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「わたしは嬉しい時も、悲しい時もカレーを食べたくなる」



 

ある夜、旅先で、九十四歳になる田舎のばあちゃんが亡くなったと連絡がくる。年の瀬の出来事だった。小学生のころ、ばあちゃんちの近くの田んぼで見つけた夏の蛍、毎朝、唱えた日蓮宗のお経。じいちゃんの亡くなった日のこと。たくさんのことが笑顔で横たわるばあちゃんの姿から走馬灯のように蘇る。

 納骨の儀で墓地へ続く舗装されていない小道を歩くたびに、パンプスのヒールが土に埋もれてしまう。その道を、追いかけ合うように駆け抜ける子どもたちの姿が三十年前の自分や従兄弟たちの姿と重なり合う。

 四十歳を過ぎると途端に、人生の半ばだと腹の底から体が理解し始めた。過去と未来が交錯し、残された人生の時間について考えずにはいられない。自分という人間が存在して、消えていく。何が残るでもない。それならば、日々、心地よく過ごせる時間を優先していきたいと思う。

 恋をして、舞い上がって、悩んで、時には語り合って過ごしてきた日々を愛おしく感じながら、今は繋がりの薄くなってしまった友人たちのことを考える。
 
#小説

 
 
 
 




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