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松籟日記 ゴールデンウィークの風物詩


 書いてみたはいいが、案の定というか強烈なミスマッチを感じる。
 ゴールデンウィーク、の音が七五調に合わないから、というのはひとつ大きそうだ。そういえば、この前、『さよならすべての エヴァンゲリオン』を七音ー七音に嵌めて付け合いで遊べる、という発見が話題になっていたな、と思い出した。『それにつけても 金の欲しさよ』を五七五につけることでいかな風雅なものでも台無しにして遊ぶ、という「金欲し付合」というのが江戸中期に流行っていたが、こういう無邪気なメンタリティとエスニシティは案外変わらないのかもしれない。『あんたはここで ふゆと死ぬのよ』を付けて遊ぶ通称「あこふし付合」も流行ったばかりだ。こういう誰も傷つかないような莫迦な遊びをする配信も面白いね、と相方と話したことがあるので、そのうちやったりするのかもしれない。

 GWの風物詩、として界隈の者ならピンと来るだろう。劇場版コナンの時期だ。去年が上映延期になったため、1年ぶりの新作だ。昨年の時点では先行きの見えない感染対策、ということもあったのだろうが、様々な思惑を載せたベクタが向かい始めている世相を見るに、現実のオリンピックとのリンクを大事にしたい、という構想もあったのかもしれない、と思う。今回の『コナン』の舞台はWSGと呼ばれる、世界中のアスリートたちが集まる祭典が東京で開かれる、という設定だからだ。

 開催地東京と新名古屋駅を結ぶ超電動リニアモーターカーが、WSGの誘致と合わせて開発され、敷設され、そのお披露目走行で開会式へとリニアを到着させる、というのが事件当日の設定。新名古屋駅、は場所こそ違えど、名鉄名古屋駅がモデルになっているのだろうな、と思った。すでに松風は2回みた。リニアが発車するシーンで、画角の左側に小さいながら金時計と銀時計が映り込んでいたりするのは、細かい仕事だと思う。なぜその熱量がセントレアの外観に割けなかったのかは不思議だ。通称セントレアで親しまれる中部国際空港だが、映画で描かれたあの建物は空港という機能を考えると極めて不可解な形をしている。他にも、名古屋の観光名所がたくさん出てくるので、こんな時勢でなければ再び足を運ぶのも楽しかったろう、と思った。羽田秀吉が出てくるシーンでは、名古屋城と、そしてそれを臨む場所として新将棋会館の建設予定地が登場している。昨年末には、現実で名古屋市と将棋会館が将棋普及のために連携協定を結んだ、というニュースがあったが、愛知県は瀬戸市出身の藤井聡太二冠の活躍の余波がこんなところにも、と、将棋ファンとしては少し嬉しくなった。同じシーンで、秀吉が新将棋会館建設の委員に立候補した理由が、「資金集めや挨拶に走り回ると、将棋に打ち込む時間が減ってしまう。そんな想いをするのは僕だけでいい」という心情からであったことが明かされるなど、何かをヒロイックに持ち上げることに付き纏う功罪についてもチラリと光を投げかけてくれるあたりが、少年少女が多く見るだろう映画を作っている製作陣の、本当に粋なところだと思う。

 そんな『太閤名人』六冠にして赤井秀一と世良真純の兄弟であり、メアリー世良の息子である羽田秀吉が、今回犯人逮捕に一役買うのは見せ場の一つだ。キャメル、ジュディ、ジェイムズのFBI組が犯人の逃走者を追い詰める、というシーンなのだが、土地勘がないから不利だと零すキャメルに檄を飛ばした赤井は、電話でFBI組に指示を飛ばす。その内容は、地図を見て瞬時に周辺の道路を記憶し、犯人の意図を看破した秀吉の推理、否、『詰将棋』によるものだった。上手い、と思ったのが、これがまさしく詰将棋で、先手はFBI組の移動、後手は犯人の逃走、という1手ずつの攻防であり、更に言えば、常に移動先でFBIの車が逃走車に接敵している、というところにある。これがチェスであればチェックをかけることはプロブレムにおいて必須の項目ではないのだが、『詰将棋』は王手の連続、つまり常に動いた後は相手玉に王手がかかった状態でなくてはいけないのだ。ちなみに履修済みのファンなら周知のことと思うが、羽田秀吉とチェスには浅からぬ因縁がある、ということも付記しておきたい。字面で察せる通りに、このキャラクターのモデルの一人は羽生善治永世七冠その人である。

 ところで、少し思っていることがある。
 今回、映画を見て再燃したのだが、チェスや将棋といったボードゲームに秀でていることがしばしば、探偵や刑事といった推理小説の花形のサブスペシャリティのように扱われるトレンドがある。チャンドラーシリーズのフィリップ・マーロウが『長いお別れ』で、シュタイニッツのフレンチ・ディフェンスを並べていたシーンは印象深いし、エラリー・クイーンの『チェスプレイヤーの密室』は傑作だ。ちなみにフリッツ=ライバーの手になるもので、『The Moriarty Gambit』という短編がある。ここでボードを挟んで対峙しているのはなんと、ホームズとモリアーティだ。世界的名作ばかりに留まらず、たとえば少年少女を推理小説という沼に突き落とす役として打って付けの、青い鳥文庫の『パスワード』シリーズに出てくる少年の一人が奨励会にいたような覚えがあるし、ルパン三世には『イタリアン・ゲーム』の副題の作品がある。最近読んだものでは、柚月裕子による、将棋界を舞台にしたミステリ『盤上の向日葵』はとても面白かった。

 たとえば『図書館の魔女』の主人公・マツリカは非凡な将棋の才を示し、これが彼女の高い問題解決能力とオーバーラップしてくるわけだが、現実にもこうした問題解決の手腕とボードゲームの棋力が同一視されるような局面がある。プーチン氏が記者会見でチェスについて語っている映像をみたことがかつてあるし、ガルリ・カスパロフは政治家だ。チェ・ゲバラはチェスを愛したし、論語や孟子には既に戦略シミュレーションとしての性格を帯びた囲碁についての言及がある。普遍性と専門性を取り違えることはノンセンスだが、これらに一貫するのは限局的な状況で発揮される、目標遂行のための理詰めの力であり、これを一般化するとすなわちゲーム理論に行き着くのだろう。将棋を趣味として始めたからプロジェクトの陣取りが上手くなって出世するかというとそうではないが、より抽象化して限られた状況、限られた資源の投入、限られた手数でもって、設定した目的を達成するために、対戦相手がどのように動けば最大の利得を得られるかと考えて動いてくるかを考え、自分の行動を最適化する、という点においては、古今東西、これらのボードゲームの右に出る訓練はないのかもしれない。

 ゴールデンウィークは、新年始まっての緊張と夏休みの緩和の間にある貴重なブレスの時間だ。ゆえに受験生などにとっては、とても心が苦しい時間でもあると聞く。研ぎ過ぎた刃は鋭くとも極めて折れやすいし、張り詰めた弓は靭いが極めて切れやすかろう。安息にも適正があると思うが、緊張にもまた、適正がある。体力や精神力を引っくるめて貴方の持つ戦力であり、勝負所を逸した投入は必ずしも戦果につながらないものだ。各々の想いを載せた今年の連休が、どうか貴方の心休まるものであるように、と願うばかりである。

 

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