2022年筑波大日本史第4問答案例

答案例①
日中戦争の長期化に伴い、ナチ党やファシスト党にならい、近衛文麿を中心に強力な大衆組織を基盤とする全体主義的な一国一党体制を樹立して、強力な戦争動員を可能にし、日中戦争の解決を図ろうとする主張が、近衛側近の後藤隆之助らから出ていた。第2次世界大戦のヨーロッパ戦線においてドイツ優位となる中、国内ではドイツと同盟を結んで南進すべきという主張が陸軍を中心に台頭した。これを機に新体制運動の先頭に立った近衛は、第2次内閣を組織した後、北部仏印進駐と日独伊三国同盟締結を実現し、大政翼賛会を結成すると、運動の実質的な主導権を握る思惑ですでに解党していた社会大衆党など諸政党は合流した。しかし、一国一党は天皇の統治権に抵触するとの批判から、大政翼賛会は戦争や経済統制などの国策に国民の協力を働きかける上意下達機関と位置付けられた。その後、近衛内閣は内閣情報局を設置して思想統制を強化し、挙国的な世論形成に努めた。

答案例②
日中戦争の長期化に伴い、ナチ党やファシスト党にならい、強力な大衆組織を基盤とする全体主義的な一国一党体制を樹立して、強力な戦争動員を可能にし、日中戦争の解決を図ろうとする主張が存在し、第2次世界大戦のヨーロッパ戦線においてドイツ優位となる中、国内ではドイツと同盟を結んで南進すべきという主張が陸軍を中心に台頭した。これを機に側近の後藤隆之助とともに新体制運動の先頭に立った近衛は、第2次内閣を組織した後、北部仏印進駐と日独伊三国同盟締結を実現し、大政翼賛会を結成すると、運動の実質的な主導権を握る思惑ですでに解党していた社会大衆党など諸政党は合流した。しかし、一国一党は天皇の統治権に抵触するとの批判を受けたため、大政翼賛会は政党ではなく、戦争や経済統制などの国策に国民の協力を働きかける上意下達機関と位置付けられた。その後、近衛内閣は内閣情報局を設置して思想統制を強化し、挙国的な世論形成に努めた。(400字)

太字は指定語句。
後藤隆之助の使い方は難しい。思想動向にこだわらず、指定語句から大政翼賛会成立にいたる経過を説明したい

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