速に距離を縮めることが
出来たと勝手に感じています。





このままだと
相当な文量になってしまいそうなので
要所要所だけ
噛み砕いて書いていきましょうか



そこからユウガとは
大阪のインディーズライブで
一緒になったり
学生芸人のライブで共演したり

源さんとは飲み会で会ったりと

交流は絶えずありました。



で、よく覚えてないんですが

ユウガが何かしらの
お笑いに関するサークルに入りたいと言い出して
僕の所属していた落語研究会に
入って欲しいなとも思っていたんですが

うちの落研は
大学が違うと入れないシステムだったため
入部してもらうことができず、
気がつけばユウガは
関西学院大学の落語研究会に入っており


また気がつけば
2人はコンビを組んで
ナックラーになっていたのです。




そこから
僕の前のコンビ
シンプルテンプルと
ナックラーは
幾度となくライブで一緒になり

バトルライブでは
もちろん競い合い
ユニットライブでは
具体的に競い合う基準はないまでも
僕は勝手にずっと意識し続けていました。



ナックラーの2人がどう思っていたのかは
わかりません。


でも僕は確実に
意識し続けていました。




そして僕は
あるとき気が付いてしまったのです。



あれ?


なんか負け越してない?



バトルライブでは
勝ったり負けたり
している事実はあるのですが

なぜか負け越しているというか
ずっと薄く負けているような
感覚が僕の中ではあったのです。


なんかねバトルライブなんて
年に何回もあるわけですから
1回1回の結果にそこまで
左右されたり
意識しすぎたりするのは
僕は精神衛生上あまり良くないし
今後につながらないと思っているんですが
それにしても肌感覚的なもので
負けているのは
心地が良くないわけです。



そして僕たちは大きな転機を迎えます。



あれは3年くらい前の出来事でしょうか


東京で行われた学生芸人の大会に
僕の前コンビ、シンプルテンプルと
ナックラーが
数少ない関西勢として
出場していました。


関東勢が多くて肩身の狭い中、

待ち時間が長かったその大会において

僕と僕の元相方、
そしてナックラーの2人は
会場近くの喫茶店で
一緒に時間を潰したりしていました。


別にお互いに
何を話すわけではないんですが
僕は勝手に意識しまくっていました。


今回でお互いの命運が分かれるわけではない。


しかし、確実に
結果は出る。


今までずっと曖昧な勝負を
続けてきた。


今回も曖昧な勝負になるのか?


それならそれでいい。


すぐ決着がつくわけではないし



みたいな複雑な感情のまま
僕たちも
ナックラーも
出番を終えました。




数時間後


結果発表

この時点で
決勝進出コンビが発表されます。



続く








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