2019年首都大学東京日本史答案例


問1.北海道の十勝や白滝産の黒曜石を使用した石器が、青森県の三内丸山遺跡から発見されており、海を越えて移送されたと想定される。(60字)

問2.釣針・銛などの骨角器や石錘などのおもりを伴った網を利用した漁、丸木舟を利用した沖合での漁が行われた。(50字)


問1.玄昉や吉備真備の重用に不満を持つ藤原広嗣が反乱を起こし、その影響で都が移るなど政治が混乱し、天然痘や飢饉の発生などで社会不安が増大する中、仏教の鎮護国家思想に基づき、国家の安定をはかる目的で行われた。(100字)

問2.院宮王臣家と課丁の結びつきが強まり、戸籍に登録される課丁が減ったことで、戸籍に基づく調庸の徴収は困難となった。政府は国司の守である受領に権限を集中し、土地を基礎に受領が負名から徴税を行う体制を整えた。(100字)


問1.足利義満は国書を持たせた使節を派遣し、明皇帝から日本国王の称号と明の暦を与えられた。これにより、日本は明の服属国となり、明から与えられた勘合を持参し、朝貢品の返礼として、品物を受け取る形式の貿易が始まった。日本側の滞在費・運搬費を全て明が負担したため、日本は大きな貿易利益を得た。(140字)

問2.豊臣秀吉は明皇帝に対し、明皇帝の娘を日本の天皇の后とすること、断絶していた勘合貿易を再開すること、朝鮮八道のうち、四道と都を返還する一方、残りの四道を日本に割譲することを要求した。(90字)


問1.村田清風指導の下、多額の借財を整理し、紙・蠟の専売制や越荷方設置などの改革を進めた長州藩は、財政再建に成功し、雄藩として、幕末の政局において強い発言力を持った。(80字) 

問2.工部省は新橋・横浜間に鉄道を敷設し、鉱工業・通信の分野で官営事業を展開した。損失の多い事業の払い下げを目的に工場払下げ概則を公布したが、払い下げが進まなかったため、概則を廃止して、払い下げを促進した。(100字)


問1.立憲政友会総裁で初の本格的政党内閣を組閣した原敬は、衆議院議員最初の首相だったため、平民宰相と歓迎されたが、普通選挙には慎重で、選挙権の納税資格を3円に引き下げ、小選挙区制を導入し、衆議院を解散した。(100字)

問2.国体明徴声明により、天皇機関説は否定され、大日本帝国憲法は天皇主権説で解釈するようになり、政党政治や政党内閣制は理論的支柱を失い、軍部の政治的発言力が強まった。(80字)

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