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専門家ですら陥る「後知恵バイアス」の恐ろしさ

みなさん、こんにちは。
わたしはとある日本企業のサラリーマンです。所属する部署で、2年前まで管理職に就いていましたが、メンタル不全に陥り管理職を降りました。
気力と体力が回復したら、また管理職に復帰してバリバリと仕事に励もうと志してきましたが、最近自分が就いていた仕事を第三者視点で見ているうちに、「なんて非生産的で、非効率な仕事をしていた、もしくはやらされていたのだろう」と考えるようになりました。果たして自分の仕事のどのくらいに意味があるのか、もしくは自分の働き方が効率的なのか、という視点で日々考え、本を読んで勉強するようになりました。まだまだ勉強中ですが、自分の頭を整理する意味も込めて、noteを使ってアウトプットしていきたいと考え、この記事を書いています。


今回参考にした書籍は鈴木 敏昭氏の「私たちは思い込みから逃れられない」です。本書は身の回りにあふれる様々な思い込み=バイアスについて、網羅的に解説しており、多数の文献も紹介してくれている良書です。

結果を知ってるということが思考の妨げになる

後知恵バイアスとは、出来事が起きてから、後になって、これは予測可能だったと考える傾向です。事前には予測できなかった事象が、事後には必然であったかのように判断することです。
また、現在の視点から過去を歪曲することも起きます。これはニュース解説や投資判断、医師の診断など多くの事例に見られます。
例えば、実際に起きた事故と想定されただけの事故について、事前の予測可能性を評定してもらうと、前者の方が高くなる傾向があります。
つまり、事故が起き、実際に起きた後では「前もって予想できた」と思ってしまうのです。結果を知ってるということが思考の妨げになるわけです。1964年にアメリカの法廷で実際に争われた事件があります。
小型船が強風に流されたことをきっかけに次々と被害が拡大し、ついには川が氾濫してある街が洪水の被害に遭いました。その責任は誰にあるかが問題になったのです。30年後、この事件を題材にしてある実験が行われました。 Aグループには、発端から町の被害まで全ての情報が与えられました。Bグループには町の被害という結果は知らされませんでした。その結果、Aグループは、57%の人が予防措置を怠った小型船の持ち主に責任があり、過失罪が問われるべきと答えました。一方で、Bグループは76%の人が誰にも責任がないと答えました。そして実際の裁判ではAグループと同様の判断がなされたのです。
この例から、結果を知っているかどうかが、過去の判断に対する評価を大きく左右することが分かります。

また、アメリカでの2007年の経済予測では2008年から2010年までの見通しは非常に楽観的でした。
しかし、その後の専門家たちはまるで金融危機が起きたのは必然であったかのように、もっともらしい理由を挙げています。つまり、ある時点の判断を評価するには、その当時に得られた情報を正確に評価し、後日知り得た結果を除外して考えなければならないのです。

後知恵バイアスは、投資判断や仕事での意思決定など、日常生活の様々な場面で影響を及ぼします。
このバイアスは強烈です。起きた事実を知っているのに、それを知らないものとして事象を評価する。難しい。。。
ですが、会社の人事評価でこれをやられているとなると…評価される側は納得いかないですよね?



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