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創作について2

2006年から2013年までのあいだ、幾度かの脱退と復帰を繰り返しながら、僕はbananafishというバンドに所属していた。中でも2011年以降の活動は活発で、「絶対に売れてやるぞ」「音楽でくっていくぞ」なんて想いを胸に、やれることはすべてやろうと活動していた。

その一環として始めたのが、ブログだった。「4人のメンバーが日替わりで、記事を投稿していこう。」たしかそれを提案したのは自分だったと思うけれど、その当時は「4日に1度何かを書く」ということがどのようなことなのか、勿論わかっていない。バンドのまとまったお知らせに加えて、自分達のことをより深く発信していける場が必要だと思い、ただブログがその最適な手段だと思った。

実際、ブログを始めたことはバンドとしてとても良かったと思う。自分たちのことを気にかけてくれた人達が、ブログを通して作品以外の情報- 直近の状況や心情を知る。そんな場としてよく機能していたなと。(アーティストの皆さん、おすすめですよ)

そして僕個人としても、ここが本記事のメインとなるのだけれど、このブログを書く機会を得たことは大きな財産になった。「ブログやらない?」なんて提案をするぐらいだからそもそも文章を書くことには興味があって、それまでもSNSを使って日記を公開していた覚えがある。文章を書いて、何かコメントをもらったり反応をもらえることが嬉しかったんですね。

それでも、バンドのブログと個人的な日記とでは決定的に違うことがあった。何だかわかりますか?それは、「かならず締め切りがやってきて、内容にかかわらず投稿しなければならない」ということ。

4日に一度となると自分の担当は案外すぐにやってきてしまうもので、その間にいい記事ネタを仕込めるとは限らない。パソコンを開くこと自体が億劫な日だってあるし、慌ただしい時も、気分が落ち込んでいる時だってある。やっとこさ書き終わった内容を見て、「グダグダだなぁ...」と思うこともしばしば。それでも必ず、バンドとして続けるブログが途切れないよう何かを投稿する必要があった。

...結論をいってしまうと、こういう状況こそが創作においてベストな環境なんだろうと僕は思う。少なくとも、自発的に創作することを苦手に感じる人が、創作を楽しみつつ必要な筋力をつけるという意味において。

「あなたが何かを創りたいのなら、まず締め切りを創りなさい」

欧米あたりの自己啓発書(翻訳版)風に言い表すなら、きっとこんな感じだ。

(つづく)

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