なぜ過去の出来事をクヨクヨ考えてしまうのか?
過去の出来事をクヨクヨと考えることはありますか?
「あ〜あのときこうしておけば」みたいな感じです。
例えば、失敗したことを振り返り、その原因を考えると、別の失敗が原因で引き起こされているような負の連鎖に気付いたりすることもあるでしょう。
なぜ考えても仕方ないことを後になって意味もなく悩んでしてしまうのかを考えていたのですが、今日たまたま読んだ本になるほどと思わされることが書いてありました。
それは、神経症に関する、次の文章でした。
つまり、過去を引きずるのは執着が原因であり、解決策は「賭けること」。
ここでの「賭けること」とは、次のようなイメージです。
個人のレベルで賭けることは損するか得するかの可能性であるなら、例えばパチンコでスロットを回すか競馬場で馬券を握りしめれば、過去をクヨクヨ悩まずに済みそうです。
しかし、損すること、賭けて失うことへの恐怖とは、どのように向き合えば良いのでしょうか。
これについては、次のように書いてありました。
夢に賭ければ、過去を振り切れるということです。
夢があって、過去にクヨクヨしたくない方は、脇目も振らず、ぜひご自身の夢に賭けてください。
さて、本来はここで終えても良いのですが…以下は自分に向けた蛇足です。
ここまで読みましたが、"自分にとっての"解決策が思いつきませんでした。
一般的なルールから離れたところで夢を断念しなければ恐怖を超えられるとあるのですが、断念を同意しないような夢が、自分には特にないからです。
元々、私は、小学校の卒業アルバムで、「静かに暮らしたい」と寄せ書きに書くくらい他には何も望んでいませんでした。
残念ながら、今の私は、音のうるさい環境や、人混み、満員電車、その他のストレスを与える存在に不満を感じているわけで、小学校時代の望みすら、十分に叶えられてません。
ただ、それも断念したくない夢という感じもしないです。
早死にするよりは長生きしたほうが合理的であるという論理的な証明を最近読んだ影響で健康に気をつけるかくらいは考えています。
趣味もあるのですが、最近はゲームをしてもアニメを見ても、大体は今まで見たことのある展開の組み合わせでしかなく、何も賭けるような要素がない人生の消化試合感が出てしまっています。
正直に言って、意味もないつまらない人生がいつ終わるかを待ち望んでいるだけだから、過去について考えているという発見はあったので上の本からは大きなヒントを得ましたが、「何に賭けるべきか」を真剣に探したいです。
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