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「聴く」をめぐる冒険④~マルタ・オランダ~

夢のマルタ島

2019年10月。退職から転職先への入社の期間に、1ヶ月かけて、セブ島、マルタ島の英語学校とオランダを旅した。

引き続きコーチングを受けていなかったら、責任感やら両方の会社への申し訳なさやらで、1ヶ月という時間を空けることはできなかったと思う。「1ヶ月かけて海外で英語を学んでみたい」は、長年の夢だった。

マルタ島とオランダにいったのは、どちらも特別な思いがあるが、それは別の機会に書きたい。書きたいことがまとまらないので今回はメモ書きのような感想を書くに留める。

授業で休暇の話題になったとき、スイスのウェイトレスさんもドイツの機械工さんもオーストリアの看護士さんも1ヶ月以上の休みを取って英語を学んでいた。

その1ヶ月以上の休みは、毎年とっている2ヶ月の夏期休暇の半分という人も何人もいて、休暇の話題で一番ざわついたのは、僕の普段の夏期休暇は一週間くらいと伝えた時だった。

どの国も大企業のトップは忙しいが、普通の人が大企業のトップ並みに仕事漬けなのは日本の特徴なんだということを改めて体感した。

僕の通った英語のクラスは初級と中級の間くらいのレベルだったので、英語のうまくない海外の人たちとのカタコトだからこそ率直なコミュニケーションは新鮮だった。

プーチンをディスる自由奔放なロシアの青年、温和で遠慮がちな韓国のおじさん、人見知りで声の小さいスイスのお姉さん、オタク気質で不器用なイタリアのおじさん、錦糸町あたりの安居酒屋にいそうなほど飲んだくれで豪快なフランスのお姉さん、などなど、友人が増えるたびに国に対する偏見が少し溶けた。

泊まるところは、学校がおさえている町中に散らばっているマンションで、僕の宿泊したマンションはトイレ・シャワー付きの部屋が3部屋あり、リビング、キッチン、洗濯機などは共有で、ルームメイトは、30代後半のドイツ人の男性と10代後半の韓国人の女性だった。

二人は僕より一週間早くきていて、初日の夕方にマンションについてリビングに入ると、キッチンテーブルで190cmを越えるひげもじゃの大男(ドイツ人の人)が上半身裸でハムとチーズを食べていてびっくりしたが、その後ビールを呑みながらお互いカタコトの英語で二時間くらいしゃべって友達になった。

韓国人の女の子はホームシック気味でなかなか部屋から出てこなかったが、徒歩20分の英語学校には一緒に通った。

同じクラスには、70歳を越えたスイス人の男性もいて、「60代まで独学で英語を勉強していたが、もっとうまくなりたいからここに来た」とのこと。彼はだいたい弁当代わりに生野菜をかじっていた。

週に2、3日は仲良くなった数名と食事→ダンスの流れだったが、僕はダンスはほとんどしたことがないし、苦手だと思っていた。

でも、マルタ島のクラブは老若男女、ダンスがうまい人もそうでない人もそれぞれのスタイルで楽しんでいた。

いいなあ。こういうの。

オランダ持続可能性の旅


マルタ島には2週間いて、名残惜しくも日本に帰る途中、オランダに2泊寄り道をした。

空港からホテルに向かうタクシーでいきなりカルチャーショックを受けた。(ちなみにそのタクシーはテスラ社の電気自動車だったが、カルチャーショックでその喜びは吹き飛んだ。

運転手が、ホテルまでの距離が短すぎるとキレだし、信号待ちの間、ハンドルにこぶしを打ち付けて怒りをあらわにした。

「客に向かってなんて態度を」「日本人だから差別されてるのかな」など色々と頭をかけめぐった。

幸い、この旅では「LOCOTABI(旧トラベロコ)」というサービスを使って、現地在住の日本人の方にオランダを案内していただいた。

同行中に、その方が体験したオランダのことを色々と教えて頂き、タクシーの運転手に感じた違和感の正体がわかってきた。

おそらくそれは、僕のヨーロッパに対する劣等感と、「客は立場が上」という思い込みからきたものだと思う。

事前のメールのやり取りで、僕は、観光地ではなくオランダの持続可能な活動を感じられるような場所に行きたいです、とお願いした。が、持続可能な活動については、書くと長くなるのでまた別の機会にしたい。

以下は、僕が感じたオランダの「対等」に関するエピソードだ。

・オランダでは、固定観念や枠組みで人を見ない。上司部下も役割でしかない。
・オランダでの会社では、上司から部下への評価だけでなく、部下から上司への評価も行う。
・遊園地の遊具を決めるとき、その遊具で遊ぶであろう子供達(当事者)の意見を最も尊重する。

・例えば吹奏楽団体などでも、経験や年齢に関わらずやりたい人がやりたい役をやる。前の週に入った人が次の週にリーダーに立候補して、その翌週には場を仕切る役を担っている。場を仕切る人が立場が上、という偏見がない。
・上下関係の概念がない。客と店員の上下関係もない。客が低姿勢で、店員が怒っているなどのシーンも珍しくない。
・組織のなかで「〜しなければいけない。」が少ない、その代わり自分で決めることを求められる場面が多く「自分はどうしたいか」を持っていないと辛い。

・オランダは家賃が収入によって違う。また、低所得者は手厚い保護を受ける。その代わり収入のある人の税金や家賃は高い。貧富の差をなくす努力をしている。収入が低いから教育や芸術にふれる機会がない、がない。
・オランダの美術館も「しなければならない」がない。ミュージアムでの子供達に向けての説明は対等で堅苦しくなく、子供たちは地ベタに座り楽しそう。若者を中心に定期的に開催されるミュージアムナイトでは歴史的な美術館がクラブ化する。

介護業界へ

さて、僕がコーチングを広めるために入社した介護事業を中心に研修事業も行なっている会社は、僕の介護への固定観念を良い意味で壊してくれる会社だった。

その会社が運営する住宅には、認知症のある人も入居しているが、鍵がかかっていない。

喫煙、飲酒も可能で、入居者主催のティーパーティーや飲み会なども行われる。住居内の駄菓子屋やなどで働くこともできる。他の場所に比べて「しなければいけない」が少ない。

入居者(当事者)の意思が尊重され、最期を迎えることもできる。そして、入居者を「お客様」や「お荷物」としてではなく、対等な人的資源として捉えている。

オランダで見聞きしたこととの共通点が多いと感じる。

この、全ての人は資源だ、という新たな介護の考え方は、ゴミなどなく、あらゆるものを資源だと考える持続可能性の取り組みとも整合するし、全員がリーダーシップを持つという新たな組織論とも似ている。

「人はもともと創造力と才知にあふれ、欠けるところのない存在である」というコーチングの考え方とも近いと思う。

結婚

新しい仕事をはじめて2ヶ月後に入籍した。
入籍するにあたって、奥さんと2人でパートナーシップのコーチング(システムコーチング)を受けた。

はじめてパートナーシップのコーチングを受けた日。

第一回のお題は、「国づくり」だった。
2人がそれぞれ自分の理想の国をイメージして、自分の国、相手の国がどんなところかをお互いに聴きあった後で、2人にとっての理想の国を作ろう、というワーク。

お互いが大切にしている価値観が、国という例えを使うことで可視化される。
その時まで、僕は彼女とは価値観も似ているし、共通点も多いと感じていた。

けれども、2人の理想的な国はまったく違っていて、それまでの自分は、結婚しても自分の生活の中に相手を招くくらいの感覚しかなかったことに気づかされた。

コーチの「結婚生活は外国にいくようなもの」という言葉が響いた。自分とは全く違う文化をもった人と、これまでとはまったく違う生活を築いていくことに覚悟と好奇心を持とうという心構えが生まれた。

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