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“Hoy acaba algo. Pero es el primer día de tu siguiente vida”

旅行が好きだ…その数日でいろんな感受性が豊かで小さなことでも感じれるようになるから、
地元の福岡から、東京に旅行した時の数日と関東に住み始めて週末にいく都内とは全く違う。
同じ場所で同じ時間を過ごしても感じれるものが全く違うんだと思う、旅行だと全ての瞬間を取りこぼさないようにいろんなことに敏感で、素直に感じれるのに、日常だとそれらを拾うのは難しい。きっと一度しかみれない風景だ、と思うのとまた明日も来週も普遍的にある風景という捉え方だと同じ景色でも違うように感じちゃうんだろうな。だから旅先がどこであっても、日常から離れていたらきっと、何か思い入れのある場所になる。 今年は台湾に久しぶり訪れたい、台湾で生活した感覚をもう数年経ったら無くなっちゃいそうで、懐かしい、という感情が残ってるうちに訪れたい。国内は、東北と新潟も、訪れたら良いなと思ってる。

気づいたら日の入りが17時30分だ、仕事を終えてもまだほんのり街が明るいもの、ゆっくりとまた夏に近づいてる。

桜が咲き始めると街にこんなに桜の木があったんだと気付かされる、無機質だと思っていた都会の風景に一気に色がついて驚かされる。

先週末は両日ともに雨だった。パートナーの姉であり私の友人でもあるKelsey とサンディエゴの動物園に行った時に思い出す。私は一番、雨の動物園が好きなの、人も少ないし動物たちはまた晴れの日と違って、ずっとベンチに座ってられる。そういってたのを思い出す。なんて素敵な発想だろう、と思った。

だから私はパートナーを誘って、先週末動物園に行ってみた、人生で何度も動物園に行ったことはあるのに雨の日の動物園は人生で初めてだった。

お客さんは本当に数えられるくらいしかいなくて、笑っちゃうくらいガラガラだった。雨を気にしていない動物もいれば、木や岩に隠れて雨を避けてるように感じる動物もいた。

パートナーと今年で一番良いデートだね、と言いながらゆっくり園内を散歩するように歩いた。それくらい本当に良かったのだ。

多くの人は動物園を予定していた日に雨が降っちゃうとついてないな、と思っちゃうし、延期にしちゃうだろう、私もずっとその一人だった。

結局人生の豊かは何か物質的なものではなく全て捉え方なんだと私は強く信じてしまう。

だって人生はずっと晴ればかりじゃない、雨や嵐のような冷たい日だって沢山ある。でも、雨や嵐を嘆くのではなく雨の中でどう踊れるか考えた方がきっと楽しい。

noodleを迎えて、人生の幸福度がすごく上がった気がする。ギラギラ燃えて守るものも何も無くて、欲しいものしか無かった貪欲の私を卒業出来た気がする。パートナーとnoodleと私で3人で昼寝したり、family hugと言ってぎゅっとハグすると本当に私たちは家族のように感じる。あの頃には無かったけど確かに今の私には守るものができてる。

守るものができるまで、大切なものができるまでわたしは幾つかの別れを経験した。

けれど、その時大切だと思っていたものを手放すことで強くなれたと信じてる。手放したら新しい素晴らしいことやものが舞い込んできたの。

ギラギラしていたわたしはいなくなったけれど、決して目標が無くなったわけではない。
でもやっと自分の人生を愛せたり満たされてるって感じれるようになった。
前は底のないグラスのように注いでも注いでも溢れてたまらなかった感じが今はやっとちゃんと注がれてる感じ。こんな感覚になるなんてアカウントを始めた頃は想像つかなかった。

だから、やっと決断できた、26歳になったら、Twitterのアカウントを手放す、誕生日は夏の終わりだから、きっとあと4ヶ月ちょっとくらい。

英語も中国語も中途半端で孤独だった台湾での留学生活の、私は今、英語を使った仕事をしている、恋に落ちる準備も余裕も無かった時に出会ったひとは、ずっと一緒に居たいと願う人に変わった。恋に落ちて、愛に変わって、そして彼と今生活してる。

過食症で競技チアリーディングをしていた私の身体は数ヶ月で12キロ増えた、泣きながら毎日12000キロカロリーを口にしてた私は現役の頃ほどではないけど体重は10キロ以上戻った。

理数科だった私と、英語を学びたい私は大学の時は文理融合型の学部を選んだ。数3や物理も学んでおきながら完全に文系の学部を選ぶ勇気はなかったし何より少し勿体無い気がしたから。
けれどどっちつかずの私は台湾では植物保護学とか農業ビジネスについて学んでみたんだけれどそれもあまりしっくりこなかった。何か突き詰めたい、と思えるものはその時も見つけれなかったの。

社会人生活を数年経て、仕事を辞めて無職の期間も経験して、やっと天職というかここを突き詰めたい、と思えるような仕事を見つけることもできた。私みたいな文系や理系どっちともつかずの人は案外知的財産業界に向いてるかもよ、私ははまってるし、ずっとこのアイデアや発明品を保護するような業界にいようと思ってる。AIが素晴らしい絵を描くとしても、それでも人間のアイデアやアイデアを生み出す力は、AIと共存しても、支配されることはない。

人生がどん底で何も無くて嘘まみれの生活から想像できないくらい暖かい場所で生きてる、それも自分の努力と覚悟と多分沢山の運のおかげで。

そして、こんなに大きくなると思っていなかったアカウントのおかげで。

文章は綴り続けたいから、noteは続けようと思ってる Twitterの@ipickpoiosnituは26歳になったら、卒業するね。

何にも無かった私が今のところに来るまで本当に長くて苦しい先の見えないトンネルでトンネルが終わっても急な上り坂があるような過程もあったけれど、それでもそこから少しずつ、登ってこれたのは揺るぎない自信になったし、自分のことが昔よりも好きになれたよ、それも表面的なものでじゃなくて、もっと深い部分で。

大切にしてきたものを手放すのは紛れもなく強さだと思ってる、だってそれが大きければ大きいほど執着して何か手放さないもっともらしい理由を探しちゃう、本当はもう必要ないことも知ってるのに。だから、今までの沢山の別れは貴方の強さです。大きなものを手離すと新しい素晴らしいものを迎えるスペースができたから、それに、別れは新しい人生の始まりだから。春だね、貴方が素晴らしい別れとこれからのもっと素晴らしい出逢いに恵まれますように。

「今日、何かが終わる。 けれど、それは貴方の次の人生の最初の日です。」

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