収録とかM-1とかデートとか

太陽の小町という男女漫才コンビの男。お笑いを生業にしたいと画策している。今はまだアルバイトで生計を立てている。今はバイトもしていない。よく叫んでいる。魂の咆哮。のつもり 
 
 
 
 

ルーティーンというものを意識した人生を歩んできた。現在そうはいかないことに「恐ろしい」という感情を抱いている。
 
 

 

あれは私が小学校の学徒の時代。何学年の時だったか?大して成育した人間でなかったので(精神的には今もだが体躯がという意味だゾ)小学三学年くらいで合ったかと思う。家族団欒の象徴ちゃぶ台を囲み和気藹々としていた。………おいおいおい、あれをちゃぶ台と言っていいものだろうか?
当時実家にあったちゃぶ台としている床に直接座して使うテーブルは、父か母か、若くは父と母共通のかの奈良に住んでいる友人が、大きな大きな木から作ったとされるテーブルで、横2メートル弱、縦1メートル強、高さ30センチ程度の消ゴムを大きくしたかのような立方体の机。ちゃぶ台といっていいのか疑問が残るデカちゃぶ。ちゃぶ台の足も円周40センチメートル直径は20センチメートルはあるしっかりした四つ足。当時朧気ながら記憶の端に「(某の)おっちゃんが手作りで作ってくれたんよー」と言われた記憶がある。今大人になってあのサイズを手作りというのが驚嘆の極みであるが、当時の自分は「手作りで作るって、手作りが手で作るって意味なんやから、作るが重複してるやんけ。あと木で出来ているから中から虫とか出てきたらめっちゃ嫌。」などと思っており本当に可愛くない。
とにかくそのデカちゃぶを囲んで、ブラウン管に映された『バックトゥザフューチャー』というタイムリープ系映画を観ていた。
 
 
 
 
 
 


一家の長である親父は金曜ロードショーが好きで、というか一時代のハリウッド映画のような娯楽映画が好きで、食後、家族で、親父は焼酎のロックをカランコロンとさせながら、私たちはお茶なんぞをちうちう飲みながら映画を観て過ごす、という空想の最高の家族の週末の金曜日みたいなことを実際に毎週送っていた。自分達にはそれぞれ自分の部屋はあったが、思春期丸出しのそこにいそいそ戻ることはなく、なぜか一家で映画を毎週観ていた。まあ自分の部屋に娯楽がなかったからかもしれないが。今更ながら親父が嬉しそうに映画を観ていたのを思い出すと顔が綻ぶ。そういう歳になってしまった。
感傷はさておき、テレビというものは我々に配慮や遠慮なんかなくて、毎週子供に向けたロードをショーするわけではない。だから子供にとってよくわからないシーンには、親になんでなんでなんでなん?幼少期のエジソンばりに聞き入り興味を引き出されたし、その割に時折ある情熱的且つ官能的いわゆるエッチなシーンになった途端気にしていないふりして何も気になりませんアピールしながらぼやっと見ないふりして見るというスタンスでしっかりちゃっかり凝視していた。小学生の時はずっとそんな子供だった。
 
 
 
 
 
 
 

バックトゥザフューチャーの粗筋は言わずもがななので割愛するが、私に与えた影響は甚だ大きい。真っ白なキャンバスである純粋無垢な子供だったから影響を受けやすいというのもあるだろうが、もうそれはそれはチュンチュンに影響を受けた。いやぐわんぐわんに影響を受けたかもしれない。チュンチュンもぐわんぐわんも差がわからないが。
初めてバックトゥザフューチャーを観たのは小学校4年とかだったか。とにかく観終わった頃には、なんて面白い映画なんだ!?と衝撃を存分に受けた。イメージ的には荒野の崖の上で雲一つない晴天に叫ぶ感じ。マカロニウエスタンに出てくるような広野の崖。
そしてそれ以上に時間と言うものに対してこんな考え方があるのか!!!と感銘を受けた。過去に行って起きたことの帳尻合わせを未来の自分がする。その帳尻あわせをまた過去に戻ってする。そんな概念は小学校の理科では教えてくれなかった。
その日から日常の身の回りの万物が過去から現在に、現在から未来へ、そして未来から過去にと、何かしら干渉しているんだ!ということを肌感で察知したような顔ですべてのことを注意深く見るようになった。つまりぶっていた。任侠映画を観た後に肩で風を切って歩くかのごとく、過去現在未来という時間の方向を毎日の生活の中に意識して行動するようになった。当時の人生を全部注ぎ込んだと言ってもいい。小四の全部。
そこからの毎日は玄関を出るときの一歩目を右足にしたか左足にしたかでどれくらい差があるかを意識して生きた。右足で出たからこの歩数でこの角を曲がることになってそのお陰で今通ったトラックに轢かれなかったのではないのか?教室のドアを右手で開けたからいろいろなものが干渉しあって結果今日先生に不意に授業で当てられたのではないのか?そういうような判断の積み重ねがどのようなものに影響を与えるのか常々考えて生きた。
朝起きて何を最初にするのか?お茶を飲むのか、寝癖を直すのか、ご飯を食べるのか。服はシャツから着るのか、ズボンから履くのか。シャツのボタンは上からか、下からか、はたまた一つ飛ばしか。玄関を出る時は右足から出るのか、左足から出るのか。教室のドアを右手左手どちらの手で開けるのか。給食は何から食べるのか。どの道を通って帰るのか。etc 
 
 
 
 
 
 

そういう目に見えない運不運然としたものを自分の行動でコントロールしようとしていた嫌いは私の行動規準の礎になり、その後長く根底にあり続けた。だから失敗した時などは必要以上に細かい部分まで遡りちまちま確認して勝手に穴だらけの理論を作り上げ、端から見るとそんなとこ関係ないやろというところまでの細かさに遡り、これが原因で失敗したのだと確定し断定しすこぶる後悔した。
余談だが高校で入ったバレーボール部では試合でサーブを失敗する度にサーブ前にするルーティング動作を増やした。エンドラインから七歩進んでボールを二回床に叩き付け左手の手のひらでくるっくるっと二回回転させて空気を入れる穴を見てボールの匂いをかいで呼吸を二回して打つというのが最終形態になった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

成功の可否は小さい人生の選択の連続で左右されているのではないか?ということをバックトゥーザフューチャーから勝手に学んだ少年は、よかったことが起きた時にした行動をどんどん取り入れて毎日の生活に組み込んでいきながら生きていった。小6になる頃にはほぼ毎日同じ足から履いた靴で同じ足から玄関を出て同じ道を通りあの道の角にある目印に同じ足を置いて登校するようになり、そこから勝負する日につける気合いのパンツ論や、風呂入ったら全部経験が毛穴から抜け出ていく理論などを構築して人生と闘っていた。
 
 
 
 
 
 

兎にも角にも偶然という必然があるのは過去の自分の積み重ねによる結果であり、つまり見えない未来の成功に対する挑戦は何度も何度も似たような状況下での繰り返し繰り返しトライ&エラーによる積み重ねの形である。そう生きてきた。
しかしだ。そうそう何度も挑戦できない事象が人生に出現するようになってきた。題目にもあるように収録とかMー1とかデートとか。これは何度も失敗を繰り返して積み上げて向上していくというわけにはいかない。一発本番絶対成功よろしくなのである。
収録もMー1もデートも年に一回くらいしかないので毎回それに履くパンツを同じにしていた。(もちろん右足から家を出るとか、ボタンを一つ飛ばしで閉めるとかもしてはいたが、確実に変わらなかったのはパンツ)
しかしほぼ年1の周期の空いている状態なので前回の感覚を覚えているわけでもなく、反省は活かされへん当たり前のやうに毎回同じようなことは起こらんしなんやったら予想外なことばかり起こって敗走して帰って風呂入る前にそういえばこのパンツ毎回はいてんな。とかなって勝負パンツやなくて敗走パンツ。収録Mー1デート全ての最中にパンツのこと思い出す瞬間皆無。意気込んで前日にいそいそパンツを引っ張り出した自分の滑稽さだけ浮き立って雲を突き抜けるほど浮上。次の年前回このパンツはいて失敗してなかったけ?それで私は諦めてノープランで挑むことが増えた。(その結果相棒に愛想尽かされるのはまた別の話)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 
 

 

しかしそれでもついに今年も勝負の時期が来た。今回の大会は芸人人生で一番機運が高まっている状態なのではと強く感じていて、つまるところ全てを掛けて挑みたいとこちらも構え臨んでいる。もうこんなチャンス次いつ来るかわからんぞ。てなもんやである。
それで今までのルーツやルーティーンなどを真剣に考え鑑みて一つの結論を出すことに成功した。現場でも感じることもでき、リラックスも兼ね備えたもの。身の回りのものでいつも毎回同じにできる事象の一つ。 
 
それは

匂い
オイニー
スメル
 
です!
 
なによ
いい香りって落ち着くし。
自分からいい匂いしたら気分上がるし。
昔から部屋とかいい匂いにしたいと常にそういうの選んできたし。
いい匂いの人根本的に好きやし。
リラックス効果とかあるやん。
決めたんやから。
もう。
ええやん。
別に。
好きにさせてよ。
真面目に言うてる。
はい。
真剣です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 



 
 
 
 
 
 

というわけで、今からやることはネタを仕上げるとか舞台数増やして経験積むとかじゃない。
お気に入りの香水探して買ってつけて舞台前に嗅ぐ。これや!!!!!!
今年は勝ったぞ!!!!!勝確や!!!!!!おりゃー!!!!!!ざまーみろ!!!!!!!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

サポートしてほしくない訳じゃない。サポートしてもらって素直にありがとうございますと言えないダメな人間なのです。