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創作について3

4日前、僕は「火事場の馬鹿力」という記事をこのnoteに初めて投稿した。

そこでは、試験期間中に不本意にも寝落ちしてしまい、覚醒した朝5時から試験開始の9時まで、ちょうど4時間という時間を必死に使い切る経験を書いた。

実はそこで伝えたかったことも、根本はまったく同じだ。

「あなたが何かを創りたいのなら、まず締め切りを創りなさい」

この言葉は「創作」に限ったものではなく、あらゆる物事の「進捗」にもそのまま当てはめることが出来ると思う。仕事、家事、遊び、面倒くさいToDo...物事を先に推し進めたいのなら、進捗を生み出したいのなら...締め切りをつくりましょう!ということ。締め切りの持つパワーは、本当に侮れない。

先の定期試験についてもう少し話すと、そもそも医学部の学生がなぜ異常ともいえる量の知識を吸収し、脳内に留めておくことが出来るのか。それは議論の余地なく、「試験」という締め切りが存在しているからではないでしょうか。もしこの明白で残酷な締め切りがなければ、おそらく殆どの人にとってあの知識量を詰め込むことは不可能に違いない。締め切りがあるからこそ、その日に向けて心身を整えあるいは削り、結果としてそれらを乗り越えるパワーが与えられることになる。その極端な例が今回の4時間で、「人は限られた時間の中、信じられないクリエイティビティやパフォーマンスを発揮するものだな」、とあらためて締め切りの持つパワーに驚いた。「どうしたら試験期間中のモードのまま、普段の人生を過ごせるだろう?」そんなことまで、実はすこし真剣に考えるほどだ。

創作に話を戻そう。「創りたいのになぁ...」というあなたへ。なぜあなたは、コンスタントに創作活動を続けることができないのか。なぜ、ある程度のアイディアを頭に泳がせながらも、しばらく開いていない文書ファイルを思い出したり、埃をうっすら被った楽器を目にしたりしては、何とも言えぬいや〜な想いを抱くことになるのか。「モチベーションが再び上がるいつか」を待ち望みながら、なぜその日が一向にやってこないのか。

もちろん、それは「締め切り」を設けていないからだ。

その道のプロでない限り、僕らの創作活動は本質的に「自発的」なものだから、いわゆる締め切りが存在しないことは当たり前で、仕方がない。でもそこで、自身の「溢れんばかりの創作意欲とクリエイティビティ」に期待して作品の完成を夢見ても、おそらく何年経っても何も生み出せない。その間、あなたの画材やカメラに埃は積もりつづけ...頭の中では少しも前進を見せない技術や経験を前に、「今さら始めるのはもう遅い」なんて落胆の声がよぎることになる。

...えーと。

ここまでえらそうに物事を語っていますが。これ、すべてそっくりそのまま、今までの自分自身のことを云っているという皮肉(白目)。これまで何度も何度も苦い想いをしてきた、僕の創作活動。何かの機材(主に作曲関連)を揃えては、「これを買ったらやる気が出るだろう」と自身に期待し...結果、何も起きずに機材は使われず、次第に目に入ることも嫌になってしまう。そしてバシバシと削ぎ落とされていく自信や自己肯定感。「あー、今回もダメだったか」と。

逆に、実際に目覚ましい成果を得たのは、見事なまでに「明確な締め切り」から生まれたものしかなかった。

まずバンドの楽曲制作がそう。レコーディングという明確な締め切りのために、アイディアを捻り出し徹夜で練習した。レコーディングによって楽曲は完成するというのは、僕の揺るがない持論。あと、僕は過去に個展を開いたことがあるのですが、その時のことは今でもギャグみたいだと思う。美術館巡りが好きだった当時の僕は「自分もやってみたい」との思いだけで、どんなテーマで何をしたいのか白紙のまま、先に会場をおさえてしまったのです。Amazonで書籍を買うかのごとく、ポチッと。他人に向けた作品など、それまで一切つくったことがなかったのに(!)。でも結果、僕はオリジナル曲を収録した配布用CDを制作し、大型の絵画を2枚(油絵1枚含む)、写真作品付きのインタビューを3名分、その他にも作品を10点以上用意して個展に臨んだ。「何も準備できなければ、机をひとつ並べて握手会をしよう」という悲壮な決意の中、直前にギックリ腰を経験したりともう大変だったけれど、何とかやり切ることができたんでありました。...どうです、締め切りパワーすごくないですか?(笑)

だからこそ、自身に向けて、その先で共感してくれているあなたに向けて(もしいるなら)、僕はあらためていいたい。何度でも。

「自分で締め切り、つくってみませんか」と。

(つづく)

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