奇数の気持ち
先日呼ばれた飲み会の場に区立中学の先生がいらして、ある生徒さんの話になった。中学三年生にして彼の九九は「シチシチ シジュウハチ」なのだとか。
「惜しい!」
その場にいた二人が声をあげた。
『近いけど、違う』と私は自分の中で呟いていた。
本当は惜しいも近いもなく、その生徒さんは覚え違いをしているだけ。単に歌詞を間違えて覚えてしまったようなものなのだ。と自分の結論付けをしたあと、九九のことをあれこれ考え始めていた。
九九に頭を乗っ取られたも同然、帰ってきてからも検証したりして、九九の世界は面白いことになっていると気づいた。
九九は、奇数x奇数、奇数x偶数、偶数x偶数の3通りの掛け算の世界だ。
その答えは、クク=81通り。
使われる数字は、奇数と偶数の2種類なのに、答えの数は二つに割れない奇数(81)なのだ。
ということは、奇数になる答えと、偶数になる答えのどちらかが数の上で優勢になっているわけだ。
奇数x奇数、これは絶対に偶数にはならない。答えは奇数だ。
同じように、偶数x偶数は絶対に奇数にならない。偶数になる。
ところが、奇数x偶数だと、奇数は偶数に潜むようにして、偶数になる。
こうして九九の世界では、81通りの掛け算のうち、56個の偶数と25個の奇数の答えを導き出す。比率にすると、偶数の答えが約69%、奇数の答えが約31%。
どうしたって偶数のほうが幅を利かせている。
と、九九の世界に入り込んだ私は、ふと「自分は奇数だな」と思った。
「偶数では、ないな」と、本能的に奇数の気持ちなのだ。
自分が奇数に属すると思った途端、「孤独」という言葉が浮かんできた。
奇数の孤独。
言葉として似あっている。
偶数の孤独。
うーん、しっくりこない。
奇数の気持ちで言わせてもらえば、奇数は群れない習性。群れるのが苦手で、孤独の中で安心しているところがある。
そもそも奇数に孤独は付き物で、むしろ孤独愛好者であり、孤独がないと世界を失ったも同然になってしまう。仕方のない孤独を認識しつつ、孤独の世界で羽を広げているのだ。
数のうえで勝る偶数たちの答えの前に、支持率の低い奇数の答えは鳴りを潜めたふりをして、孤独の中で生息し続ける。
偶数が九九の世界では絶対に奇数になれないのに対して、奇数は偶数との掛け合わせで偶数の答えも知っている。だからといって、奇数が偶数の答えになろう、染まろうとはしなくていい。
九九の世界はの奇数・偶数の比率は変わらずとも、タイプとしての奇数・偶数は、徐々に徐々に影響し合って世の中を変えていく。
やがて奇数は偶数になり、新たな奇数が生まれ、それもやがて偶数化する。
これまでは、偶数化のサイクルは20年ぐらいだったように思う。これからは、もっとサイクルは短くなる予感。
≪🌎08*1010*P09📒231010≫
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