2022年筑波大日本史第1問答案例

摂関政治は、幼い天皇の政務を代行する摂政と、成人天皇を後見する関白が天皇ととも太政官を指導して国政を主導した政治をさす。摂関は藤原氏の氏長者を兼ね、天皇の外戚として、天皇との信頼感のもとに公卿を指揮して太政官を基盤に政治を運営し、重要国政は陣定において、公卿各自の意見が求められ、天皇の決裁の参考にされた。9世紀中頃、藤原良房は承和の変などで他氏を排斥して台頭し、清和天皇の外祖父として初の摂政となり、9世紀末、藤原基経は光孝天皇の関白となった後、宇多天皇が即位した際、阿衡の紛議により、関白の政治的地位を確立した。10世紀中頃、藤原忠平が朱雀天皇の摂政・関白に就任したことで、摂関の制度が定着し、10世紀後半に安和の変が発生して以降、藤原北家の地位は不動のものとなり、摂関が常置された。その後、摂関家内部の対立を経て、藤原道長の時期に摂関政治は全盛期を迎え、藤原頼通は3代約50年にわたり、摂関を務めた。(400字)

太字は指定語句

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