2014年東大日本史第2問答案例
答案例①
乱以前、守護は守護代や家臣とともに在京していた。在京した武士は文化の担い手となり、文化人を庇護する者も現れ、武士と公家や禅僧などとの交流が公家文化と禅宗・武家文化の融合を進展させた。乱後、戦乱の拡大に伴い、守護の在国が基本となる中で、文化人を任国に招いて庇護し、自らの城下町に京都の文化を定着させた。(150字)
答案例②
乱以前、守護を務める大名は守護代や家臣とともに在京し、武士は文化の担い手となり、文化人を庇護する者も現れた。武士と公家や禅僧などとの交流が公家文化と禅宗・武家文化の融合を進展させた。乱後、戦乱の拡大に伴い、大名の在国が基本となる中、文化人を任国に招いて庇護し、自らの城下町に京都の文化を定着させた。(149字)
答案例③
乱以前、守護や守護代、守護の家臣など在京した武士は文化の担い手となり、文化人を庇護する者も現れた。武士と公家や禅僧などとの交流が公家文化と禅宗・武家文化の融合を進展させた。乱後、戦乱の拡大に伴い、守護の在国が基本となる中、交流のあった文化人を任国に招いて庇護し、自らの城下町に京都の文化を定着させた。(150字)