丙午は勘違いだった説

(8月15日のクラハ用間に合わせ資料。後から訂正するかも)

以下はいろいろな資料をさらっと調べた結果ですが、僕は学者ではないので、正しいかどうかは保証できません。
ただ、言いたいことは、
  丙午は迷信です
  「お七が丙午生まれ」も正しくない可能性があります
ということです。

丙午生まれの女性

「丙午に生まれた女性は・・・」という迷信は、江戸時代に放火事件を起こした「八百屋お七」が丙午の年の生まれだったことに発端があります。

お七の生まれた年

1666年 丙午 → お七が生まれた年とされる
しかし
お七が火付け未遂の罪で火刑になったのは1683年。
この時、奉行はお七を哀れみ、「お前は(刑が軽くなる)15歳であろう」と聞いているが、お七は正直に「いいえ、16歳です」と言ったため火刑となります。
当時は数え年なので、数え16歳のお七は満15歳。
すると、お七が生まれたのは1683 - 15 = 1668 年。
なので、お七は丙午の生まれではない
・・・という説もあります。

ではなぜ丙午が?

・井原西鶴が「好色五人女」巻四で、「丙午生まれのお七」と書いています。
・お七が、恋人に会いたいあまり(?)放火をしたことで「丙午生まれの女性は気性が激しく男を食う」ということですが、実際は、家に放火したものの怖くなって周りに知らせたため未遂で終わっているようです。
「気性が激しい・・」は西鶴の脚色の影響かも知れません。