2017年北大日本史論述答案例

大問1
問8→山川『詳説日本史』に酷使の記述があるので、そこから時間が足りないことが思いつくかどうか
答案例
 和人商人がアイヌを酷使し、農作業に割く時間がなかったから。(29字)

問9…教科書に記述はない。答案例①が書ければ十分である
答案例①
 北海道とアメリカ合衆国は緯度が近く、自然環境が類似しているうえ、アメリカが北海道と同じように農地が広いから。(54字)

答案例②
 北海道とアメリカは自然環境が類似しており、アメリカ式の大農法が適している上、アメリカ同様、移民による開拓を計画していた。(60字)

大問2
問2…摂関家が院政期に入って何を失って衰退していたのかを考える。
答案例
 天皇の後見役としての地位や人事権が院に移り、その下で院近臣が権力を保持していた。(40字)

問4:貴族社会の内部対立が武士の武力によって解決されたことで、この後、武家政権が成立する起点となった。(48字)

問7…山川『詳説日本史』
 一国内の荘園や公領の年貢の半分を軍事費として、守護が徴収することを認めた。(37字)

大問3
問3⑵:中国の冊封体制を模倣し、琉球国王の代替わりごとに就任を感謝する目的で派遣された。(40字)

太字は指定語句

⇒ 冊封の使い方が難しいが、華夷変態が知識としてあり、琉球王国の使節が異国風の装いを強制されたことと合わせて考えれば、謝恩使・慶賀使は将軍が異国を従えていることを示す、つまり、中国の冊封体制を模倣していたという観点で冊封の指定語句を使えばよいだろう。

問6⑵
答案例①…山川『詳説日本史』ベース
 朝貢と明への出兵の先導を朝鮮が拒否したことを受けて、豊臣秀吉は2度に渡り朝鮮出兵を行った。(45字)

答案例②…山川『新日本史』ベース
 朝貢と明征服の先導を朝鮮が拒否したことを受けて、豊臣秀吉は2度に渡って、朝鮮出兵を行った。(45字)

大問4
問3…字数指定なし
答案例①
 福岡案には大名の意見を政治に反映させる公議政体論が含まれているから。

答案例②
 福岡の案からは官僚から庶民に至るまで、広く意見を求めようとする公議政体論が読み取れるから。

設問要求…下線部Cのようにいえる理由
 下線部C…福岡案は土佐藩の議会派的主張を含む別個の案
  福岡案…土佐藩の主張を含んでいるが、別個の案でもある→問いの型は対比

 土佐藩…大名の意見を政治に反映させる公議政体論(山川『新日本史』)
 福岡案…身分を問わず、広く意見を求めようとしている(官武一途庶民に至る迄…)

答案例③(最新版)
 福岡案は大名の意見のみならず、身分を問わず、広く意見を募り、政策に反映させようとしているから。

受験生ならば
「福岡案には大名の意見を政治に反映させる公議政体論が含まれているから」で十分。
→「含まれている」がポイントで、読み取れるだけではだめで、別個であるという点を何らかの形で示すことが大事。ベストは答案例のように、何が異なるのかを書くべきだが、受験生には厳しいでしょう。

問4…80字~100字以内
 現在の歴史教科書は自由民権運動の隆盛に影響を受けた藩閥政府が主導して、憲法を制定したとする。これに対し、尾崎は五箇条の誓文を例に、明治初期以来、一貫した明治天皇の意向で憲法が制定されたとしている。
(98字)

問5…80字~100字以内
 現在、大日本帝国憲法における臣民の権利は法律の範囲内に制限されることを問題視し、評価が低い。これに対し、尾崎は君主の権限と義務、人民の権利を条文で保障した初めての憲法であると高く評価している。
(96字)

問8:総選挙において、普通選挙実施に消極的な政友会が圧勝したから。(30字)

設問要求…新時代が眼前髣髴たるという予想が外れた理由
新時代は何か
 ①…1段落冒頭に「普通選挙示威運動も…静粛に行わ」とあり、それを「至極結構」としている。
 ②…2段落。1919(大正8)年2月のある会。演説者が尾崎行雄。最終行に「憲政の神に復活し、人心は憲政擁護当時の熱狂に立還り」。「憲政擁護当時」とは第一次護憲運動をさすことは明確。
→新時代とは大正デモクラシーの風潮自体を指すと考えてよい。

ということは、設問要求は大正デモクラシーの流れに逆行するような1920年の出来事を考えろということになる。
問7で下線eの内閣が原敬内閣であることと合わせて考えれば、普通選挙に消極的な原内閣が選挙で大勝したことを指すと考えてよい。
なお、1919年2月に行われたこの大会は東京の学生2000名による普選実施要求示威大会であり、原内閣期に盛り上がった普選運動の口火を切った大会として有名である。

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