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I was toxic to some, I was a blessing to others.

今月を振り返るためにスケジュール帳を見てみてる、資格の試験、りほちゃんと栃木に初めていけたこと、ヌードルをドッグランに連れて行ったこと、会社の飲み会がスカイツリーで、都内で働いてるなと感じたこと、ユナさんとまた会えたこと、マティス展にやっといけたこと、明日は高校時代の友達と一年ぶりに会うこと。

パートナーが仕事で家を数ヶ月空けるときはいつもそうだ、私は沢山の予定を週末に立ててしまう。福岡に帰りたい、なんて思わないように。
一人の時間は必要なのに本当の孤独はきっとあまり好きじゃないのだ。もしくは仕事がリモートワークだから、人に会いたいと思うのか。

資格の試験は感覚だけど一次試験は受かっていると思うが、おそらく実技は落としたと思う。
11月、再試験をするしかない。一度ダメなら何度でも手に入れるまで挑戦するのみ。欲しいものが手に入れるまで努力し続けるよ。

大人になったら友達は減る、なんてよく聞くけれど、実はそうでも無い。そう思えたのはごく最近だけれど。大人になるのは意外と悪くないよ、と最終日で、ジムのバイト先で会った会員さんの言葉を思い出す。

あ、今日でバイト最後なの?
そうなんです、来月から社会人です

そっか、大人になるのも悪く無いよ。

最初の2年ちょっとは到底そうとは思えなかった。大人になっているのか分からないけれど何に使われているのかよくわかっていない税金を給料から何万円も引かれているから、大人になっているのかな、少なくとも国民三大義務の一つの納税の義務は果たしているから、社会人ではあるし、そうであれば大人とカウントされるのだろう。

ただ、ごく最近だ、大人であることは楽しいと思えるようになったことは。確かに人間関係は変わった。学生時代の友達の何人かは卒業したり、何かのきっかけで途切れてしまうこともあったし、私が違和感を感じてしまって距離を置いたこともあった。ただ、間違いなく新しい素晴らしい出会いは確実にあった。最初の会社は2年ちょっとで辞めてしまったが一緒に働いていた同期(その子もやめちゃったけど)は同僚ではなく間違いなく私の友達、とカウントしているし、職場や会社という共通話題のなくなったものの私たちは未だにNetflixの話をしている。

Twitterで知り合った人と直接会ったことは数人しか居なくて、それもかなり緊張する、ユナさんとはユナさんのクリニックに行って一度お会いしているけれどこうやってご飯を食べるのは初めてだ、

ユナさんは良い意味でお茶目で内面から出る美しさがあって、声がとにかく可愛くて本当に何もかもチャーミングな人だった、私もこういうふうに年を重ねたい、と思う瑞々しくて。

牡牛座、私の大切にしたい人はいつも牡牛座なのはどうしてだろう。パートナーもユナさんもしか牡牛座だった。話を聞いたり話をする度に何かいつもとは違う出会いの意味を感じてしまって、ずーっと前にジムの会員さんですごいお金持ちの方がいてその方が私を気に入ってくれて私の生年月日を有名な占い師さんに伝えてくれたことがある。その紙が全てではないけれど良い意味で紙をたまに見返すことがある、ちょっとした答え合わせのような。

その紙にはソウルメイトとか相性のいい人の誕生日が書いてあって、占いなんか全てではないと思うけれど、帰宅して久しぶりに会って探してみた。 4/26、ソウルメイトだった。

今までの人生とか、これからしたいこととかどこに住みたいかとか。将来は九州に帰りたい、なんて言っていたけれど私は、国内の土地を沢山旅行したことがあるわけではないし、ただ単に土地を知らないだけかもしれない、と帰れの電車で思った。ユナさん、もしかしたら私は、全然違うところに住んでいるかも。だって関東にいるなんて少なくとも2年前は微塵も思っていなかったのだから。

会話の中でもしパートナーがアメリカに帰りたいっていったらついていく?私は、考える時間もたず、頷いた。
彼は日本にずっと居たいと言っていたから、そんなこと考えもしなかったけれど会話の中で自分の中の覚悟はずっと前からできていたみたいだ、いつだって覚悟はいつの間にかゆっくり時間を形成されていて、自分が気づいた時にはもうできている、ことが多い。仕事を辞めるときだってそうだった。そして、今の仕事は好き、職場も良い、でもキャリアなんていつだってどこでも始めれる、でも彼も親友だってユナさんだって世界中どこを探したって代えなんかないから。

あと数週間で私はTwitterをやめる。26歳まであと3週間もない。
Twitterしていてよかったなぁと思う時は何度かあった、フォロワーさんが教えてくれた本はその後の私の基盤になるくらい大切なものになったし、これから会い続けたいと思える人に出会えた今日も。大人になったら友達は減る、なんてよく聞くけれど半分しか正解じゃない。だって年を重ねる中でも間違いなく新しい素晴らしい出会いは確実にあった。

今月は2つ美術展に行った、マティス展とテート展。
テート展の一個前のルーヴル美術館展に行ったことは私の中の大きな変化だった。

パリに一人で旅行した20歳の頃、 目の前にルーヴル美術館があったけれど私はそのとき美術に興味がなくて、 写真を撮って周りを散歩しただけだった。シンプルにきっと当時の私にはまだ早過ぎたのだ、

けれどまたパリを訪れる機会があったら是非今度は中に入りたい。都内に来てよかったと思えることは行きたい美術展に気軽に行けることだと思ってる。 あと3年は関東にいるので、たっぷり美術館に足を運びたい。

美術に心が惹かれるようになり絵を描き始めたのは社会人になってから。 元々美術は苦手な科目だったし、理系だったから世界史も日本史も選択してない。学校での科目という枠組みを抜けてからは、美術に触れることも歴史に興味を持つこともできるようになった。
自分の心は高校生ぐらいからあんまり変わっていないように感じていたけれど、緩やかに変化してきたんだね、

最後に惹かれた文章を私の意訳と共に。

I was toxic to some, I was a blessing to others. Some I healed, others I hurt. I'm willing to admit that I wasn't always right.

私はある人にとっては毒でしたが、他の人にとっては祝福でした。
誰かを癒してもいたし、傷つけた人もいます。
そして私が常に正しかったわけではないことは認めます。

これはずっと私の人生もこのTwitterも全部そうだった、絶対的な正義はなく誰かにとっての毒は誰かにとっての救いであり薬になることだってある、同じ方法が誰かを癒すことにもなるし、傷つきうることだってある。私が生きている世界はきっと白黒なんかつけれない。でも良い、世界が白黒なんかじゃなくて良い、世界は色づいて時に悩むくらい、どれが正しいかなんて分からなくていい。それにもう自分が全ていつも正しいわけじゃないことにもようやく気づけたから。

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