2018年北大日本史論述答案例
大問1
問1⑵
答案例①
隋が大陸を統一し、高句麗遠征を実施する中、推古朝は儒教や仏教など大陸の先進文物を取り入れることで、天皇中心の政治体制を整えることを企図した。(70字)
答案例②
隋が大陸を統一し、高句麗遠征を実施する中、推古朝は儒教により天皇と豪族の上下関係の明確化を図り、仏教により天皇中心の中央集権化を企図した。(70字)
問2⑴…山川『詳説日本史』ベース
格は律令制定後に出された律令の規定を補足・修正する法のこと。(30字)
問4:政府の財政難により、給与支給が滞る中、下級官人は家人となり、院宮王臣家による私営田の確保・経営に協力して、自らの経済基盤を確保しようとした。(70字)
問6…山川『詳説日本史』ベース
庸の全てと調の半分が免除されたから。(18字)
大問2
問3
答案例①…55字以内
明治政府は神武天皇を創業者として位置付けており、秋田家の先祖が神武天皇に抵抗している点が不都合だった。(51字)
答案例②
秋田家の先祖は神武天皇に抵抗した人物であり、その子孫が皇室の藩である華族として、ふさわしくないから。(51字)
問7:将軍の地位と権威を高める意図があり、大君の称号が国王の称号よりも低いことを嫌った。(41字)
大問3
問6⑴…字数指定なし
殉死とは自分が仕えた主人が死んだ後に、後を追って死ぬこと。
問6⑵…80~100字
殉死の禁止は主人の死後、後継ぎの新しい主人に仕えることを意味したため、武士の主従関係は個人と個人の関係から家と家の関係に変化した。そのため、主家と家臣の家との関係が固定化され、下剋上の否定に繋がった。
(100字)
大問4
問2:樺太をロシア領とし、得撫島以北の千島列島を日本領とした。(28字)
問4:二十一カ条の要求の中で期限の延長を中国に認めさせたから。(28字)
問8:昭和恐慌の中で、米・繭など農作物の価格が大幅に下落し、農村の困窮化が進んでいた。(40字)
→ 註から1934年→1930年代と読み取り、昭和恐慌の記述をすればよい。
問9:長野では養蚕・製糸業が盛んで、繭・生糸の売買を通じ、金銭感覚が身についたから。(39字)
問10 :この政策は貧農の救済にはつながらなかったが、地主らの利益となったと見ている。(38字)
→ 設問文に下線部iを肯定的にみているとあるから、答案は肯定的になるように書きたい。
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