2018年首都大学東京日本史答案例

大問1
問1.乙巳の変 
問2.天武天皇の時代には、八色の姓が制定され、富本銭が鋳造された。持統天皇の時代には、天武天皇の時代に編纂が開始された飛鳥浄御原令が施行され、庚寅年籍が作成され、本格的な宮都である藤原京への遷都が実現した。(100字)

問3.全国的な人民・田地の調査や統一的税制の施行を目的として、新たな地方行政組織の評が地方に設置された。(49字)

大問2
問1.後鳥羽上皇が北条泰時追討を命じて発生した承久の乱に鎌倉幕府が勝利したことで、それまでの朝廷優位の二元支配の状況から、幕府優位の二元支配の状況に変化し、幕府が皇位継承や朝廷の政治に干渉するようになった。(100字)

問2.寺院の名称:建長寺 制度の名称:五山・十刹の制 

問3.日蓮は自らの教えのみが正しいと他宗を激しく攻撃し、教えを信仰しないと国難が到来すると予言したから。(49字)

問4.鎌倉公方を関東管領が補佐していたが、享徳3年の乱を契機に、鎌倉公方は古河公方と堀越公方に分裂した。(49字)


問1.徳川家康は金座・銀座を設置し、金を原材料とし、額面に記載された価値で使用する計数貨幣の慶長小判と、銀を原材料とし、重さを計って価値を決めて使用する秤量貨幣の慶長丁銀の鋳造を命じた。(90字)

問2.近世初頭、永楽通宝など中国からの輸入銭や私鋳銭など多様な銭貨が混同していた。徳川家光は銭座を設置し、銅を原材料とする錢貨の鋳造を命じ、大量に鋳造された寛永通宝は全国に供給された。(89字)

問3.明治政府は新貨条例の制定により、十進法を採用し、円・銭・厘を単位とする金貨を鋳造して、金本位制を建前とした。しかし、国内では紙幣、開港場では銀貨が主に用いられたため、実際には金銀複本位制が採用された。(100字)


問1.ロシアとの外交交渉によって、ロシアに対して満州経営の自由を認める代わりに、日本の韓国に対する優越権を獲得する日露協商論は、元老の伊藤博文などによって主張された。(80字) 

問2.山東半島の権益はパリ講和会議の結果、日本が継承したが、中国民衆が反日運動を展開した。その後、アメリカと協調するため、ワシントン会議の際、英米の仲介に基づき、権益を中国に返還する条約を締結し、決着した。(100字)

問3.軍部大臣現役武官制は、現役の大将・中将以外は陸・海軍大臣に就任できない制度。軍が大臣の候補者を内閣に推薦しなければ、内閣の成立・存続が困難になるため、以後の諸内閣に対して、軍が介入する背景となった。(99字)

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