2019年九州大日本史答案例

大問1
6世紀に百済から伝来した仏教は大陸の先進文物と捉えられる一方、異国の神と人々に理解され、その受容に賛否があったことがaからうかがえる。6世紀末以降、蘇我氏や皇族が仏教を信仰する中、eに見られるように刺繍・彫刻など大陸の先進文物が受容されるとともに、祖先の冥福を祈る役割を仏教は期待され、そのために氏寺が建立された。7世紀後半以降、律令国家形成とともに鎮護国家の役割を期待する朝廷は仏教を本格的に保護する一方、8世紀前半に活動した行基のような民間布教を展開する僧侶の存在を、自らの民衆支配を揺るがすものと朝廷は危険視して、弾圧したことがdからうかがえる。8世紀中頃の疫病流行や戦乱発生により社会不安が増大すると、朝廷は従来の方針を転換し、大仏造立事業に行基を含め多くの人々の協力を仰いだことがaからうかがえ、仏教に期待された鎮護国家の役割がより一層重視されるようになった。9世紀に唐から密教が流入すると、貴族たちは鎮護国家に加え、現世利益の役割を密教僧の加持祈祷に期待した。10世紀以降、災厄などの社会不安が相次ぐ中、密教に加え、bに見られるような来世での極楽往生を願う浄土信仰が貴族たちの間で流行した。(500字)

大問2
問1ア:石築地(石塁) イ:南宋  ウ:鎮西探題 

問2 鉄製農具や牛馬耕、刈敷・草木灰などの肥料が普及したことを背景に、米の裏作として麦を栽培する二毛作が、幕府が麦に税をかけないこともあり、畿内・山陽道で一般化した。(80字)

問3:十三湊  問4エ:雪舟 オ:大和絵 
問5:①C(北山文化期) ②A(東山文化期) ③B(桃山文化期)

問6:8代将軍足利義政の時代に、細川勝元と山名持豊ら有力守護の権力闘争に、管領家の斯波・畠山氏の家督争いや足利義視と足利義尚の将軍後継争いが絡む形で、京都を戦場とする応仁の乱が発生した。(90字以内)

大問3
問1:シーボルト  問2:町火消  問3:勘定奉行 
問4:早い場合、油の量や回数が少なくて済み、肥料にもなる。一方、遅い場合、油の量や回数が増える上、蝗の完全な駆除が難しい上、稲の成長も阻害する。(69字)

問5:適塾(適々斎塾) 問6:大村純忠  
問7:家老       問8:指出検地 

問9 山川『新日本史』ベース
 後水尾天皇が紫衣勅許を乱発していたことに対し、幕府が禁中並公家諸法度に違反しているとして勅許を無効とし、抗議した大徳寺の沢庵らを処罰した。(69字)

大問4
問1:立憲政友会  問2:山県有朋  問3:鞍山製鉄所 
問4:加藤高明   問5:西園寺公望

問6:主力艦の建造禁止が5年間延長され、補助艦の保有制限対英米約7割がロンドン海軍軍縮条約で定められた。(49字)

問7ウ:五箇条ノ誓文  問エ:万機公論  問8:政体書

問9:天皇が現御神(現人神)であるとする思想を昭和天皇自らが否定したから。(29字)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?