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自己紹介14 全ての焦る女性の方へ

前回までの内容


私は結婚に焦っていた。  

婚約破棄してスッキリきてるはずなのに周りは
「なんであんないい条件の人を。。。」って会う度に言われるのでわたしは嫌になった。
嫌気がさしていた。

年齢は30、周りは結婚ピークは
過ぎて出産のピークに
差し掛かっている。
数年前は出会いも多くて、
私も常に男性に誘われて
選んでいた。

でもだんだんと様子が違ってきた。

私のメンタルが
変わったからなのか、

その時は理解できなかったけど、
時代は少しづつアプリの時代に
さしかっってきて
アプリで出会った!
結婚した!という声も
よく聞きだし始めた頃で
まだ正直

アプリ???
大丈夫?!

という認識の方が私の中で
あったくらい。

恋愛に嫌気がさしてて、
自分も嫌いになって
そして仕事もないのに、
働いていた時のまま
家賃が16万円のところに
頑張って住んでいた。

だって無職だから
引越しもできない、
でも、また1から働く気にもならないのでわたしは結婚して
そのまま専業主婦になるんだ!って
理想を描く?!
意地?!

意地というか執着をしていたの。

その執着って今まで
感じたこともなかつた。
でも
感じだしたら
出会う人たちも今までとは
少し違って、

時には
自分がすごくなんだか
惨めに感じてくる感覚になつたの。

婚期はあったはず、
でも自分で逃していたので
あれば私は自分で自分を
見る目がないのか。

そんなことすら不安になった。

半分ヤケクソになり
そうになりながらも
私は東京で一人暮らし、
そしてそのまま結婚して
理想の生活!!

これだけは譲れなくてすごく
執着していた。


何に?

きっと状況に執着していたんだ。

ちょうどその頃、
祖父が危ないということで
私は急いで実家に帰った。



祖父は戦後一人生き延び
たった一人で生きていた。

ゴミを拾って修理して何かにしてそれを交換して生きていた。

同じくたった一人で生き延びた
祖母と出会い結婚した。

彼らは二人きりで生き延び
いつかどんどん人数が増えてもっと増やして賑やかにしたいね、
と祖母の願いだったそう。

本当に何もないところから
2人で人生のスタートを切った

祖父は祖母を幸せにするために働いた。
人の何十倍、と働いて、人が嫌がるような仕事、
汚くて汚れて、人から煙たがられえるようなこともなんでもした。

彼女の望む『もっと家族が増やしたい』という気持ちに死ぬ気で答えた。

祖父は落ちてるもの、
捨てられてる自転車を修理して完璧に直してそれを販売し出した。

そうしているうちに、
自分で何かを作り出した。

その精密さと完璧さと美しさが評判になった。

それは
『ネジ』

小さい、小さいネジ。
日本がまだ高度成長期の時代には必要なもので
海外製のチープで粗末なものはまだない時代。

祖父の作るネジは特に海外から評判で彼は日本が誇れる品質を海外に送った。
そして

彼は貿易を始めた。
一つのネジに彼は真剣に気持ちを込めて一本一本作った。

ネジを海外に輸出し始めるとその
品質の良さが好評でどんどん
注文が殺到した。
同時に
どんどん会社が大きくなってきた。

その当時1ドル350円台時代だから今から思うとすごいのがわかる。

爆発的にヒット!!

会社はどんどん大きくなり
県内では高額納税者ランキングの
常連になり
その業績を
国から表彰されたほど。

当時一家に一台のテレビが
あればいい時に
グランドピアノはあるし、
お手伝いさんも3人住み込みで
いたくらい。

でも
どんなに会社が
大きくなっても彼は
はたらき続けた。
2人が出会った当時と変わらず
働き続けた。

時代なのか、休んだらいけない。
家族を社員を、社員の家族を養わないといけない、


何かあれば自分はどんな仕事をしてでも立て直す。

そんな気持ちだったんだろう、

一代で会社を大きくして
祖母が望んだように家族もだんだん増えていき
4人の娘に囲まれて
彼女らもまた子供をたくさん産んで

一気に孫含めると30人ほどにもなった。

大家族でいつも私たちは祖父祖母が大好きで慕っていた。

そんな祖父が家のベッドでもう弱っている。
強く逞しくいつでも頼りがいのあった祖父。

寝たきりで床擦れにもなり
目の前には痩せ細り骨と皮で顔もすごくこけて体臭がすごく
きつかった。
紳士的なイメージとは随分違ったが祖父だった。
優しい目で大黒柱の祖父だ。

体がずっと硬直して
動かせない。
でも心は動いてるし気持ちを受け取ることはきっとできている。

もうずっとお風呂に入れない
祖父の体をずっと
祖母が拭いていたらしい

本当は入院があたりまえの状況だ、
でも
最後は病院ではなくて
自宅で引き取りたい、
という祖母の希望で
病院との連携をして時には
看護師さんも常駐してもらいながら

いつ息を引き取っても
おかしくないほど

1分1秒がこの時ほど
大事なことはないと思った

2分毎に息してるかな?
と確認する。

祖母はずっと彼から離れない。

60年以上連れ添った相手。
好き、嫌い、
そんな関係を超えた相手。
便利で豊かでない時代だから
色んな事を乗り越えてきたんだろう、

まずは自分を満たす。

それが幸せな結婚、人生を送る上で大事と言われてる事とは真逆で

相手の幸せが何より自分の幸せ。
心からそう思い合っていたんだろうと当時から2人を見て思っていた。

戦友であり、同志、夫婦、恋人、
色んな顔が2人にはあったんだろう、
一緒に人生を共にしたかけがいのない存在だったはず。


ずっと『ありがとう、ありがとう』

って言っているし
祖父ももう目が開かない状態で
薄目で祖母を見ている。

掠れ声も聞き取れないけど
きっと彼も

『ありがとう』と言っている。

その二人を見ていると
全員が涙か止まらなくで
大人数で大号泣。

私は一言
涙で号泣しながらありがとうと
伝えた。

みんな順にそれぞれ言葉を伝えて、

祖母の事は
みんなで守るからおじいちゃん
安心してね。

って伝えると
安心したようにしずかに
息を引き取った。
祖母に手を取られながら

祖父は亡くなった。


一人で生きのびて
一人の女性に出会い、
その女性に対して
幸せを全うした。

二人きりでスタートした人生が
家族も当時で30人

今はもっともっと増えているけど。

祖父は
祖母の望み通り大人数に
囲まれて楽しく賑やかに過ごしたい


その夢を見事叶えた。



私は色々整理して東京に戻った。


そして思ったことがあるの。


今回祖父が最後に私に教えてくれたことがある。


死ぬときにそばにいて
ほしいと思う人を
死ぬまでに探せばいいんだよ。

そう言って私に
教えてくれたような気がした。

結婚に焦っている、
それは特にこの人!!と言う
人に出会ったわけでもなく
単に周りの影響と周りの目と
不安から。

そろそろ、結婚しないと。。
と言う謎の思い込み。

そして幸せにしてくれるだろう。
愛してくれるだろう。

そんな目で相手を
みていたのかもしれない。


そうじゃない、
そうじゃいんだ!!!

自分が最後に死んでいくとき
また相手が死んでいく時に
目を見て、手を握って
心から感謝の『ありがとう、愛している」

条件なんて関係なく出会った2人が
人生の最後に出会えてよかった!
あなたと出会えてよかった。ありがとう。

を言い合う2人の姿を目の前にして
私は何を求めていたのかと、

最強のあげまんの祖母の言葉を、
言動を頭に、イメージした。

何度も涙がでて
スタバでたまらず号泣した。

色んなことを思い出した、

祖父との思い出、
会社が大きくなっても
常に働いていてドロドロの服をきて
作業していた。

まだ私が幼い頃
わたしは友人に祖父の姿を
見られると
恥ずかしい
浮浪者にみえるから恥ずかしい。
と彼にキツく当たった事があった。


その姿をみて祖母は私に

もっと豊かな心で人を見て
本当の豊かさは心の中にあるからね。
心を見れるようになろうね。

って幼い頃そんな事を言っていたな。と昨日のように思い出した。

あんな事を
言った自分に後悔した
あの言葉謝ってなかったな。。。

なんて思うとまた
涙が止まらなかった。

スタバで肩を振るわせて泣いた。

号泣しては
頭を整理して、
自分と対話して
立て直した。

そして

なんだ、そうか。
最後にありがとう。
そして
出会えたことに感謝をするのは
祖父が1人頑張ったわけではなく
そのやる気を全て引っ張りだした
最強のあげまんだった祖母がすごい!

彼女は幸せにして欲しいなんて
気持ちはなかったはず、

ただ相手(祖父)に対して
ストレートに信頼していたはず。

そして同じように

相手の幸せを願い
その責任を持って
お互いの役割を果たしていた。


そうか、
そうか、
とまた腑に落ちたの。


そうするとね
だんだん
気が楽になり
私は少しずつ自分の在り方を整えた。

要は、自分か。。。

言語化は難しいけど
何か心から湧き出すエネルギーのようなものすら感じた。

大事なことを、
本当に大事なことを
感じさせてくれた
祖父に心から感謝。

最後にもう一度スタバで涙を流して
祖父への気持ちを整理した。


そのね
数年後に祖母も亡くなったの。
その時は孫が、
ひ孫の人数がさらに増えて親族が50人にもなりかなり大所帯。
彼女は老衰で長生きした。

みんなで祖母を引き取った。 
1人で生き延びてスタートした人生も
死ぬ時には50人もの家族に自宅で
見守られてみんなに
「ありがとう」

と号泣されながら
言われて亡くなって言った。

本当に安らかな最期。

祖父は最高のプレゼントをした。
最後まで彼女の夢を叶えたの。

私は今だにこの記事を書きながら
思い出しては涙がでるの。

本当に素敵な女性で、
振る舞いも、言葉も優しさも器の大きさも度胸も美しさも
全てが彼女が手本だった。

祖父が世間的にはすごいと
扱われていたけどその影には
かならず彼女がいて
道を作ってきた。

この二人三脚で人生を歩んできた姿を私は今書きながら思い出して
潤んでいる。



話はそれたけど、

私はずっと祖父みたいな男性がいいと思っていた。
生き延びる力、生命力がある男性。


もし今みんなが
結婚に焦っているなら
考えてほしい

その相手と自分の人生の最期に
手を取ってありがとう。

を言える相手なのか。

もしくはこれから相手同様に
その責任をあなたは相手に負えるか。

『責任と覚悟』が伴うの

結婚をする時
『一生あなただけを愛します』なんてふんわりした責任ではない

それは
『どんな状況になってもあなたと向き合うことから逃げません』
いい時ばかりでなくて
逃げたくなる状況でも

あなたとなら人生を賭けて勝負できる!!

っていう覚悟と責任。


今すぐには分からないとおもう。
だってお互い時間をかけて思い出と絆を作っていくから。

なんなら
一度や二度くらいは失敗してもいい

最期に、
最期にそう思える相手に
出会えたらいい。

それがどんな形になろうが

そう考えてると全て楽になった。

状況に執着せず
どこにいても幸せになれる自分の力を信じよう!

そうだ、
私はいつも母からずっと
「あなたは運がいいから大丈夫」といいつづけられてきた。

受験に2回失敗した時も
大事な試験に落ちた時も
就職試験に落ちた時も
恋愛がうまくいかなかったときも
婚約破棄にもなったときも

いつも、
大丈夫、その方が良かったと思える結果になるから
大丈夫。

あなたは運がいい。

きっとそう思えるようになるから。

だから今回、
私は実家に諦めて帰ろうと思った時も母は
大丈夫よ。
どっちでも。
東京にいたいなら
気が済むまでいればそれできっと
何かあるはず。

と母は私の専属占い師みたいに
私を、導いてくれてた。

よし!!
よーし!!!!

もっと気楽に人生長いから大丈夫!
きっとどうにか、いいようになる!!!

まずは仕事でも始めようか!!!


よーーーーーーし!!!!

おじいちゃんありがとう!

という気持ちで前向きになっていたところに

携帯が鳴った、、

相手は私の戦友の客室乗務員の
A子から。

この電話から私の人生は
目まぐるしいスピードで変わっていく、、






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