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思いやりが裏目に?無意識の偏見が招く差別

みなさん、こんにちは。今回取り上げたいテーマは、無意識の偏見=アンコンシャス・バイアスです。無意識なので、誰にでもある思い込みなのですが、それが偏見に繋がっているという、ちょっと怖い話です。

今回参考にした書籍は、北村 英哉さんの「あなたにもある無意識の偏見 アンコンシャスバイアス」です。
性別や年代を問わず、誰もが持っている無意識の偏見に気づくことで、致命的な失敗を防ぎ、人間関係を良好にするための対処方法を教えてくれる良書です。本書を読んでみると、きっと誰にでもいくつか心当たりのあるテーマが載っていると思います。むしろ「これって偏見なの?事実じゃないの?」と思ってしまった自分もいました。自分を第三者視点で見ることができる良い本だと思います。

自立する女性に対するモヤモヤの正体

「キャリアウーマン」という言葉に、皆さんはどんなイメージをお持ちですか?個人的には「最近聞かなくなった言葉」に感じますが、本書では、「キャリアウーマンというイメージとして、ギスギスした人、温かみに欠けた冷たい人、のような表現が登場した」とされています。
そして、かつて男の世界であった職業に、女性が進出することにより、脅威や違和感を覚える男性が現れ始めたことで、そのイメージが植え付けられていった、と推測されています。

アメリカの研究者、スーザン・フィスク氏は、女性に対する見方には、二面性があることを指摘しています。

①有能(仕事ができる)、または無能(仕事ができない)
②性格・人柄が冷たい、または温かい
の2つの軸です。

キャリアウーマンとして登場し、社会へ進出した女性は、「仕事ができる」と言われる一方で、「冷たい」と評されました。
2つの軸は本来は関係が薄いのに、結びつけて扱われ、「有能だと冷たい」、「温かいけど能力が低い」というつながりが作られやすいと、スーザン・フィスク氏は指摘しています。
確かに、「仕事ができる人=冷たい」は、個人ではなく、全体を決めつけてしまっています。そこには根拠がなく、イメージしかない。それが偏見ということですね。
仕事はできる、かつ温かな優しい女性もいるでしょうし、仕事ができない、かつ冷たい女性も存在するでしょう。男性も同じです。

このイメージは、「社会進出している女性に対して、脅威や違和感を覚える男性が生んだ」と著者の北村さんは指摘しています。
働く男性にとっては、「競争相手が現れた」と考えるでしょうし、中にはその足を引っ張ろうと考える人がいてもおかしくない。
また、1970年代ころまで遡ると、「結婚したら、妻は専業主婦」という世界観がまだ根強くあり、結婚しても仕事を続ける場合には、「育児をほったらかしにしている子供がかわいそう」、などと言われることも。
特に専業主婦が当然であった親世代から、妻が働くのは「子供がかわいそう」という逆風が、働く女性たちに襲いかかります。
これをスーザン・フィスク氏は、「敵対的差別」と呼びました。
一方で、温かさは能力が低い、つまり仕事ができないということに繋げられました。
結婚や出産で退職した女性は、必ずしも仕事ができないわけではありません。社会が子供を育てることと、仕事を両立することが難しい環境であったため、やむなく専業主婦になった人たちもいました。
これは「競争相手が現れた」と思っていた、一部の男性たちにとっては、非常にありがたいことだったので、それを「専業主婦は、子供好き、暖かい人という捉え方で補完した」というのです。
補完という言葉の、隠れたメッセージは、「仕事では有能ではないけど」。
「専業主婦は、仕事ができない」という決めつけがあり、それを覆い隠す仕組みとして、人柄の温かさという甘い褒め言葉があった。
これをスーザン・フィスク氏は、補償作用と呼んでいます。
こう表現することで、社会的には、差別だという意識が薄らぎます。
スーザン・フィスク氏は、この見方のことを「温情的差別」と呼んでいます。この温情的差別は、現在の社会でも見られます。

実際にあった話:育休から復帰した女性Aさんは、以前と同じように責任のある仕事を任されることを期待していました。しかし、上司はAさんに負担をかけないようにと、軽い仕事を任せ続けました。その結果、Aさんは自分の能力を発揮することができず、モチベーションが低下してしまいました。良かれと思ってやったことが、差別になるのです。
親切心が差別につながっているなんて、恐ろしいですね。

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