俺の感受性ならば尾崎

何の気なくFacebookを立ち上げた。
Facebookのタイムライン?フィード?のシステムがあまり分かっていないが、表示されている投稿が前回見たときとほぼ変わっていないことがしばしばある。
TwitterやInstagramに慣れている自分としてはデジャブが起きたかのような見慣れた投稿(特に職場関係の人)を見るたびにもやもやする不毛なルーティンを繰り返すのだが、この日はいつもと違った。

初恋の相手が誕生日を迎えていた。
確かにそういえばこの日だったよな、と記憶から薄れかけていた思い出を呼び起こしていたが、初恋の相手と思わしき表示されている名前がどうも自分が知っている名前と違っている。
僕の知っている"彼女"は、知らない人に変化(へんげ)していた。

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"彼女"との出会いは、小学3年の始まりと同時に訪れた桜が咲き誇る日だったように思う。
当時通っていた学校は1年ごとにクラスが変わり、後に引っ越した時の学校は2年ごとにクラスと担任が変わるシステムだったので地域によって違うのか…と驚きを隠せなかったことは一旦置いておいて。
僕のクラスに転校生が3人やってきた。男子が1人、女子が2人。
最終的に3人と仲良くなるあたり小学生のコミュニティは純粋だなと今改めて思うが、その内の1人が"彼女"だった。

"彼女"は僕の席の隣に座った。女子と初めて会う人に緊張する生まれながらの人見知りな僕は、不運なことに両方が揃ってしまい”彼女”に向かって挨拶も何も話せなかった。(覚えがある)
ただやはり男子だろうと女子だろうと転校生のことは誰しも最初気になって仕方がないので、僕もそれにならって右方向に首を傾けちらっと伺うと、”彼女”の頬が涙で濡れて手で目を覆っていることに気付く。
転校で環境やコミュニティが変わり、不安だったのだろう。みんなが自分に注目していることも恐怖を覚えていたのかもしれない。
初めて会う人がいきなり泣いていることを驚いてしまい話しかけることも気遣うこともできず、そして同時にその時人生ではじめて「一目惚れ」を実感した。

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程なくして僕と”彼女”の共通点がいくつか見つかった。
妹同士が同い年で、学校終わりに校内にある学童的場所でよく一緒になる。
遊んだり宿題をしたり本を読んだり、いま思い返せば幼いながらも”彼女”との青春を満喫していたような感覚に襲われる。
冒頭の転校生2人とも仲良く、その他クラスメイト同士で遊ぶことも薄っすらとした記憶の中に保存されていた。

遠足に行くときの思い出で、ひとり余っていた僕を気遣ってくれたのか”彼女”が女子グループの中に招き入れてくれたことがあった。
自分以外女子しかいないのは家に帰れば日中は母親と妹2人がいる環境で育ってきた僕からすれば苦なんてものはなかったけれど、移動中にお手洗いに立ち寄る際に女子みんなが行ってしまい、ぽつんと独りで待つことになる経験をしたことは当時にしては少し早い体験だったかもしれない。

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小学4年になると”彼女”とクラスが別れてしまい、4年から部活動に入れるようになったので、当時は野球少年だった僕も野球部の活動に参加するようになり学童的場所に行く時間も減ってしまった。
話すことはもちろん会ったりすれ違ったりすることも無くなってしまい、失恋に近い感覚を覚えた僕はどうすればこの状況を変えられるのか考える時間が増えていく。
会って話すのが難しい、けれど何か話したい。アオハルかよ。
手紙を書いて渡したいと思ったもののなにかの手違いで誰かに読まれるのも恥ずかしいかもだけど、ええいままよ!と"彼女"のクラスが授業移動をしている最中に教室へ忍び込み、"彼女"の机の中にしたためた手紙をそっと置いてきた。

それからある程度の月日が経ったころだったと思うが、僕とクラスメイトで”彼女”とも仲が良かった女子が手紙を渡してくれた。
あわてて中を開いて見てみると、"彼女"の字で書かれた文字が連なっていた。しかし漢字でもなく、ひらがなでもなく、ローマ字で綴られていた。

その頃よりちょっと前から僕は近所の友だちの影響で公文に通うようになっていた。苦手な算数と、あと何故かは分からないけど英語を学んでおり、学校の授業でローマ字を書く授業が当時あった覚えがあるが僕はそれよりは先駆けてすらすら読み書きできる所まで達していた。
だから多分”彼女”も覚えたてのローマ字を使う楽しさも併せてチョイスしてくれたのかと思うし、周りからパッと見て何が書かれてるか分からないようにカモフラージュしてくれたのだと思うと、そのキュートな心遣いに再び好きになるのも無理はない。

その後も何度かローマ字で文通を交わし合う2人だけの思い出を作っていた。当時のあの手紙はさすがに処分してしまったのかもしれない。今後、僕がひょんなことで世間から評価され記念館が立つような存在になった時そのローマ字で綴られた手紙を複数枚飾られるような辱めを受けることはないだろう。
それでも10歳当時の恋とも愛とも例えにくい青春の1ページは、僕の親の転勤に伴う引越しで終わりを迎えてしまった。

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それから10年以上の長い時間が経つ。
社会人3年目のある日、彼女にフラれて仕事も追い込まれるようなことがあり何をしていいのか分からなくなる時期があった。(前にも書いた)
彼女にフラれる位までいけば他のことは大抵つらくないだろうという変なメンタルになり、そういえば”彼女”はいま何しているんだろうか?と咄嗟に思いついたことからFacebook経由で連絡してみた。
少しした頃に返信が届き、さすがにダメ元で送ってみた僕は変な声が出かけるくらい動揺していた。
お互いの近況を共有しあい、大学は上京してきていたが今は地元に戻って働いていることを教えてもらったことからつい勢いで言葉が出てしまった。

「今度そっちに遊びに行くので、もしよかったら会ってくれない?」
”彼女”からの答えはYesだった。

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”彼女”は学芸員になるため県外の美術館で働いていることを聴き、「遊びに行く」といっても”彼女”と会う以外は何の予定もなかった僕は会う前日にその美術館に立ち寄ることにした。それを除いても素敵な美術館で、外観からユニークな造りになっていたり展示物も見どころが多く時間を忘れて楽しむことができた。
ショップに立ち寄り何を買おうか物色していたところ、レジの方に見覚えがある顔立ちの女性がいることに気付き「はっ」とした。
”彼女”との10数年ぶりの再会。
自分から前日に乗り込んできておきながら非常に緊張していたことは今でも鮮明に覚えている。そして僕だとバレていた。美術館に似つかない20代の男がひどく動揺していたら当たり前だろう。
会計中にいくつか会話を交わしたが、さすがに仕事中だったので気を遣って早めに切り上げ宿泊予定のホテルに戻るよう最寄りのバス停までそそくさと退散していった。

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翌日の朝は早めに起きた。というよりホテルのベッドは普通寝心地が良いはずなのだが、深い眠りにつけないほど緊張していた。
チェックアウトを済ませ待ち合わせのスポットに向かうまでゆっくり遠回りしながら移動しても早めに到着してしまい、はやる気持ちをひたすらに抑え込んでいたところに”彼女”との一日ぶりの再会を果たす。
近くのお店でお昼ごはんを食べ、リサーチしていたカフェに訪れて思い出話に花を咲かせ、前述の遠足でも登った「テレビ塔」に一緒に登って記念撮影をしたり、色んなところを歩いたり立ち止まったり休んだり、フラれた彼女以上にデートを満喫していた。

これは感覚的なものだが時間というものはあっという間に過ぎてしまうもので、”彼女”と過ごす時間も終わりを迎えてしまった。
「また連絡するね」と言い交わし、ハイタッチした後に改札に向かう。
ここを過ぎたらもう終わってしまうぞ。
ドラマだったら引き返して手を引いてそのままどこかへ駆け出していくぞ。
あるいは”彼女”が急に服の袖を引っ張って引き戻してくれるかもしれないぞ。

もちろんそんなことが起こることもなく新幹線に乗り込み帰京していった。
その日から何日かはLINEを交わしていたが、少しずつペースも減り、誕生日にメッセージを送り、そして止まってしまった。
距離的な問題も、休日の違いも、思い当たる要因はあるけれど何よりも「初恋が実らず完全に終わってしまうことへの恐れ」が胸の中から離れなかったのかもしれない。

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そして冒頭のFacebookを見た現在の時間に戻る。
名字が変わっていること、別の方とのやり取りで今は地元から離れて暮らしていること、など勝手な推理をすれば何となくの答えが見えてくる。
ただしそれが真実かどうかは本人に確認してみなければ分からないし、それをわざわざ聞き出すのも野暮な話である。
思い出はそっと胸の中にしまっておき、ときどき覗き込んで浸るのが良いのだろう。
でも今日だけは、尾崎豊を流しながら記憶を振り返り(タイトル回収)、思い出を約4000字に変化(へんか)させて形に残しておきたいと思った。