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神様の眺め

「(自分の)内側が、(現実として)外側に現れている」
としてもよ、神頼みしたくなるときはある。

「自分の内を整えることが大事」
と知ってはいても、そこに神様がいたら、お願いしてみてもいいじゃない。

数か月前、仕事の時間調整で立ち寄った神社さん。
人がいない静かな境内をぶらぶらしているうちに、ふと「言っちゃおうかな」という気になって、拝殿の前で手を合わせながら話した。

神様に話すときは、まず、
「○○から来た(○○に住んでいる)●●●●(姓名)です」と言うといいと以前に教わってから、ずっとそうしている。

仕事の人関係(ひとかんけい)でやりにくかった時期で、「どうにかしてほしいです……」みたいなことを打ち明けるようにツラツラと話した、神様に。
話の最後にお願いしたのは、
 (状況を)ホントに何とかしてほしいです。
 (私は)参っています。
 (私が)スムーズに仕事ができるようにしてください。

たぶん1~2分のこと。
最後に自分の結論としてお願いしたときに、後ろからそよそよと風が吹いてきて、うなじを撫でられるような感じがした。

その後、仕事を終えて帰路の途中、クライアント先の上の方から電話が入った。
「これからいろいろと変えたい」みたいな意向のお話。
この時点では、いいほうに変わるのか、ますますやりにくくなるのか、話の先が見えなくてドキドキしたのだが、あれよあれよと改革が起こり、仕事自体が好条件になり、状況も変わった。
神様のおかげだとしたら、やること早くてびっくり!

あの神頼みから数か月が経ち、先日、再びあの神社さんで時間調整する機会があったので御礼参りをした。
くるっと振り返ると、石畳の参道の先に空が広がっている。
拝殿の横道から境内に入っていたので気づかずにいた。
そうか、この神社さんは高い所にあったのだ。

神様はいつも、こんな眺めで、参道に上がってくる人を見るのかなあ。
拝殿を背に、神様の眺めを見た気分。

ここは二宮神社さん。


≪🌎23*1022*P231010📒231022≫

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