ランナー・アンド・チェイサーズ・オン・ザ・ブレイド

【ランナー・アンド・チェイサーズ・オン・ザ・ブレイド】


 #0(プロローグ)

「安い。安い。実際安い」空を泳ぐ巨大なマグロツェッペリン。「安心が第一。皆さんを守ります」暗黒メガコーポの喧伝。「課長がなんだ!オレはエラくなるんだ!」泥酔したサラリマンの嘆き。ネオンの滝がそれらをミックスし、ネオサイタマという巨大なタペストリーの一部へ変えていく。

「イヤーッ!」一息にネオン・カンバンを駆け上がり、青年はフードの奥からそんな街を眺めた。口元には笑み。この街が好きだ。彼の名前はデン・トオイ。腕に巻いたホログラフィック・リストバンドが、何かのタイムリミットを刻んでいる。機能性カーゴパンツに滑らかなジップライン・パーカー。

斜めに背負った鋼鉄の筒は実際重く、彼は多少の機動力を犠牲に安全な道をとることを余儀なくされていた。普段ならばこのカンバンの更に二つ上、ヤクザ事務所のベランダを踏んでいくところだが──「なーにが入ってんだか」ぼやき、彼は少し慎重に跳んだ。バチバチと音を鳴らす断線ケーブルを避ける。

荷物の中は知らない。おおかた爆弾や何かしらの兵器なのだろう。絶対に落とすなと念を押すメッセージが左目の網膜ディスプレイの上でチカチカと瞬いていた。実際知る必要もないし、知れば彼は二度とヒキャク・パルクールのできない身体にされてしまうだろう。荷物を運ぶ。カネをもらう。遙かに良い。

ネオサイタマで生きていくには、何かしらの特技が必要だ。たとえばサラリマンとして名刺を配り、上司におもねり、セッタイ・プロトコルを完璧に行う。それも生きるための技と言える。スシの腕を極めれば、イタマエとして上流階級の暮らしができる。ヤクザとして裏社会に生きるにも暴力が必要だ。

必要なもの。トオイは色々な人間を──主に依頼主として──見てきたが、誰もがそうした技を持っている。それが自分の場合はパルクールで、自在に夜の街を駆け抜ける身軽さであったわけだ。それだけだ。適材適所という言葉が好きだった。この爆弾だって、適した場所に運ばれ、適した所で使われるのだ。

ホロ・バンドが警告音を鳴らした。予定ペースを三秒ロス。仕方ない。トオイは荷物の固定を確かめながら、何らかの前衛的芸術要因によって湾曲した構造に造られたビルの壁を滑らかに駆けあがり始めた。このビルではカネモチの集まるパーティが開かれ、ニンジャが警備に当たっているという噂もある。

ニンジャとは、突如として超人的な身体能力を得たヤバイ連中のことだ。ヤクザが束になってもたった一人のニンジャにかなわないし、銃弾を指先でつまんで止めてしまうという。「おっかねえ」彼は自嘲気味に笑い、スピードを上げた。パーティの邪魔にはなるまい。湾曲の終点に歩幅を合わせ、踏み切る。

「イヤーッ!」自然と口からはカラテシャウトが漏れ、爽快感が全身を駆け抜ける。ネオンの滝へダイヴするような没入感。この街と一体化するようにスピードに乗り、背後へ流れていく人の群れを、光の絵をニューロンの端で感じる。スイカめいて赤と緑を行き来していたホロ・バンドが緑色に落ち着いた。

「目標地点まで直上20メートルな」網膜ディスプレイに表示。右手に電柱。左は自販機と配管。このビルだ。スピードは落とさないまま、トオイは垂直に跳んだ。そして電線の上で跳ね、さらに跳躍。「目標地点な。予定タイムを二秒更新」「イヤーッ!」空中で身を捻り、トオイの身体はベランダに着地した。

「ドーモ!ご依頼の品です!」閉め切られたカーテンが揺れ、人間の顔が現れた。トオイは少し動揺したが、それを表情には出さず、オジギ姿勢をキープした。顔を出したのは女だった。「ドーモ。もう少し静かにお願いできるかしら」「スミマセン」「まあいいわ」女は端末を操作し電子タグを表示する。

「デン・トオイ=サン。確かに」女の眼は謎めいて澄んだ金色だった。トオイは不可解な怖気を覚えたが、クライアントの前なので我慢した。彼女の持つアトモスフィアは奇妙に張りつめて、危険だった。(爆弾なんかを運ばせる女だからな、当然か)つとめて楽観的に考え、タグに触れる。仕事は終了だ。

「お疲れ様でした」社交辞令。「コンゴトモヨロシク」呪文めいたプロトコル。奥ゆかしい日本人の気遣い。「オタッシャデー!」トオイはそのまま背中からベランダを降り、電線に軽く手をひっかけて空中で二度宙返りをうった。クライアントとして二度と会うことはないだろう。同じところを使えば足がつく。

「あー。デン・トオイ。配達完了」「オツカレサマドスエ」送信したメッセージに対し、コンマ数秒で定型文レスポンス。「あれ、今ってミカラ=サン?」それに対する返信は数秒かかった。「何よ。社用IRCなんだから、仕事以外のことはダメよ」「今日はトップまで?」「まあね。アンタも働きなさいよ」

「給料が出る限りはやるさ」「あっそ。私、忙しいから」「オーライ」トオイはIRC通信を切り、リストアップされる配達依頼を眺めた。指名依頼は今ので最後だ。他は誰でも可能な使いっ走り、実際安い仕事だが危険も少ない。「さァて」当然、報酬の良い仕事から消えていく。リスト更新の瞬間を狙うのだ。

ピボッ。更新。滝めいた情報の羅列を一瞥するが、今夜はめぼしい案件は少なそうだった。ピザの配達でも数件こなして、それから一杯やってミカラを待つか。ミカラは新人だが頭の切れるエンジニアで、コーカソイドの血が混じっているのか綺麗な金髪だった。肌も白い。そして運よく脈ありだ。

電柱の上でしばらくそうしていたトオイは、「よッ」再び夜のネオサイタマへとダイヴする。適当にエントリーした依頼はカチグミ・サラリマンの使い走りだ。どうしてもとある屋台のソバが食べたいが、カチグミである自分が安全なマンションから出ていくのは気が進まないという。「ったくよ」

網膜にテキスト表示。「ソバの状態によって報酬は上乗せ。もしも悪ければ報酬ゼロ。スシ・ソバはやめた方が良いんじゃない」こんなチャチな配達依頼にわざわざナビゲートする人間はいない。たとえば自分に気がある女の子でもなければ。「オーライ」トオイの笑みは深まる。悪くない夜だ。実にいい。

その夜が、デン・トオイにとっては史上最悪の夜になった。

 #1

「フザけやがって」デン・トオイは毒づきながら端末を眺めていた。マンションの18階までテンプラ・ソバを届けたら、やはりスシ・ソバがよかったと駄々をこねるサラリマンが出迎えてきたのだ。「ガキかっつーの」注文内容は指定なし、とにかくソバが食いたい、とのことだったはずだ。

支払い拒否しようとするサラリマンを利用契約で脅してなんとか報酬にはありついたが、胸糞悪いことには変わりない。ピボッ。着信。「上手くいかない時もあるよ」「うるせ。俺の配達は完璧だったぜ。一滴も零さなかった」「あ!」電子ノイズが走り、トオイは顔をしかめる。「叫ぶなよ」

風が強く吹く。ウシミツ・アワーまではおよそ四時間もある。ネオサイタマの夜は始まったばかりだ。「ご、ごめん」ミカラは少し興奮気味にテキストを送信した。「指名きてるよ!」「マジか!?」指名依頼はある程度名の売れたヒキャク・パルクールにしか届かない。報酬にもかなり色がつく。

当然、その分危険な依頼であることが多い。ヤクザがらみもしょっちゅうだ。さっきの爆弾配達はかなり易しい部類に入る。「えーと…ハコバ博士?…胡散臭え名前だ」「Y2K以前のレリック収集と研究をしてるんだって…すご。お金持ちだよ」「訂正。胡散臭くねえ」「あ、でも、内容は現地で説明だって」

トオイは一瞬だけ考え込む。インターネットを介して送ることを躊躇うような内容の依頼、ということだからだ。だが…「半額前払いだって」「ウーン」「成功で更に倍額!?」「分かった。オーライ。行こう」そもそもの話、指名依頼を蹴ればこの先再びオイシイ仕事が回ってくる可能性は低い。

「それに、だぜ。俺をわざわざ指名するってことは…特別料金のこと、知ってるんだろ」「たぶんね。ウチの会社、そういうとこあるし」「カネモチはいいよな」トオイは既に走り出し、三つの塀をまとめて飛び越えていた。複雑にケーブルや増築の重なるネオサイタマ市街も、彼らにとっては一本道だ。

「座標情報取得。ヨロシサンの旧プラントみたい…今は博士のラボになってるって」「ヨロシサン?」「そ。正式に買い受けた記録が残ってる」「へえ」ビーッ。ホロバンドに警告音。「止まって。KATANAの連中が通るよ」「もうそんな所かよ」今のネオサイタマの勢力図は複雑だ。

かつてアマクダリ・セクトという組織が静かに支配を進めていたこの街が月の破砕と共に自由になると、世界中の暗黒メガコーポがこぞってテクノロジーのサルベージに訪れた。それらの勢力が互いにぶつかり合い、そして街を守る勢力が立ち上がり、一定の均衡を得るまでに流れた血の量は計り知れない。

ネオサイタマ側には恐るべきヤクザ組織、ソウカイ・シンジケート。強力無比なニンジャを抱える闇の帝王が君臨する。そしてかつてのNSPDから派生した何でもありの暴力機構、キモン。警察組織とは思えないほど粗暴で乱雑、そして信念を貫く連中。他にも、地域ごとの自警自治組織も存在する。

そのトップのほとんどはニンジャであるというのが通説だ。だから、このネオサイタマで彼らに牙をむくことはほとんど自殺行為に近い。それを成し得るのは海外の暗黒メガコーポ、たとえばカタナ・オブ・リバプール…KATANAのエンブレムをつけた恐ろしい企業戦士たち。

月破砕からの混乱の中で、そうした外来の勢力圏はこの街に根付いてしまっていた。危険な膠着状態は常に身近なところにある。たとえばこうした、勢力圏がぶつかり合う境界線。「オーケー。目的地まで1キロないよ」「業務妨害だぜ」「向こうもカイシャだし」「確かに」郊外の戦闘可能域では常に戦争が起きている。

「オムラも来てる。なんか、騒がしいね」「アダナスでもいればビンゴってか?」「アー…」「マジで?」「ビンゴだね。流石に街中で戦争はしないと思うけど…」アダナス・コーポレーション。謎めいたメガコーポのひとつで、独特のサイバネ技術で有名だ。オムラ・エンパイアは重火器信奉者の集まり。

「カタナにオムラにアダナスか。迂回路は?」「探してるけど、間に合わないよ」「突っ切るぜ」「本気?」トオイはフードをかぶり、襟元に畳んであったライムグリーンの布を引っ張り上げて口元と鼻を覆った。さながら、メンポのごとく。「いったん切るぞ。抜けたら連絡する」「…わかった」

幸運を祈るミカラの声も聞かぬまま、トオイは静かに跳ぶ。網膜ディスプレイに前方の熱源が映る。コンクリートの天蓋の下、開けた大通りに、まずはカタナ。揃いの黒く滑らかなアーマーの小隊。アダナス。電磁ステルス機構のボディスーツが威圧的。そしてオムラの戦車と、パワード武者鎧の集団。

「「ドーモ!年収矮小な敵対企業の小規模集団の皆さん!」」サイバー馬に乗ったオムラの上役が進み出て、拡声器を手に割れるような声で叫んだ。やや離れた屋根の上、トオイはじっとそれを見つめる。彼の横に一羽のカラスが飛び来て、謎めいた眼で彼を見つめた。「お前も行くか?」

「俺は行くぜ」「「我々はオムラ・エンパイア!!」」にわかに殺気立つ軍勢を眼下に、ライムグリーンの風が跳んだ。それはまさに稲妻めいた速度であり、少なからず存在していたニンジャ・エージェントの眼にも一瞬の残像しかとらえることのできない異常なスピードだった。

もはや一般人の影も形もなくなった通りを風となって駆け抜けたトオイは、勢いのままに十三連続側転を打ってから動きを止めた。パリパリと乾いた音を立て、彼の爪先を稲妻が爆ぜた。「通過したぜ」「流石だね。そのまま目的地へ」「オーライ」心臓が痛いほど脈を打つ。「クソッ」

異常加速していた肉体がゆっくりとクールダウンしていく。ピボッ。「着信。見られてるね…その建物だよ」トオイがそちらを向くと、地上へ生え出ようとするタケノコめいたシルエットの建物があった。入り口は三重電子ロックの巨大な鉄扉だ。『来てくれて嬉しい』電子音声。

「展開が早いな」『こちらも急いでいる。礼は後でさせてほしい』「さっさとブツを渡しなよ。その方がいい」『もちろんだ。中へ』トオイは背後を振り向いた。無人。近くで暗黒メガコーポ勢力が睨み合っているのだから当然と言えば当然だが、彼の知っているネオサイタマではないようで薄気味悪かった。

手招きするように鉄扉が僅かにスライドした。人間一人がぎりぎり通れるサイズだ。「潰されたりしないよな」『侵入者はそうなる』「前例あるんだな」『ウム』「オエッ」くすくすとミカラが笑った。つられてトオイも微笑む。やっぱりいい夜だ。この報酬が入ったら、ミカラになんでも好きなものをやろう。

突然、地面が振動した。「ワッザ」『急ぎたまえ』電子音声──ハコバ博士のものと思しき声は僅かに焦りを帯びている。「なあ、もしかしてかなりヤバイ?」『かなりな』「メチャクチャ落ち着いてるじゃんよ」音声にノイズが入った。それが笑い声だと理解した時、ラボの正面玄関が吹き飛んだ。

「グワーッ!?」「トオイ!」「大丈夫だ!」然り、トオイは無事だ。吹き飛ばされながら体を丸め、地面に衝撃を逃がしたのだ。「博士!」『こうなることは分かっていた。お前さんに託そう!』「ふざけんな!何を運べって…」「これだ」「あ!?」トオイが跳ね起きると、横合いから手が伸びた。白く滑らかなパワード鎧の腕だった。

「ドーモ。トラクターキャノンです」そのニンジャはアイサツした。両肩に奇怪な砲台を搭載した巨大なパワード武者鎧ニンジャ装束。チェストプレートには年収数字デジタル表示。「…ドーモ。デン・トオイ…」そうアイサツしかけてやめた。こいつは味方で、ニンジャだ。「リスクランナーです」

◇◆◇

+++任務通達な+++
LuminousRain:ハレルヤ。論理の護りあれ。
「ふう」通信を終了し、彼女は金色の瞳を外に向けた。ネオサイタマ。かつてアルゴスという電子の神が君臨した地。手元にはわざわざヒキャク・パルクールを雇って運ばせた鋼鉄の筒があった。唐突に現れたオムラの勢力は間違いなくあれを狙っているのだ。

彼女の胸に静かな愛社と信仰の精神が満ちる。ヒキャク・パルクールは優秀だ。輸送車では容易く妨害されてしまう道も、彼らにとっては足元の一歩にすぎない。澄んだ電子福音と共に筒の上部がスライドし、更に黒く光を通さない滑らかな物体がせり上がってきた。「ハレルヤ」少なくとも爆弾ではなかった。

彼女が手をかざすと、高純度エメツによって造られたロッドの表面を無数のネオンプラズマ光が走った。カタナ社の象徴たる聖なる光だ。彼女はロッドを手に取り、その重さを手に馴染ませるように軽く振った。ZAP!「なんということ」白く輝いたロッドからレーザー光線が放たれ、テーブルを蒸発させていた。

「調整が必要ね」微笑み、彼女は右手にジツをこめた。然り、彼女はニンジャなのだ。金の瞳が青白く発光し、天井のライトが明滅する。この部屋本来の住人の死体が野放図な光の雨に打たれてサイケデリックな陰影を描く。「イヤーッ!」再び彼女がロッドを振ると、正確に飛んだ光線が死体を蒸発させた。

「ああ…論理の護りあれ。ハレルヤ」何度目かの祈りを口にし、彼女──ルミナスレインという名のニンジャは部屋を後にした。突発的な企業同士の衝突はいわば陽動。同時に建前だ。背後で隠密に動くニンジャは彼女一人ではあるまい。敵対企業の情報は少ないが、ルミナスレインは自信に満ちていた。

◇◆◇

「ヒヒヒーッ!奴だ!ビンゴだフェイタルソーン=サン!」下卑た高笑いを上げるのは全身を襤褸布で覆った奇怪なシルエットのニンジャ、クロウスウォーム。それに応えてガスマスクめいたフルヘルムメンポの顔を上げ、じっと前方を見つめるのはフェイタルソーン。共にアダナス・コーポのニンジャである。

「殺るか!ヒヒーッ!」「待て」逸るクロウスウォームを短く黙らせ、フェイタルソーンは言った。「少し泳がせる」「横槍が入るぞ、フェイタルソーン=サン!」「その時はそいつを殺す。ここで逸れば、後ろから刺されるぞ」フェイタルソーンは白のパワード武者鎧ニンジャを見つめ、カラテを測った。

「奴はオムラのニンジャだ。単独行動をするならば少なくともダイカン級。手こずれば、それこそ邪魔者の思うつぼというわけだ。逃走を許すかもしれん…お前も見ただろう。あのヒキャク・パルクールもニンジャだ。かなり速い」ナムサン!このニンジャにはあの速度のリスクランナーが見えていたのだ!

「ググ…わかった。少し泳がせる」「ああ」腕組みするフェイタルソーンの姿は背後の夜景に溶け込み、第三者が視認することは難しい。アダナスの生体ステルス装束である。クロウスウォームは両手を広げ、「イヤーッ!」ジツを解き放った。その身体が鴉の羽根と同化して夜闇に飛び散っていく。

あとには一羽のカラスだけが残った。サバト・ニンジャクランのソウルがクロウスウォームに与える、一種のブンシン・ジツである。カラスは低く鳴き、バサバサと飛び立った。「さて…」フェイタルソーンは直立姿勢を崩さない。長い夜になるだろうという予感がした。それはイクサの高揚の予感でもあった。

「楽しませてくれよ」

◇◆◇

それを受け取る時、リスクランナーは三度ほどお手玉をしなければならなかった。トラクターキャノンの絶縁フレームアームを離れたそれはバチバチと放電し、彼の手を拒んだからだ。「痛ってえ!」「問題ない。君なら」トラクターキャノンは重々しく言い、契約書に雷神紋のハンコをついた。

「なんなんだよ、これ」シリンダーに入った毛糸の玉。初めはそう見えた。ごちゃごちゃと絡まった漆黒のエメツ・ケーブルが、ざわざわと表面を波打たせながら、奇妙なクリスタルで出来た旧時代の電球めいた物体に接続されて脈を打っていた。さながら、グロテスクな機械の心臓といった趣だ。

「超伝導体だ。黄金時代の高密度情報集積体を、ハコバ博士が手ずから改造した。エメツ・クラフト技術を発電とその循環に特化した…」「オーライ!」リスクランナーは手を上げて遮った。既に放電は収まり、超伝導体は彼の手で静かに青白く光っていた。まるで内なるニンジャソウルに呼応するかのように。

「俺なら大丈夫って?」「ああ。君の資料を読んだ…特別料金でそれを運んでくれ。君ならできる」「アンタは?」トラクターキャノンは胸の年収表示に手を当てた。44,508の表示が誇らしげに明滅した。「私は年収矮小な君に変わって敵を引き受けよう」芝居がかって大げさだが、本気だ。

「トラクターキャノン=サン!」ザッザッ!パワード武者鎧のオムラ・アシガル隊が整列し、トラクターキャノンに敬礼した。彼らがリスクランナーを見る目は様々だが、統一された侮蔑の感情は隠しようがない。彼らにとっては愛社精神こそが全てなのだ。「よろしい!配置につきなさい!」「オムラ!」

リスクランナーは燃える旧ヨロシサンのプラント施設をちらりと見た。ハコバ博士の身柄は無事だとトラクターキャノンは説明したが、会うことは許されなかった。「君のクライアントはオムラだ。博士は任せなさい」暗黒メガコーポらしい融通の利かなさだ。だが、それでいいと思った。適材適所。

「くれぐれもどこかで落としたり、年収矮小な敵対企業に奪われることのないように。その超伝導体は未来だ。オムラの未来!つまり、人類の未来なのだ。わかるね?」「ハイ」リスクランナーは素直に頷くことが正解だと知っている。「よろしい!」トラクターキャノンは満足げに手を叩く。

トントンと靴を鳴らし、リスクランナーは深呼吸する。目的地はネオサイタマの反対側、カスミガセキ・ジグラット方向。なるほど確かに、オムラの派手な装甲車や兵器では通り抜けることさえ叶わないだろう。万が一にもソウカイ・シンジケートの領地に土足で踏み入るような愚は侵すわけにいかない。

「適材適所、だな」「ニンジャ反応!」アシガルが叫んだ。パワード武者鎧ニンジャ装束のスピーカーをオンにしたトラクターキャノンが先手を打ってアイサツする。「ドーモ!トラクターキャノンです!」その時、KADOOOM!ひときわ大きな爆発と共にラボの残骸から飛び出す影!

リスクランナーの行く手に立ち塞がった朱色のニンジャがアイサツする!「ドーモ。サンブレーサーです」その名の通り、彼のブレーサー(手甲)は何らかの危険なジツによって熱く煮えたぎっていた。「ドーモ、サンブレーサー=サン。リスクランナーです」「まずは死ね!イヤーッ!」

「勘弁してくれよ!」リスクランナーの全身を彼のジツが駆け巡り、瞳がライムグリーンに輝く!サンブレーサーの炎熱チョップ!「イヤーッ!」ハヤイ!リスクランナーは既にサンブレーサーの背後をとり、そのまま駆け出していた。ライムグリーンの軌跡がジグザグに走り、あっという間に離れていく。

当然サンブレーサーは追おうと試みたが、成せなかった。炎をバックに、威圧的パワード武者鎧ニンジャ装束の男が呼び止めたからだ。アイサツによって。「ドーモ、サンブレーサー=サン。トラクターキャノンです」どんなに急いでいてもアイサツは返さねばならない!「ドーモ。サンブレーサーです」

トラクターキャノンは振り返らずに指を立てた。「十秒持ちこたえなさい!オムラ!」「「オムラ!」」命令を受け、アシガル隊は一糸乱れぬ制圧射撃!BRATATATATATATA!どんなニンジャでも銃弾を受ければ実際死ぬ。もう一人の襲撃ニンジャは両手のカタナを振るって防御に徹するしかない!

「オムラのモーター野郎め」サンブレーサーは吐き捨て、更なる熱をブレーサーに注いだ。太陽のごとく輝くブレーサーを無感情に見つめ、トラクターキャノンは傲然と進み出た。十秒。その言葉は偽りではない。「イヤーッ!」サンブレーサーの目映い炎熱心臓摘出チョップ!「オムラ!」「グワーッ!?」

…ナムアミダブツ!一体何が?流星めいて尾を引く灼熱のチョップはしかし、今や真逆の方向へ跳ね飛ばされて道路の向こうのビルへ激突!「年収矮小。しょせん敵対企業の犬」トラクターキャノンが照準を定めると、両肩の特殊キャノン砲がキュラキュラと射角を合わせた。「オムラ!」DOOOM!

「アバーッ!」二門のキャノンの奥でエメツリアクターが紫に発光し、放たれた強烈な衝撃波の反動でトラクターキャノンの巨体が僅かに後ろへズレた。射線となった道路のアスファルトは円形に抉られ飛び散り、壁にめり込み内臓を破壊されたサンブレーサーが痙攣した。「サヨナラ!」爆発四散!

「イヤーッ!」「アバーッ!」「オムラアバーッ!」トラクターキャノンは再びアシガル隊へ向き直った。「まだ九秒ですよ!オムラ!」「申し訳…アバーッ!」敵ニンジャが激しく右へ左へステップを踏むたびカタナが閃き、アシガルたちのパワード武者鎧を軽々と切断していく!

「雑魚ども!サンブレーサー=サンも口先だけよな!特別ボーナスは俺がいただく!」鮮血を浴びながらカタナを振るうのはトリックスリーブ、様々な刃物を手首の特殊ポケットに隠した暗殺ニンジャである。「イヤーッ!」電磁クナイを直接投擲!トラクターキャノンはセイケン・ツキで粉砕!「イヤーッ!」

トラクターキャノンはそのままの姿勢で声高に叫ぶ!「オムラ・ウケテミロ!」生き残ったアシガルたちは即座に陣形を組みなおし火炎放射器のトリガーを引いた!「ウケテミロヨロシク!」トリックスリーブは怯み、バックステップを踏んだ。「オムラ!」「「ダカラ!」」「オムラ!」「「イチバン!!」」

オムラの威圧的チャント!そして、「イイヤアアーッ!」トラクターキャノンは全身で踏ん張りながら両肩キャノンを全力展開した!即座にアシガルたちが左右に陣を割り、その恐るべき攻撃から退避する!エメツリアクターによって圧縮されカラテ粒子を帯びた真空の砲撃がトリックスリーブを直撃した!

「アバババーッ!」渦を巻く破壊の嵐が一直線に吹き荒れ、トリックスリーブはキリモミ回転しながら全身を千切れさせて「サヨナラ!」爆発四散した。タタミ五枚分ほどの距離をノックバックしたトラクターキャノンは、パワード武者鎧ニンジャ装束の肩甲骨部分から黒いエメツ蒸気を噴き出した。

「オムラ…!」「ワオオーッ!」「トラクターキャノン=サン!」沸き上がる歓声に向かって悲痛な顔を向けるトラクターキャノン。「殉職した皆さんをリストアップ重点。同時に我々も追跡に移る」ワアンワアンワアン…遠くでサイレンの音。既にメガコーポ勢力はどちらともなく引き上げ始めている。

ここからがイクサなのだ。あくまで表だって角を突き合わせるのはデモンストレーションであり、何も知らない市民への配慮でもある。そうして本当の夜闇に紛れ、ニンジャが動く。だがオムラはオムラだ。やると決めたら突き進むのみ。トラクターキャノンは愛社精神に満ちて呟いた。「オムラ」

◇◆◇

やや開けた通りから、再び猥雑な高層建築のジャングルへと飛び戻っていくリスクランナー。その頭上を、野生とは思えぬ高度な飛行軌道のカラスが追随する。意識を共有するクロウスウォームの本体がいずことも知れない暗がりでほくそ笑む。夕暮れから止んでいた重金属酸性雨がぽつぽつと降り始めた。

#2に続く。

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