2022年筑波大日本史第3問答案例

幕末期、朝廷に対し、幕府はペリー来航を報告し、通商条約調印の勅許を求めたが、攘夷派の孝明天皇の勅許は得られず、幕府は無勅許で安政の五カ国条約を調印した。この影響で悪化した朝幕関係の融和を図るため、幕府は天皇の妹和宮を将軍徳川家茂の妻に迎えることで、公武合体を実現しようとし、京都町奉行所の役人を通じ、左大臣に働きかけたが、公武合体自体は結構なことであるが、和宮は有栖川宮との婚約があるので難しいとした。幕府はその後も関白や関白の家臣を通じて、たびたび、和宮降嫁を働きかけ、桜田門外の変後も老中安藤信正らが関白に老中連署の書簡を提出し、降嫁を働きかけるなど、公武合体を熱心に推進した。これに対し、孝明天皇は和宮が婚約していることに加え、和宮が幼年であること、外国人が集まる関東に赴くことを和宮が恐れていることを理由に降嫁を拒否したが、その後、幕府による攘夷実行を条件に降嫁を認め、朝幕関係は改善した。(399字)

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