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唯一そのとき

小学校の遠足で、陽の当たる石畳を、列を成して延々と歩いた記憶がある。
陽の光がやわらかく暖かくて、川の流れは壮大で、
何だかもう「最高に素晴らしい所へ来た!」という印象がずっと残っていた長瀞。
その遠足以来、秩父の長瀞は、いつかまた行ってみたい場所になったままだった。

天気の良さに誘われて、急に思い立って長瀞に向かった。

行ってみると、子どもの頃に焼き付けた印象が幻のよう。

長瀞は今でも川はきれいだし、自然溢れる素晴らしい場所。
ただ、子どもの頃に強烈に感じたものがそこにはなくて……。

子どもの頃の遠い記憶にはよくあることだが、
あのとき味わった素晴らしい場所は、ずっとそこにはなくて、
どこを探しても行き着けなくなっている。

そのとき、その場所で感じるものは、唯一そのときのものなのだと、
記憶の探しものを諦めて、
それでも脳内に残るあの日のやわらかく暖かくて、壮大で、
何だかもう「最高に素晴らしい所へ来た!」という印象に浸ろうと試みる。

そう、
あれはやはり夢でも幻でもなく、味わったから知っている唯一そのとき。

≪🐟12*1011📒221011≫

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