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高校生に押し付けられている間違ったグローバル化

 「グローバル化」とは、情報通信技術の進展、交通手段の発達による移動の容易化、市場の国際的な開放等により、人、物材、情報の国際的移動が活性化して、様々な分野で「国境」の意義があいまいになるとともに、各国が相互に依存し、他国や国際社会の動向を無視できなくなっている現象ととらえることができる。特に「知」はもともと容易に国境を越えるものであることから、グローバル化は教育と密接な関わりをもつ。さらに「国際化」はグローバル化に対応していく過程ととらえることができる。教育分野では、諸外国との教育交流、外国人材の受入れ、グローバル化に対応できる人材の養成などの形で、国際化が進展している。

 と文部科学省のホームぺージに書いてある。今回ここで考えることはこの定義についてではなく、では実際に今数々の日本人の学校はどのようにしてグローバル教育をしているかということであり、それが結果的に何をもたらすかである。

 何も今更考えなくたって世界がどんどん一つになろうとしていることはわかる。環境問題、気候問題、テロなど対象となる問題が一つの国の中では治まりきらないのだ。これをみんなでなんとかしようということである。しかし実際どうだろうか?本当にみんなで仲良くやっているだろうか。言語の違い、貧富の差、肌の色、今までの歴史、これらの問題を無視することは不可能でないだろうか。

 私がイギリスにいたとき。最初のころによく思ってたことに、「日本人に生まれてきた時点で世界は動かせない」という考えがある。勿論、世界の中心に日本人がいることは承知している。みんな海外の大学を出ていることも。歴史を見れば今までの世界を動かしてきた国たち、人たちが誰だかわかると思う。今の国際機関たちがどういった国に本拠地があるかわみても十分わかる。会議が行われるのはそこだ。貧富の差はどうだろうか。日本で満足だろか?日本の平均月収は世界で14位だ。(http://www.numbeo.com/cost-of-living/country_price_rankings?itemId=105)社長になってもアメリカやイギリスの社長の平均年収と比較してみれば愕然とすることだろう。なにせ土地も狭い。そのうえ言語も違うためまず私たちがやらないといけないのは世界の中心の国々が使っている言葉をできるだけ本物のように似させて話せるようになるための練習である。

 今、われわれ高校生に大人が求めているものである。世界の中心は欧米だから、そこのグループに仲間に入れてもらえるように必死に英語を勉強してそういった国々とコネクションしなさいということ。われわれが何年も英語を勉強したり、古典や日本史などを勉強しているうちに、向こうはCritical Thinkingで議論のことを学びWorld History で今まで世界がどのように変わっていきどうして今の秩序があるのかを理解し、ラテン語を習得したら次はフランス語やドイツ語などを文字や文法が同じだから単語を覚えるだけで比較的簡単に習得し、それらの成績に応じてケンブリッジやオックスフォードに行き、国際機関に入り世界の問題を解決する。グローバル化だといいながら。これは単なる過ぎた妄想ではない。実際私が見てきたものである。「日本!?いい国だよねー!ガジェット大国だし、科学技術がめちゃめちゃすごいよねー!たしか、ソニーって日本だよね?PS4とかさ。いえーい。えーっと、あの、ピンクの花きれい、えーっと、そうそう!桜!これこれこの画像見てきれいだよねー」日本人ですというと大体こんな感じに返される。もういちいち言わなくてもわかるだろが、彼らからしてみれば日本なんていうのは東アジアの一つの国でしかないのだ。私なんていうのもわざわざそんなところから我が国にやってきた一人のお客さんでしかない。こいつらには生まれてた時点でどう頑張っても勝てないのだ。言葉すら話せない負け組の田舎者が必死こいて科学技術を高めてきただけなのである。今ではそれすらもう終わりだ。日本で作られたものすらまずは海外市場に売られる。市場に中心も向こうにあるからだ。それで海外で作られたものはいつまであっても全然日本には入ってこない。市場は小さいし、なにせ言語をすべて難しい日本語にしなくてはいけないし、法律だって違う。

 中東のほうの友達にどうしてそんなにお金持ちなの?と聞いたことがる。彼女はこういった「私のお父さんは石油関係の工場で働いててね、日本のおかげでめちゃめちゃ儲かってるんだ。この前の地震があってから日本がめちゃめちゃ石油を買うようになったの。お父さんは本当に嬉しそうよ。ありがとうね。」と。

 最近の東大生は日本の官僚にあまりならないらしい。それより、みんな銀行とかに勤めてそこで海外とのコネクションをもって、それで国際機関の公務員になることが夢らしい。そうすればどこに行っても名刺を見せれば周りに理解してもらいるし大きな他者評価を受けられるから。

 日本経済はどうしちまったんだ。やばいぞ。という人がいる中なんも動じない人がいてこんなことを言う。「世界の経済状況は何もそんな悪い方向に進んでいないからそんなに心配するな」と。

 つまらないあの明治維新のときのようにむやみやたらに進めた日本の「欧米化」計画を「グローバル化」という名前に書き替えて再び日本は同じ道をたどろうとしているのではないだとうか。どうして企業のだす留学キャンペーンは欧米の国々ばかりなのか。東日本大震災があって悲劇に哀しむ人、命を懸けて日本の原発に対して訴える人はグローバル人材ではないのか。日本の多くの中小企業、今日だっていまだって日本を「なめらかに」動かしている組織含めさらには日本の政治をするものはみなグローバルではないのか。日本の経済を心配するものはグローバル人材ではないのか。「グローバル化!」「グローバル人材は多く育てよう!」「英語が喋れなきゃ話にならないぞ!」「若いうちからいっぱい海外留学だー!」と唱える前にもっとたくさんやるべきことがあるのではないか。

 今度は私の意見を私にとって「グローバル化」ということについて自身の経験を振り返り説明しようと思う。