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松籟日記 好きな映画と、松風いおりの標榜

                           (題字:松風いおり)

「最初の日記が意気込みとかじゃなくて『エヴァ』でいいんですか?」

 いや、まったくもってその通りだと思う。

 昨日、劇場版コナンの新作も公開されてしまった。このままでは『エヴァ』に続いて『コナン』を観て来た報告が続いてしまう。これではいよいよ私というものがわからなくなってしまう。仕方ない、松風いおりは映画が好きだから。

 先日、ついに重い腰を上げて自己紹介を纏めたツイートを作った。そこにも『好きな映画』という項目があったと思う。というか、そのくらいでしか自分を紹介する術を思いつかなかった。苦肉の策が『好きなSCP』だ。好きなSCPに言及する自己紹介なんてこの世にあるのだろうか、そう考えると逆説的に、そんな場で好きなSCPを持ち出してくることこそ、私の人となりならぬ「狐となり」がわかる……ような気もする。

 せっかくなので、好きな映画の話をもう少し深めてもいい?

 プロフィールカードには『イヴの時間』と『バグダッド・カフェ』の二つを挙げた。年間300本映画を観るとして、私は齢n歳の狐だから、今までに見た映画の本数は300nにのぼる(このnには松風の年齢と考えたときにあなたが好ましい自然数を入れる)。その中で絞ってきたのがこの二作。本当は 『蛍火の杜へ』とか『マジェスティック』とか『ボビー・フィッシャーを探して』とか、『セブン』『椿三十郎』『ミルコのひかり』『薔薇の名前』とか、いろんなものを入れたかった。

『イヴの時間』は、アンドロイドと呼ばれる、いわゆる人型ロボットを巡るアニメ映画だ。私は、アンドロイドがコーヒーを味わう、そのシーンを目にした時に胸に溢れてくる、なんともいえない幻肢痛のようなものが好きで、何度もこの映画を観ている。長くないし、落ち着いた雰囲気がアニメーション映画っぽくないのもオススメポイントだ。タイトルと同じ名前の喫茶店『イブの時間』のマスターの声は、声優の佐藤利奈さん。その優しくて品のある声音と、こだわりのコーヒーショップ、そこで気に入りの一杯を味わうために通ってくる人とアンドロイド、挫折や懸隔、ピアノの音色……そんな雰囲気にちょっと惹かれるものがあったら、ぜひ観てみてほしい作品だ。

『バグダッド・カフェ』はアメリカの砂漠にあるダイナーともモーテルともどっちつかずの場所を舞台にしたヒューマンドラマだ。何が好きなのか、と問われると、主人公ジャスミンが『ヤスミン』と自分を名乗るところから感じられる、ドイツの雰囲気が好きなのかもしれない。尤も『バグダッド・カフェ』は西ドイツの映画で、かつて私を暖かく包んでくれたのは東ドイツはドレスデンの空気だったが。それから、テーマソングの『Calling you』が至高。あとは派手なカメラカットもないし、練り込まれた伏線があっと息を呑ませるでもないし、女優がめちゃめちゃ美人なわけでもないし……まさしく、好きな雰囲気を楽しむ為だけに、やっぱり私はこの映画を何度も何度も観返している。

 さいきんは居所にもだいぶ近代的な設備が整ってきている。庵は冷暖房完備だし、茶室ではWi-Fiが取れる。そこにカワウソよろしく映画や書籍を溜め込んで、私は誰かのファインダーを通した世界をみるのが好きなのだ。

 そのうち配信をするようになったら、好きな映画や本の話もしてみたい。ひとつの映画を取り上げて、裏話やキャスティングの妙からはじまり、映画史の中でどのように位置付けられるものか、当時の流行が垣間見えるカットや、映画論的構造の話などなど深めていくのも(私が)面白いし、同時視聴でただただため息を漏らすだけ2時間という枠もあながち悪くない。さいきん見た複数の作品について喋るプレゼン枠も楽しそうだし、逆におすすめされたものを見て私が楽しむのも気になる。このノートで前に『2001年宇宙の旅』に登場したチェスの棋譜から内容にちょっと迫ろう、という試みをやったけれど、あんなものは序の口で、そうした小ネタのストックが私の庵にはまだまだある。

 本の話。これもしたい。映画を300/年で見るというなら、私は本はそれ以上のペースで読む。そして読んだ本を私は忘れない。数学書や日本の古書古典はライフワークだからよく読むのだけど、いわゆる読書、となると、古典的な推理小説が好き。ハードボイルドやSFもいいが、純文学もけっこう読む。幅広く読むけれど、私の庵が若干傾いているのは主にこれらの所為だ。和歌や記紀、本邦の古典文学の鑑賞の話は日本語のみならず英語でもして、世界に魅力を発信してみたいと思っているけれど、それ以外にも、私がサリンジャーやチャンドラーの話をしてにこにこするだけの配信や、島田荘司や法月綸太郎の話をしてテカテカするだけの枠もやってみたい。ちなみに、強いて好きな作家をあげるなら、私は邦文学なら梶井基次郎と三島由紀夫、海外文学ならレイモンド・チャンドラーとJDサリンジャーの名を唱えたい、そういう読書経験の狐だ。

 古典の観賞、といえば、チェスの記事で西行を引いたりもしてきた私の名前について、気づいている人もいるのかもしれない。『松風いおり』は、とある内親王が詠んだ歌、

住み慣れむ 我が世は どこぞ思ひしか 伏見の暮の 松風の庵

 から来ている。私の前のTwitterアカウントのIDを知っている人は、これで合点がいくところもあるだろう。

 話題がやってみたいことについて、になってきたので、この辺りで私が挑戦してみたいことや、何故こういう機会をもらったのか、このようなメディアでどのようなことを目標にするのか、という話を少しだけ触れておこうと思う。文章にすることは、頭の中だけでフヨフヨと漂っている思考をもう一段階ソリッドなものにしてくれる。

 発端は、私の起居する廃神社に不時着してきた友人だ。今は神社の地下洞窟に棲んでは、フロムゲーをやって夜な夜な奇声を発したりしている。彼がこの世界をよく知る術として、配信を挙げたとき、ふと私にも腑に落ちたものがあった。『世界を見たい』というのは私の大切な人の願いであり、またひいては私の願いそのものだ。

 一方で、私に何ができるだろう、ということも考えたし、考え続けている。
 先述したように映画や本の話、それから今までしてきたようなチェスや将棋の話……これらは本質ではなく、表現型だ。話したいことはたくさんある。話したい言葉もたくさんある。世界中の言語で、私を涵養してきた私の国の素晴らしい文化、茶道や書道、和歌や和算、神道に端を発する島嶼的な精神性や世界観の話をするのも面白いが、そういうことではなく、もっと高次の、私が寄与できるところは何か、ということだ。

 人の子の生涯は短いが、記憶と記録は彼らの魂を縷々綿々と生き延びさせてきた。知識というものはいつしか有志により学問に昇華され、そして誰かの死後にも、彼の子孫に寄り添い続ける。私はこの挑戦のチャンスを通して、まだ知らぬ世界を見ると共に、記憶を手繰り記録を紡ぐものとして、今この瞬間の、世界中の生きとし生けるものと繋がりたいと思うのだ。知らない風景を誰かから見せてもらい、そして私は私の知ることを世界に還元していく。そして、誰かにとって少しでも豊かで生きやすい明日が生まれることが、私の目にする世界の景色をより豊かで、より美しいものとしてくれることだと信じている。

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