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なぜ過去の出来事をクヨクヨ考えてしまうのか?

過去の出来事をクヨクヨと考えることはありますか?

「あ〜あのときこうしておけば」みたいな感じです。

例えば、失敗したことを振り返り、その原因を考えると、別の失敗が原因で引き起こされているような負の連鎖に気付いたりすることもあるでしょう。

なぜ考えても仕方ないことを後になって意味もなく悩んでしてしまうのかを考えていたのですが、今日たまたま読んだ本になるほどと思わされることが書いてありました。

それは、神経症に関する、次の文章でした。

神経症で私が注目するのは、神経症がわれわれに自分を乗り越えるように強いている点である。この自己超克をしないと破滅するだけだと神経症は脅迫しているわけだ。神経症が強いるこの自己超克から、神経症の人間性というものが生じている。この人間性は神話、詩、喜劇によって美化されている。神経症はわれわれを英雄に、聖人に、変えるのである。さもなければ病人に転落させる。英雄的行動や神聖さの中で神経症という要素は、過去を表わし、一つの限界のように(拘束のように)介入するーこの限界の内側、神経症の側では生は《不可能なもの》になる。過去によって重くなっている者、病的な執着のため現在への移行ができなくなっている者、つまり神経症者は、お定まりの道を通って現在に達することなどもうできなくなっている。しかし、できなくなっている故に神経症者は過去から脱するのである。他方、過去に固執しない人は、神経症にはならないが、過去に導かれ限界づけられるばかりになるのである。神経症者にはたった一つの解決策、賭けねばならないという解決策しかない。神経症者においては生は停止している。彼の生は図面のなかで進路の決められている道を辿ることができない。彼の生は新たな道を切り開く。自分のために、そして他の生のために、新たな世界を創造する。

G・バタイユ著
酒井健訳
無神学大全
ニーチェについて
好運への意志
pp.242-245

つまり、過去を引きずるのは執着が原因であり、解決策は「賭けること」。

ここでの「賭けること」とは、次のようなイメージです。

《運命愛》は、好運を欲すること、以前あったものと異なろうとすることを意味している。
未知のものを獲得すること、そして賭けることを意味している。
賭けること、これは、ひとりの人間にとっては、損をするか得をするかの可能性である。全体にとっては、与えられたものを乗り越えること、彼方へと行くことである。
賭けることは、結局、存在に、以前なかったものをもたらすことである(この意味で時間とは歴史なのである)。

同上、pp.236-237

個人のレベルで賭けることは損するか得するかの可能性であるなら、例えばパチンコでスロットを回すか競馬場で馬券を握りしめれば、過去をクヨクヨ悩まずに済みそうです。

しかし、損すること、賭けて失うことへの恐怖とは、どのように向き合えば良いのでしょうか。

これについては、次のように書いてありました。

私にも不安に解決策を与えることができないだろうか。自分を賭けて好運の勇士に、いやむしろ自由の勇士になることぐらいできないだろうか?好運は、われわれにおいては、時間の形態(過去への憎悪の形態)である。時間とは自由のことである。人間の恐怖心が時間に様々な拘束を対置させるが、時間が自由であることにかわりはない。橋であって断じて目的でないこと、これには、生が、堅く強固な意志の力によって、諸規範から引き離されていることが必要である。要するに生が、夢を断念させられることにもはや同意しないということが必要なのである。

同上、pp.242-243

夢に賭ければ、過去を振り切れるということです。

夢があって、過去にクヨクヨしたくない方は、脇目も振らず、ぜひご自身の夢に賭けてください。

さて、本来はここで終えても良いのですが…以下は自分に向けた蛇足です。

ここまで読みましたが、"自分にとっての"解決策が思いつきませんでした。

一般的なルールから離れたところで夢を断念しなければ恐怖を超えられるとあるのですが、断念を同意しないような夢が、自分には特にないからです。

元々、私は、小学校の卒業アルバムで、「静かに暮らしたい」と寄せ書きに書くくらい他には何も望んでいませんでした。

残念ながら、今の私は、音のうるさい環境や、人混み、満員電車、その他のストレスを与える存在に不満を感じているわけで、小学校時代の望みすら、十分に叶えられてません。

ただ、それも断念したくない夢という感じもしないです。

早死にするよりは長生きしたほうが合理的であるという論理的な証明を最近読んだ影響で健康に気をつけるかくらいは考えています。

趣味もあるのですが、最近はゲームをしてもアニメを見ても、大体は今まで見たことのある展開の組み合わせでしかなく、何も賭けるような要素がない人生の消化試合感が出てしまっています。

正直に言って、意味もないつまらない人生がいつ終わるかを待ち望んでいるだけだから、過去について考えているという発見はあったので上の本からは大きなヒントを得ましたが、「何に賭けるべきか」を真剣に探したいです。

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